第4話

 ――明日、ノイマン家に同行する約束を取り付けたのはよかったけど、すっかり遅くなっちゃったな。


 春の花が咲き始めたとは言え、夜はまだ冷える。薄暗い宮廷の廊下を薬草部に向かって進みながら、アルドリックは手をこすり合わせた。

 肩を縮めつつたどり着いた薬草部のドアを、生真面目にひとつ叩いて入室する。


「失礼します。エリアス・ヴォルフ一級魔術師殿の件なのですが――って、もしかして、きみしか残ってないの?」


 がらんとした部屋を見渡し、アルドリックは目をぱちくりと瞬かせた。机と器具が整然と並ぶ空間にいるのは、花のような薄桃色の髪を持つ、華やかな同期だけ。


「おお、お疲れ」


 机から顔を上げたエミールが、気安い笑顔を向ける。


「うちの上長なら、のっぴきならない用があるとかで定時で帰ったぞ。その件の報告は、代わりに俺が」

「そうなんだ、ありがとう」


 手に持った羽ペンでちょいちょいと招かれ、アルドリックはエミールの隣の椅子に腰を下ろした。書類仕事を片付けつつ、戻りを待っていてくれたらしい。覚えた申し訳なさに、アルドリックは眉を下げた。


「ごめんね、遅くなって。でも、のっぴきならない用っていったい……」

「帰る口実だと思うが。おまえも知ってのとおり、あの人はうまくさぼるからな。それより、どうだった、噂の氷のご麗人は? ああ、同郷なんだったか」

「ええ、なに、その呼び名」

「王都のお嬢様方のあいだで有名な呼び方らしいぞ。いつだったか、うちの妹が目を輝かせていたからな」

「ああ、ニナちゃん」


 何度か会ったことがあるが、素直でかわいらしい女の子なのだ。少し年が離れていることもあって、エミールもよくかわいがっている。


「そっか。王都の女学院でも噂になってるんだ」


 なんだかすごいなぁ、とアルドリックは苦笑をこぼした。彼女の在籍先は、良家の子女が集う王都随一のお嬢様学校だったはずだ。


「まぁ、最近は『眠り姫の毒』の話題で持ち切りらしいが」

「やっぱり?」

「女学院の教師陣から、正規でない店で買うなと厳しいご指導が入ったとも言っていたが」


 聞かないだろうな、とエミールが肩を軽くすくめる。


「さすがの嗅覚と言うべきか、いかにも夢見がちな女子どもが好みそうなネーミングセンスだ。あいかわらず、流しの連中は商売がうまい」

「違法か適法かと言われると、本当に微妙なところなんだけどね」


 諦め半分で、アルドリックも相槌を打った。責められるべきは子どもでなく、流しの魔術師であるのだが。

 無論、「グレー」というお為ごかしで販売を許す宮廷にも非はあろう。


「お隣のフレグラントルなんかは、取り締まりが厳しいというからね。件の魔術師も東の小国に入ったのだと思うけど。まぁ、とにかく。ノイマン家のご令嬢の件についてはヴォルフ殿が了承してくれたからよかったよ。さっそくだけど、明日、ノイマン家に向かうつもりでいる」

「承知した。向こうも急いでいるだろうからな。明日の朝、こちらから一報を入れておけば、いきなりだなんだと文句は言わないだろう」

「ありがとう」

「しかし、それにしても」

「なに?」

「いや、よくあのご麗人から快諾を引き出したものだと思ってな。うちの人間が訪ねたときは、塔の前ですげなく追い返されたらしいぞ」


 指にはめた魔石の指輪を回しながら揶揄いしかない顔で笑うので、アルドリックは、はは、と愛想笑いを浮かべた。

 なにをやってるんだ、きみは、と。頭を抱えたい気持ちが半分、渋々でも引き受けただけ良しとせねばならぬか、という諦念がもう半分だ。


「薬草部の魔術師が担当すればいいだろう、とは言っていたけどね」

「違いない」


 愉快そうに喉を鳴らしたエミールは、あっさりと事実と認めた。


「うちの上長からすれば、ノイマン家の当主が天才の名前を出したことが幸いだったわけだ。うまくさぼる人だからな」

「やっぱり、調合がわからないと、解毒薬をつくることは難しいものなの?」

「単純に時間がかかる。リスクも増える。斜陽とは言え、一応は子爵家だ。おまけに当主は娘の結婚話に賭けている。そんなものに手を出したいと思うか?」

「……思わないだろうね」


 まったく嫌な判断だ。溜息を吐き、アルドリックはちらと友人を見やった。


「ニナちゃんと同じ学校の子なんだよ」


 まだまだ大人の庇護が必要な、未熟な子ども。魔術の才能があったために、エミールは魔術学院で学び、宮廷の魔術師として働いている。けれど、彼の家は子爵家だ。当然、彼の妹も。恵まれた家に生まれ、両親と兄に愛されて育ったお嬢様。愛らしい笑顔が浮かぶにつれ、アルドリックはノイマン家のお嬢様が気の毒になる。

 弁えているものの、彼女の父親が家ばかりを心配しているふうなことも。貴族の世界では珍しくないと承知していても、学生の彼女が結婚を強いられていることも。怪しい薬に手を出すまでに追い込まれたのだろうことも。

 表情を曇らせたアルドリックに、エミールは軽薄な態度を改めた。


「知っている。口さがない噂が出回っているようだが」

「口さがない噂……。それはノイマン家のお嬢様に対する?」

「まぁ、そうだ。こう言っちゃなんだが、そういうお年頃だからな。おまえが気になるならニナに聞いておくが、過剰に入れ込まないほうがいい」

「わかってるよ」


 あくまで仕事と釘を刺され、苦笑いになる。一応は理解しているつもりだ。今回の自分に期待される役割も。

 そういったわけだったので、「とりあえず、明日一緒に伺ってみるよ」とアルドリックはほほえんだ。

 なにはともあれ、案件の解決に向け、最善を尽くすほかはないだろう。ノルマン家の訪問が無事に完了することを願い、報告は終了となった。

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