第2話

「ところで、きみは『眠り姫の毒』を知っている?」


 不承不承のエリアスに預かった封筒を渡し、アルドリックは改めて切り出した。自分を厄介ごとに巻き込んだそもそもの要因である。

 返事はなかったものの、構わず説明を進めていく。聞いてもらわないことには、宮廷に戻ることも叶わないのだ。


「早い話が、王都で流行ってる薬なんだけど――」


 その名も「眠り姫の毒」。王都の若者たちのあいだで流行っている薬の俗称である。薬を飲むと深い眠りに落ち、なにをしても目を覚ますことはないのだという。ただひとつ、真に思い合う者からの口づけを除いては。

 噂の火付け役を担ったのは、流しの魔術師から薬を買った商家の娘のエピソードだ。密かに思い合う幼馴染みがいたものの、親に縁談を勧められ困っていたらしい。引っ込み思案で意思を伝えることが苦手だった娘は、いたく思い悩むようになる。その彼女が出会ったのが、怪しい流しの魔術師だったのだ。


 メルブルク王国において、煎じた薬草を販売する資格があるは国家魔術師が営む認定店だけなのだが、法をかいくぐるかたちで販売されるものもある。

 心身に著しい害の出る恐れがあるものは即座に取り締まりの対象になるものの、心身に害の出ない――ある一定の基準より薬草の保有量の少ないもの。つまり、気の持ちよう程度の効能しかないもの――は目こぼしをされることがあるのだ。


 彼女が手を出したものは、まさにそれだった。

 ムンフォート大陸において、隣国のフレグラントル王国に次ぐ魔術国家であるメルブルクには、「流し」と呼ばれる魔術師が短期滞在をすることがある。その際に、彼らは薬を売り歩くのだ。

 完全なる違法とは言わないにせよ、限りなく黒に近いグレーである。親や教師はうかつに手を出さぬよう指導するが、若い人間の好奇心は計り知れない。悩む心に甘い毒を注がれては、なおのことだ。


 とかく、彼女は、「真に思い合う者からの口づけでのみ目を覚ます薬」を手に入れた。言葉にすることが難しかった彼女の精いっぱいの抵抗であったのだろう。

 彼女は薬を飲み、効能を記した紙と空の小瓶を残した。驚いたのは、揺らしても叩いても目を覚まさぬ娘を発見した両親である。仰天した母親は近所の住民に相談し、それを聞いた件の幼馴染みが名乗りを上げた。

 結果は、娘の記した効能のとおり。なにをしても目覚めなかった娘が、幼馴染みのキスで目を開けたのだ。喜び感動した両親は、娘と幼馴染みの結婚を許したという――。


「その話が、王都のお嬢さん方の中でロマンティックだって広まっちゃってね。半月ほど前から流行はしていたんだよ」


 そう、アルドリックはエリアスに説明をした。


「そのあとで話題になったケースもいくつかあるんだけど、無事に目が覚めました、ハッピーエンドというような軽い話ばかりでね。宮廷の薬草部も、当初は『グレー』という判断だったんだよ。ただ、ちょっと噂が大きくなりすぎただろう? 規制する流れになったんだけど、察したのか、例の魔術師が国外に出ちゃってね」


 ずぼらな管理だと思われたら嫌だなぁという保身半分で、アルドリックはなんでもないふうに続けた。エリアスはと言えば、興味のない顔で頬杖をついている。

 偉そうな態度なのに、妙に似合っているせいか、注意する気も起きない。まぁ、注意できる立場かと問われると、悩むところではあるのだが。


「張本人が国を出た以上、さらなる模造品が出回る可能性はあれど、とりあえずは落ち着くだろうということで、一旦保留になったんだけど。とうとうと言うべきか、目を覚まさないご令嬢が現れてしまって」

「ご令嬢?」


 そこでようやくエリアスが反応を見せた。貴族と関わることはごめんだとばかりのおざなりさで吐き捨てる。


「真に思い合っている相手に口づけてもらえばいいのではないか?」

「いや、それが」


 面倒な話であることは事実であったため、アルドリックは情けなく眉を下げた。

 貴族と関わることを嫌がる人間の多さは承知しているし、宮廷で働く身としても、貴族特有の面倒さ――もちろん、すべての人が面倒なわけではないけれど――を実感している。だが、断れると困るのだ。


「ええと、その、目が覚めないのはノイマン家のお嬢様なんだけど、ご当主いわく、娘がそんな怪しい薬に手を出すわけがない、とのことで」

「なるほど?」

「ただ、ちょっと、こっちの調査で向こうの使用人の方にお聞きしたところ、お嬢様が飲んだ薬は王都で噂の『眠り姫の毒』だという証言が出て」

「なるほど?」


 嫌味ったらしい相槌に負けじと、アルドリックは人当たりが良いと評判の笑みを返した。


「ただ、その、お嬢様が飲んだという小瓶が、いろいろあってなくなったらしくて。つまり、お嬢様がなにを飲んだのかは……。いや、もしかすると、なにも飲まれていないのかもしれないのだけれど、とにかく不明ということで」

「なるほど」

「それで、その、うちの人間と薬草部の魔術師でお嬢様の状態の確認に伺ったんだけど、『なにかの薬で眠っているのだろう』ということしかわからなくて」

「ほお」

「それで、……その、きみならわかると思うんだけど、その状態で解毒薬をつくるのって大変なんだよね」


 薬草部の友人いわく。成分が判明し、材料が揃っていれば、ほぼリスクなく解毒薬をつくることが可能だが、成分が不明となると、解析にも時間がかかり、リスクも上がるという話だった。

 それは、まぁ、そうなのだろうなぁ、と。容易に想像することはできる。


「だから、……その、ノイマン家のご当主が、ぜひ、稀代の天才と噂の一級魔術師殿に、お嬢様の命運を託したいと仰られていて」


 その勢いに薬草部が押されたというか、ちょうどいいと押しつけようとしているというか。曖昧な笑みを保持するアルドリックを一瞥し、エリアスは長い足を組み変えた。


「ノイマン家か」

「ああ、知って?」

「家の名前くらいはな。個人的に知っているという間柄ではない」


 だろうねぇ、とも、そのほうがいい気がするよ、とも言えず、アルドリックは頷いた。


「とにかく。ご当主から直々に宮廷に要請があってね。なんでも、ご令嬢の縁談が進んでいるさなかのことだったそうで、街で噂の『眠り姫の毒』が原因とはまかり間違っても誤解されたくないということなんだ」


 伝え聞いた当主の口ぶりは、一人娘の状態より家の醜聞を気にしたものだったのだが。一介の文官が口を挟むことのできる話ではない。


「なるほど?」


 アルドリックを見つめ、エリアスは意地悪く笑った。


「起死回生の頼みの綱である婚約者殿には知られたくないだろうな。口づけで眠りが覚めなければ、大ごとだ」

「ちょっと」


 人の目がない場所と言えど、言葉がすぎる。昔馴染みのよしみとして、アルドリックは窘めた。

 子爵であるノイマン家と一級魔術師のエリアスのどちらの格が上かとなると後者であるのだが、そういう問題でもない。

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