第9話

「昨日はすみません」

 

 硬い表情のミアに向かって、驚かれましたよね、とアルドリックは声をかけた。

 エミリア嬢は、昨日と同じ穏やかな表情で目を閉じている。ベッド脇の椅子から立ち上がろうとしたミアを留め、アルドリックももうひとつあった椅子に腰を下ろした。邪魔するつもりはないとの意思表示か、エリアスは少し離れた位置で壁に背を預けている。

 彼なりの配慮と信頼と受け取って、アルドリックは静かに切り出した。


「あなたは一メイドと仰いましたが、お嬢様は随分と慕っていらっしゃったそうですね」

「そんなこと」

「実は、同僚の妹がお嬢様と同じ学校に通っているんです」


 笑顔で否定をいなし、話を続ける。無理を言って時間をつくってもらい、午前中にニナ嬢に聞いたことだ。


「彼女に聞きました。お嬢様、親しいご友人に、あなたのことをうれしそうに話していらっしゃったそうですよ」

「お嬢様が……」

「あなたの名前を知っていたくらいです。本当によくお話しされていたのでしょうね」


 少なくとも、ニナ嬢の目にそう映っていたことは事実だろう。

 家のために決まった結婚を「しかたがない」と言いながらも、本心では嫌がっていたことも。学院を休む少し前から、思いつめた雰囲気があったということも。


「お嬢様にとってのあなたは、秘密を共有することができる相手だったのでしょうね。メイドとお嬢様という関係ではなく、ミアさんとエミリア嬢という個人の関係で」


 言葉を呑んでうつむいた彼女に、アルドリックは柔らかに問い重ねた。


「これは憶測の話になるので、あなたとお嬢様に失礼な表現があるかもしれません。その上でお聞きしたいのですが、思い合っている人物を呼ぶよう、エミリア嬢に頼まれたのではないですか?」

「……」

「あなたが言ったように、自分が目を覚まさなければ、ご当主もその方法に賭けてくれるかもしれない。エミリア嬢は、そう考えられたのではないですか。けれど、ご当主は招き入れることを良しとしなかった。だから、あなたは身動きが取れなくなったのでは」


 やはり、彼女はなにも言わなかった。固く結ばれた唇が解けることを祈り、言葉を重ねる。

 見当違いのことを言い募っているのかもしれない。だが、ミアを見る限り、過失があったとしても悪意はなかったのではないか、と。アルドリックは思うのだ。


「これも仮定の話なのですが、小瓶があると解毒薬の調合がすぐにできてしまう。そう考えて、あなたは隠したのではないですか。解毒薬の調合が叶わなければ、ご当主がお相手を招くことを許すと信じて」

「……違います」


 震えるような細い声が否定を紡ぐ。おのれの手を見つめたまま、彼女はとうとう吐き出した。


「そんな方は存在しないのです。招き入れることのできるような方は。それに、私とお嬢様は本当にそんな関係ではないのです」

「ミアさん」

「お嬢様が特別に思っていた相手は私なんです」


 予想だにしない告白に、こぼれかけた声を呑む。余計なことをもらせば、続きを知ることは叶わない。そうわかったからだ。

 心臓の音が届きそうな沈黙のあとで、彼女はそっと口を開いた。


「お嬢様がご結婚を嫌がっておられたことは事実です。けれど、それは、違う殿方を好いていただとか、そういうことではなく。私と特別でいてくださったからなんです。ただ、お嬢様に誓って明言いたしますが、いかがわしいことはひとつもしておりません」

「お互いに、心で思い合っておられたということですね」


 本当に好き合っていたのであれば、触れたいと願うことも、それ以上を望むことも、いかがわしいとは思わない。だが、それは、アルドリックの考えだ。子爵家の令嬢の倫理観からすると、「いかがわしい」ことであったのだろう。

 慮ったアルドリックに、彼女はうつむきを深くした。


「お嬢様がどうやって薬を手に入れたのかはわかりません。ただ、あの日、お帰りになったお嬢様は、薄桃色の紙に包んだ薬を持っておられました」

 

 ニナ嬢の話にあった「秘密のキャンディ」だろうとアルドリックは想像をした。エミリア嬢はその薬を「眠り姫の毒」と説明したのだという。


「小瓶に入っているものが主流だけれど、成分も効能も同じ、と。そうして、こう仰ったのです。『眠り姫の毒』の噂はあなたも知っているわよね。私はそれを今から飲むわ。そのあとどうしたいかは、あなたが決めてちょうだい」

「……」

「お嬢様は固く決心をしていらっしゃったのだと思います。芯の強い方でしたから。昏倒されたお嬢様は眠っているようにしか見えず、私はどうしていいのかわからなくなりました」


 沈黙の反動のように、淡々と彼女は打ち明けた。彼女とエミリア嬢が思い合う仲だったのであれば、そうでなくとも、目の前で人が倒れたとすれば。取り乱すことは当然のことだ。アルドリックは、静かに続きを促した。


「どうしたらいいのか、ですか」

「ええ。あたりまえに考えれば、すぐに人を呼ぶべきでした。薬を包んでいた紙も、証拠として渡すべきだったのでしょう。あるいは、噂に忠実に口づけを落とせば、大事になる前にお目覚めになったかもしれません。ですが、私はいずれも選ばなかったのです」


 エプロンを掴む彼女の手の甲は、籠った力を示す青筋が浮き上がっている。彼女は懺悔するように声を振り絞った。


「あろうことか、私は、部屋に入ったみなが小瓶が見当たらないと騒ぐ中、小瓶でなく紙に包まれていたことも、その紙を自分が持っていることも言いませんでした」


 おそらく、とアルドリックは思う。

 お嬢様が「眠り姫の毒」を飲んだと彼女は伝えたのだろう。「眠り姫の毒」は小瓶に入っているという共通認識があり、空の瓶があるはずとみなは思い込んだ。彼女は嘘を吐いたわけではない。だが、誤解を解こうともしなかった。

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