第6話

 ノイマン家の屋敷を出て少し歩いたところで、アルドリックはとうとう溜息を吐いた。一歩前を行く国家魔術師の臙脂のローブが恨めしい。


 ――それにしても、まったく、なんで、ああいう態度を取るかなぁ。


 おまけに、外に出てなお不満のある顔をしている。ほとんどの人間は無表情と評すだろうが、幼いころを知るアルドリックにはわかるのだ。

 ふたつ目の溜息は呑んで、背中に声をかける。


「あのねぇ、魔術師殿」


 説教臭い呼びかけになってしまったものの、思いのほかエリアスは素直に視線を寄こした。聞く耳のある態度に、自然と口調が和らぐ。


「急に帰るなんて言ってどうしたの? なにか気に食わないことでも?」

「子ども扱いをするな」


 だったら、子ども扱いされるようなことはしないでくれるかなぁ、との嫌味も厳重に押し込め、アルドリックは首を横に振った。


「そういうわけではないけど。でも、急に帰るなんて言われたら、僕もだけど、ミアさんたちも驚くよ」

「……」

「まぁ、言ってしまったものはしかたがないし、帰ってしまったものもしかたがないけど。理由くらい聞かせてくれないかな。その……僕たちは一応、一緒に仕事をしているわけだし」


 対人関係に難のある天才魔術師の尻拭い自体はどうでもいいことだ。どうでもいいと言うと言葉がすぎるかもしれないが、アルドリックは本心でそう思っている。

 それが役目とわかっているからだ。まぁ、もちろん、できることならば、お互いに気持ち良く仕事をしたいと願っているけれど。

 幼馴染みだからとか、そういうことではなく、一仕事人としてのあたりまえの感情として。


「それに、なんというか、あの家の人たちに協力してもらわないとわからないこともあるわけだし。そういう意味でも、無遠慮な言動は避けたほうがいいんじゃないかな」


 さすがに説教がすぎただろうか。黙り込んだエリアスの返答を辛抱強く待っていると、ぽつりと彼が口を開いた。


「あのミアというメイドから、薬草のにおいがした」

「え……」

「かすかだったが、あの屋敷にいた人間の中では一番強かった。令嬢に長く付き添っていることが理由かと思ったが、どうにもメイドのほうが気配が濃い」

「え? えっと、それって……」

「解毒の参考に手あたり次第『眠り姫の毒』を買いに走った可能性も考えたが、おまえとの会話を聞く限り、その線は薄そうだったからな」

「えっと、つまり」


 理由を聞かせてくれと言ったものの、なんだかすごく急展開だ。どうにか情報を整理して、恐る恐る問いかける。


「彼女がなにか知ってるんじゃないかと思って、かまをかけたってこと?」

「ああ」

「雑なかまだな!?」


 間髪入れず頷かれ、アルドリックは叫んだ。雑すぎるし、警戒されることが関の山のやり方だ。いったい、どこが合理的だというのか。

 恨みがましくなった視線を受け流し、エリアスはさらりと言い返した。


「だが、あのメイドの関与は、ほぼ確実になっただろう」

「……関与って、どういう関与なんだろうね」


 蒼白な顔色も、呆然自失とした態度のわけも。アルドリックは、エミリア嬢を純粋に心配してのことと捉えていた。だが、エリアスの仮定を加味すると違う道筋が見えてしまう。


 ――あの表情が、「とんでもないことをしてしまった」というものでなければいいのだけど。


 今回の「事件」が大ごとに発展していない理由は、当主が醜聞を嫌がったことと、もうひとつ。令嬢が自ら飲んだという前提があったからだ。

 結婚を嫌がった少女が流行の「眠り姫の毒」を飲んだという筋書きに無理はなく、だから、ノイマン家の当主を含めた全員が、解毒薬の完成を解決の終着点に定めた。

 お嬢様の頼みを断ることができなかったメイドが、キスで目覚める程度のものと信じて用意したのであれば。小瓶の紛失も偶然が重なったのであれば、救いはある。だが。


「どういう関与とは」

「その、……これは、最悪の想像なんだけど、お嬢様が自ら『眠り姫の毒』を飲んだと証言したのはミアさんだけだ。『眠り姫の毒』が入っていたとされる小瓶も見つかっていない。彼女が悪意を持って飲ませたと言われても、否定することのできる材料はなにもないよ」


 エミリア嬢が穏やかに眠っているように見えたのは、身なりが整っていたからだ。豊かな金色の髪はきれいに梳かされ、ミモザの花で彩られていた。四日も目を覚ましていないと思えぬ頬のまろさは、ミアが化粧を施していたからだろう。

 エミリア嬢を見守る瞳に灯る感情は慈愛と心配と思っていたかった。考えるように目を伏せたエリアスが、青い瞳を向ける。


「飲ませたとすれば、『眠り姫の毒』か? それとも、ほかのなにかか?」

「それは、わからないけど」

「ならば、仮に『眠り姫の毒』であると信じたものを飲ませたとして、あのメイドになんの得がある」

「わからないよ」


 アルドリックは、おざなりに繰り返した。言葉にしたのは、あくまでも最悪の想像だ。考えすぎであってほしいと願っている。

 ただ、人の感情は複雑怪奇にできている。お嬢様を純粋にかわいく思う心と妬ましく思う心は、簡単に同居しうるのだ。その事実を、自分は身をもって知っている。

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