未来に紡ぐ糸

紗久間 馨

自分だけの糸

 雨季に入る前のよく晴れた休日、美南みなみは毛糸を紡いでいる。電動紡ぎ車のフライヤーが回転し、羊毛が撚られてボビンに巻きついてく。

「カフェオレみたいな色でかわいいなあ」

 紡がれていく糸を見て、幸せそうな声で呟く。この日は白と茶の毛を混ぜた。染められた色ではなく、元々のヒツジの毛の色だ。




 編み物が好きな祖母の影響で、美南は小学生の頃に初めてマフラーを編んだ。その不恰好なマフラーは祖母が長いこと大切に使っていた。

 祖母は帽子やマフラー、セーターなどを美南に編んだ。母はあまり良く思わなかったが、美南は温かみを感じて好んで身につけた。


 色と太さだけで毛糸を選んでいた美南が糸自体に興味を持ったのは、毛糸のラベルを読んだ時だった。

「おばあちゃん、ここに書いてあるアルパカって、あの首の長いアルパカ?」

「そうよ。この毛糸はヒツジとアルパカの毛を混ぜて作られているのよ」

「毛糸ってヒツジだけじゃないの?」

「ヤギの毛もあるわね。カシミヤとかモヘアという言葉を聞いたことはあるでしょう?」

「ある! ヤギの毛も毛糸になるんだね!」

 それを聞いてから、美南は手芸店に行くとラベルを読むようになった。動物の毛だけではなく、アクリルなどの化学繊維があることも覚えた。


 中学生になった美南は、部活動や勉強で編み物をする余裕がなくなった。それとは別に、手編みの物を身につけたくないとも思った。友達と同じようなカーディガンを着て、同じような物を持つ。当時はそれが大切なことだった。

 それでも祖母は変わらずに美南に色々な物を編んでよこした。

「手編みなんてダサいから、もういらない」

「気づかなくてごめんね。こんなの古臭いわよね」

 祖母の悲しげな表情に心が痛んだが、美南は意地を張って謝ることができなかった。祖母からもらった手編みの物は、毛糸や道具とともにクローゼットの奥へとしまわれた。

 それでも、どこかでメリノと聞けばヒツジの種類だと、カシミヤと聞けばヤギの毛だと、教えてもらったことを思い出してしまう。


 編み物を再開したのは社会人になってからのことで、きっかけは皮肉にも祖母の死だ。棺桶には祖母とともに美南が編んだマフラーが納められていた。

「わたしが死んだ時には、このマフラーを棺桶に入れてね」

 祖母が祖父に繰り返し伝えていたという言葉を聞き、美南は涙を流した。

「おばあちゃんの編み物の道具、わたしが全部もらってもいい?」

 葬儀の後、祖父に尋ねた。他に欲しがる者はおらず、美南は祖母の使っていた道具を全て譲り受けることができた。

 久しぶりの編み物は上手く進まなかったが、日常のストレスを忘れるほどに没頭した。もっと祖母と一緒に編みたかった、と美南は後悔し続けている。


 買い物で訪れた商業施設で、美南は手紡ぎと運命的に出会う。その日はイベントスペースでヒツジをテーマにした催しが開かれていた。吸い込まれるように近づいていくと、紡ぎ車で作業をする女性の姿がある。美南よりも少し年上の三十代前半のように見えた。手の中にある白いふわふわの毛がスッと糸になっていく様子は、魔法のようだった。

「いらっしゃいませ。ここにある商品は全てうちのヒツジたちの毛を使っているんですよ。よかったら見ていってくださいね」

 衣服や小物だけでなく、毛糸も並んでいる。夫とヒツジの飼育をしており、使用している毛は全て自身の牧場で刈ったものだと話した。

「あの、このコマみたいなものは何ですか?」

「それはスピンドルという糸を紡ぐ道具です。体験もできますよ」

「やってみたいです!」

 美南は迷うことなく答えた。

 スピンドルは軸が長めのコマのような形をしている。それを回転させて羊毛に撚りをかけていく。

「まずは思いっきり回して、繊維が繋がっていく感覚をつかんでみてください」

 手本を見ながら同じように回転させると、指先の羊毛が螺旋状に絡まっていく。スピンドルを回しながら、同じ手でもう片方の手に持っている羊毛を引き出す。

「でこぼこした糸でも、編んでみると良い表情を出してくれたりするんです。世界に一つしかない自分の毛糸。それが手紡ぎの良いところだと思います」

 細くなったり太くなったりと想像以上に難しいと感じたが、美南は夢中になった。安定した太さで紡ぐには練習を重ねるしかない。手紡ぎに魅了された美南はスピンドルと羊毛を購入した。

 仕事で嫌なことがあっても、家で羊毛が待っていると思うと少しだけ気持ちが軽くなる。紡いだ糸で何を編むのか考えると心が弾む。

 

 手紡ぎを始めたことで、美南は羊毛を専門に扱う店があることを知った。店内には色とりどりに染められた羊毛が並ぶ。種類の違うヒツジの毛、無染色の毛やアルパカの毛などもある。宝石箱の中にいるようで胸が高鳴った。初めて祖母と手芸店に毛糸を買いに行った時も同じ気持ちだったと、懐かしく思う。

 単色だけではなく、複数の色を混ぜて紡ぐことの楽しさを覚え、チョコミントだとかイチゴパフェだとか、好きなスイーツのイメージカラーで紡ぐこともあった。

 そうして練習で少しずつ紡いだ糸で、美南は膝掛けを編んだ。世界にたった一枚しかない膝掛けの完成に喜びを感じる一方で、祖母にも見せたかったという切なさも押し寄せた。


 美南はスピンドルだけでは物足りなくなり、紡ぎ車の購入を考えた。スピンドルで一度に紡げる糸の量は少ない。しかし、紡ぎ車は大きさも値段もそれなりにでかい。そんな中で目に入ったのが電動紡ぎ車だ。小旅行用のバッグに収まるようなサイズで、机の上に置いて使える。自身でペダルを踏む必要がなく一定のスピードで回転してくれるため、羊毛を引き出す手に集中できる。そういった利点から、美南は購入を決めた。


 手紡ぎを始めて数年が経ったある日、美南は大人になってから実際にヒツジを見たことがないことに気づく。思い立って観光牧場に足を運ぶと、異なる品種、異なる毛色のヒツジたちがいた。草を食んだり、寝ていたりと、その姿は美南を飽きさせることがなかった。

「みんな、それぞれに自分だけのセーターを着ているみたい」

 ふと美南はそう考える。

 牧場の売店では羊毛の販売もしており、それぞれにヒツジの名前と顔写真が印刷されたタグが付いている。美南はホイップという白いヒツジの毛を購入した。

 すぐに紡げる状態で販売されていたため、帰宅した美南は早速紡ぎ車の準備をし、タグに書かれたヒツジの名前と顔を思い浮かべながら紡いでいく。

 数日かけて出来上がった毛糸で、美南は帽子を編んだ。

「ホイップちゃんとお揃いね」

 ヒツジの温もりを強く感じた美南は、無染色の羊毛を選ぶことが増えた。染色された鮮やかな羊毛も良いが、素朴でヒツジを感じられる羊毛も良いと思うのだ。




「さてと、あとは乾くのを待つだけ」

 湯に浸して撚り止めをした糸をベランダに干す。美南はカフェオレ色の糸を愛おしそうに見つめる。

「いつかわたしも大切な人のために編みたいな」

 世界に一つしかない糸で、自分だけの物を編む。そして、祖母がしてくれたように、美南も誰かと編む未来を思い描いた。

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未来に紡ぐ糸 紗久間 馨 @sakuma_kaoru

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