御伽噺にはなれない―お人好し文官と奇人魔術師の宮廷事件簿―

木原あざみ

エピソード1:眠り姫の毒

第1話

 メルブルク王国の若き天才と評判の一級魔術師エリアス・ヴォルフは、王都近くの森にある小高い塔に住んでいる。

 来訪者を隔絶する空気に満ちた冷たい塔を見上げ、アルドリック・ベルガーは深い溜息を吐いた。場違いなほどに穏やかな春の風が頬をなぶっていく。


 ――なんだか、ていよく厄介ごとを押しつけられた気がするなぁ。


 まぁ、それも、今に始まったことではないのだけれど。

 王立高等学院を十八の年に卒業し、文官として宮廷で勤めること、早七年。うち二年は文官見習いだったわけだが、若手と言い切ることはできない勤続年数になっている。そうであるにもかかわらず、なぜか厄介ごとばかりが寄ってくるのだ。

 しかたがないので、そういう星のもとに生まれたと思うことにしている。厄介ごとと言っても、九割は「まぁ、べつにいいかな」で割り切ることのできる程度のものだ。ただ――。


 ――こんなかたちで、もう一度あの子に会うとは思わなかったな。


 こげ茶の瞳に困惑と躊躇いをにじませたまま、アルドリックは塔の扉を叩いた。

 


 ――アルドリック。おまえの出身はシュネベルクだっただろう。魔術師のエリアス・ヴォルフ殿を存じないか?


 遡ること、二日前。他部署の上司に呼び止められたアルドリックは、幼く見られがちな丸い瞳を瞬かせた。宮廷の廊下でのできごとである。

 宮廷の役人で、十年に一人の天才と称される一級魔術師を知らぬ者はないだろう。無論、天才の評価と同程度に有名な、人嫌いと偏屈ぶりを含めてだ。

 だが、しかし。出身地の名を挙げた以上、違う意味であるはずだ。嫌な予感しかしないなぁと思いつつ、染みついた愛想でほほえむ。


 ――はい、同郷なので。


 向こうのほうがふたつ下だが、山に囲まれた小さな村だ。実家が隣接していたこともあり、幼い時分は遊んだ覚えもある。

 だが、十年以上昔の話だ。進学で十五で村を離れて以来、顔もほとんど合わせていない。期待をされても困るとアルドリックは言い足した。


 ――ですが、もう五年は顔を合わせておりませんし。向こうが覚えているかどうか。


 そう。だから、真面目しか取り柄のない自分に、取り扱いが難しいと評判の彼と橋渡しを期待されても、ひとつの役にも立たない、と。牽制をしたつもりだったのだが。


 ――本当に、いったいなにが「それはよかった」なんだが。


 アルドリックからすると、なにもよいことはなかったのだが、あれよあれよと自分の上長に掛け合われ、魔術師殿のもとにひとり赴く予定を立てられてしまったのだ。

 預かった案件の内容から、それなりに急ぎであることは理解したものの、あまりにも問答無用ではないだろうか。

 まぁ、呆れたところで、「横暴だなぁ」と内心で文句を言うことが関の山で、拒否できるはずもなかったのだけれど。



「ええと、それにしてもひさしぶりだよね」


 無事に迎えてもらった塔の内部。書物と実験に使うと思しき器具、名称不明の物体が詰まったガラス瓶。そういったものがところ狭しと並ぶ室内を見渡し、アルドリックは笑いかけた。

 ありがたいことにもてなす意思はあったらしく、彼が無造作に本を除けて生み出した空間に、紅茶のカップが鎮座している。雑然としたテーブルを挟んだ向こう。ひとりがけのソファーで悠々と足を組んだまま、エリアスは口を開いた。


「俺がおまえを寄こせと言った」

「え? あぁ、きみ、人嫌……人見知りだもんね」


 だから、自分が任命されたのか。納得して、アルドリックは頷いた。この子らしいと言ってしまえば、それまでの理由である。

 なにせ、彼の人嫌いと偏屈ぶりは、小さいころからの筋金入りなのだ。隣人のよしみなのか、不思議と自分には懐いていたけれど。


 ――それにしても、小さいころもお人形さんみたいだったけど、なんだかやけにすごみのある美形に育ったなぁ。


 きれいな長い銀色の髪に、宝石のような青い瞳。無機物に見えるほどに整った目鼻立ち。おまけに、身長も随分と伸びている。平々凡々で人の良さしか褒められることのない自分とは大違いだ。

 天は一物だけでなく、二物三物と彼に惜しみなく与えたらしい。性格の難は例に漏れたようだが、ご愛敬というやつだろう。


「違う」


 いやにはっきりと否定され、アルドリックは丸い瞳を瞬かせた。


「え?」

「そういう顔をするな」

「え? あぁ、……うん、ごめん」


 もしかして、年甲斐もないと呆れたのだろうか。童顔の自覚はあったので、アルドリックは素直に謝った。そのアルドリックを忌々しそうに見やり――そこまでの顔をされることをした覚えはなかったものの、幼馴染みの気難しさは承知していたので、アルドリックは黙ったまま紅茶に口をつけた――、エリアスは再びきっぱりと言葉にした。


「俺がおまえに会いたかったんだ」

「……ありがとう?」


 表情と台詞が乖離しているなぁと生ぬるい気持ちになりながら、曖昧にほほえむ。そうするほかなかったからだが、エリアスはますます苛立った顔をした。

 美形だけに迫力はあったものの、おねしょをしていた時分を知る相手だ。さすがに怖くはない。


「好きだと言っている」


 苦く言い切った顔が、本当に彼が幼かったころ。自分が先に小学校に通い始めた日の夕方、アルドリックの家に押しかけ「ここで暮らす」とごねにごね、彼の母親が無理やり連れ帰るまでベッドを占拠したときとそっくり同じだったので、アルドリックはやんわりと笑みを浮かべ直した。


「ええと、そうだな。とりあえず、仕事の話をしようか。魔術師殿」


 結論。エリアス・ヴォルフの奇人さ加減は、大変残念なことに、年齢を重ねるごとに増していたらしい。

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