第5話

 ノイマン家のご令嬢エミリア・ノイマンは、少女らしく整えられた自室のベッドで穏やかな表情で眠っているように見えた。

 エミリア嬢の状態を確認するエリアスの邪魔にならぬよう、一歩下がった場所で待機していたアルドリックは、同じように見守るメイドの横顔を窺った。

 淡い金色の髪を丁寧に結い上げた楚々とした横顔は心痛そのもの。年のころは、二十五になるアルドリックとほとんど変わらないくらいだろうか。この部屋に入る前に聞いたメイド長の話によれば、お嬢様が倒れて以降、付きっきりで看病をしているらしい。


「あの、ミアさん」

「はい」


 部屋にいるのは、自分たちのほかは彼女だけだ。尋問と捉えられぬよう留意して、そっと呼びかける。


「あなたはお嬢様と親しかったのですよね」

「お嬢様と一メイドの関係でございます。親しかったなどとそのようなことは」

「ですが、あなたは姉やのような存在だったと聞きました。幼いころよりお嬢様を見守り、お嬢様もあなたに随分と心を許されていたと」

「……」

「あなたもお嬢様をとても心配していらっしゃるようですし――」

「仕える人間として、心配することはあたりまえではありませんか。親しかったなどと申せる関係ではございませんが、大切なノイマン家のお嬢様です。心配に決まっております」

「それは、そうですよね。すみません」


 不安に染まりながらも柔らかだった印象を一変させた態度に、アルドリックは失敗を悟った。


 ――困ったなぁ。


 警戒をさせたかったわけではないのだけれど。どう挽回したものかと次の言葉を探していると、エリアスがちらりと振り返った。見分が終わったらしい。

 呆れたような視線に、慌てて「仕事ではなく本心で心配している」という表情を取り繕う。まったくの嘘ではないつもりだ。


「あなたを疑う意図も、気を悪くさせるつもりもなかったんです。申し訳ありません。お嬢様の考えや行動がわかれば、解決の近道になると思いまして。どうか、改めて確認をさせていただけませんか。お嬢様は『眠り姫の毒』を飲むと仰ったのですよね」


 そう、彼女が証言したとアルドリックは聞いている。止める間もなくお嬢様が小瓶を飲み干し、昏倒するように眠ってしまったのだ、と。そうして、人を呼びに部屋を出たあいだに小瓶が消えたのだ、と。

 小瓶さえあれば安全に解毒薬ができたという話を知るとひどく悔やみ、自分を責める様子だったとメイド長は言っていた。

 彼女が悪いわけではないだろうと思うが、責めていると響いたのかもしれない。そうではないのだと否定して、アルドリックは真摯に続けた。


「お嬢様が『眠り姫の毒』になぜ興味を持ったのか、どこから入手したのか。それがはっきりとすれば、お嬢様にとってリスクの低い解毒薬ができあがる可能性が増えるんです」


 ミアさん、ともう一度呼びかけると、迷うように彼女の視線が泳ぐ。自責の念を拭えないのか、細い指先はエプロンをきつく握りしめていた。

 興味がないのか、あるいは、解毒薬の調合以外に関与をする気はないのか。エリアスはなにも言おうとしない。

 だが、ふたりがかりで質問されるよりはましだろう。情報収集は自分の役割と割り切り、唇が解ける瞬間を待つ。


「……お嬢様がどこで手にされたのかは、私にはわかりません」

「そうですか」


 落胆を隠し、アルドリックは頷いた。彼女の視線の先が、ゆっくりとエミリア嬢に動いていく。これだけ近くで喋っていても、なにひとつ反応はないままだ。沈痛な面持ちで、彼女は言葉を継いだ。


「ただ、あくまで想像ですが。お嬢様が手を出そうと思われた理由は理解することができる気がします。大きな声では申せませんが、お嬢様は結婚を嫌がっていらっしゃいましたから」


 お嬢様のご年齢を考えれば、想像できないことではありません。続いた台詞に、居た堪れない心地になる。アルドリック自身も想像したことだったからだ。


「こちらも私の勝手な推測ではございますが、お嬢様は旦那様相手に賭けに出たのではないでしょうか。『真に思い合っている者の口づけで目を覚ます』と言われている薬です。婚約者様の口づけで目を覚まさなければ、旦那様も真に思い合っている相手を認めてくれるのではないか。――あるいは、そうでないのであれば、目を覚まさなくともよいとお考えになったのかもしれません」

「そんな……」

「認められていないだけで、真に思い合っている者がいるような口ぶりだな」

「魔術師殿」


 突如として割って入ったエリアスの嫌味な口調に、アルドリックはぎょっと振り返った。制そうと試みたものの、エリアスはどこ吹く風である。


「客観的に聞いていて、そう思ったというだけだ。想い人とやらがいるのなら、それを探したほうが早いのではないか?」

「やはりそうでしょうか」

「だが」


 どこかほっとした彼女の相槌に被せるかたちで、エリアスは言い放った。


「真に思い合っている者の口づけで眠りが覚めるなど。そんな曖昧な解除条件が存在するとは信じがたいが」

「……え」


 ミアが灰色の瞳を強張らせる。変化に気づいたアルドリックは、再びエリアスを制した。


「魔術師殿。その話は」


 自分たちはすでに承知しているが、彼女はまやかしと知らないのだ。「真に思い合う者からの口づけ」が一番安全な解毒方法と信じ、縋っていたのだとすれば、ショックを受けて当然である。

 だが、エリアスは、アルドリックを一瞥した直後。彼女に向かって、冷たく断言をした。


「つまり、ただの毒だろうという話だ。解毒が叶わなければ、いずれ死ぬ」

「そんな……」


 呆然と呟いたきり、ミアは蒼白の顔で唇を震わせている。配慮のないエリアスへの怒りを押し込め、アルドリックは声をかけた。


「ミアさん、大丈夫です。無責任に聞こえるかもしれませんが、逆に言えば、解毒が叶えばお嬢様は助かるということで――」


 上滑りのする慰めなど耳に入らない様子で、彼女はエミリア嬢を凝視している。必死に言葉を紡いでいると、ぎこちなくその顔が上がった。


「申し訳ございません。取り乱してしまいました」

「あたりまえのことです。我々こそ、言葉の配慮が足らず申し訳ありません。ですが、お嬢様のために力を尽くしていることは事実です。それに、彼は一級魔術師なので。間違いなく解毒は叶います」

「簡単に約束をするな。間違いなくなどという保証はできかねる。まぁ、成分が判明すれば、成功の確率が上がることは事実だが」

「ちょっと!」


 ミアはまだ少しぼんやりとしている。エリアスの言が届かなったことは幸いだったかもしれないが、いくらなんでもひどすぎるだろう。溜息を呑み込み、アルドリックはエリアスを部屋の隅に引っ張った。

 これからも、仮に、万が一、行動を共にすることがあるのであれば、頼むので言動を改めてほしい。


「なんだ?」

「なんだ、じゃないよ。あのねぇ、きみ。間違っていなかったら、なにを言ってもいいというわけじゃないことは、さすがにわかるだろう?」


 子どもじゃないんだから、という非難は胸のうちで留めたのだが、そういうことばかり正確に伝わったらしい。青い瞳に不満を乗せたエリアスが、ぽつりと呟く。


「合理的な方法を取ったつもりだったのだが」

「なにが合理的なんだよ……」


 まったくもって意味がわからない。彼女が気の毒なだけではないか。脱力したアルドリックを見下ろし、まぁ、いい、とエリアスが言う。

 まぁ、いい、は間違いなく自分の台詞だったが、アルドリックは大きな子どもに問い返した。


「なに?」

「帰るぞ」

「ええ、ちょっと、帰るって――。ちょっと! 魔術師殿!」


 叱られてバツが悪くなったから帰るとか、どこの子どもだよ、など。この場で言えるわけもない。言葉のとおりドアノブを回したエリアスを、慌ててアルドリックは追いかけた。

 結局、彼ができたことと言えば、どうにか廊下でエリアスを引き留めたことと、通りかかったメイドにミアを頼んだこと。仏頂面のエリアスを引きつれたまま、執事に報告と挨拶を済ませたことの三点きりであった。

 本当に、頼むので、もう少しまともな言動を取ってほしい。

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