第12話 「Ⅴ→Ⅵ 3」
『ねぇ、あの時みたいに歌ってよ! 最初に会った時みたいに!』
いつだったか、弦華に言われたことがある。
俺はそれをいつものように断って、その
弦華はいい奴だ。いつも元気で、一緒にいるとこっちまで元気になる。俺の目をまっすぐ見て話してくれる。学校でも学校の外でもおしゃれで、髪なんかツヤツヤだし、おっぱいも大きい。
できることなら、彼女の望みには全部応えてあげたいし、喜ばせてあげたい。
けれど、それでも——
——俺は二度と、人に歌は聞かせない。
痛みと悲しみ。そこにわずかな怒りが混ざって、俺は奥歯を噛み締めた。
*
『電車が到着いたしま〜す。黄色い線の内側に下がってお待ちくださ〜い』
ホーム沿いに立っている駅員の声が、マイクを通して三番線沿いに響き渡る。
直後、「
それから電車に揺られること二十分ほど——俺たちは
「——着いたね! 成城学園前!」
「あのさ弦華、一つ聞いてもいい……?」
「なに?」
「なぜ通学路と反対のこの駅? 今日の内容、いつもの駅でも撮れるよね?」
「ん〜……、まだ内緒! 全部撮り終わったら教えてあげる〜‼︎」
弦華はケラケラと笑って改札を通り抜けた。
——放課後。俺と弦華はMVの最後の撮影のため、わざわざ互いの自宅とは反対方向のこの駅にやってきていた。
約束通り、絵梨歌はいない。今日は二人きりである。
改札を出るとすぐに、駅と
改札の正面に上へ行くためのエスカレーターがあり、俺たちはそれを使って最上階である四階まであがった。あたりを見回すと、ちょっとした木々が植えられた緑のあるスペースがあり、その近くには
「——ここにしよっか」
その一言で、一つ目の撮影ポイントが決まった。
——今日撮影するシーンは二つ。
一つは、主人公の少女がスマホで動画を観ているシーン——これは、動画を通して、主人公が
もう一つは、主人公の女の子が
これまで撮ってきた映像の
撮影するシーンの重さ自体は変わらないはずなのに、ついこれまで以上に身を引き締めて取り組もうとする自分がいるのは、きっと今日が特別だから。
——そうだ。これで、最後なんだ……。
ポン——と、この数日間ですっかり聴き馴染んだ録画開始の音が鳴り、ベンチに座る女子高生の横姿がスマホの画面に写し出される。女子高生と言っても、服装は私服。この撮影のためにあらかじめ持ってきていたらしく、さっきトイレで着替えていた。オーバーサイズの白いスウェットに青いデニムパンツを身にまとい、髪は下ろしている。はたから見たら俺の方が不自然なんじゃないかとふと不安になる。
ともあれ俺は、スマホを覗き込んだ弦華を顔が見切れるような構図で、手元を中心に撮影していく。
——だが、これが思ったような映像にならない。
「ん〜……、正面から撮ってみるとどうかな。あとは、斜めとか……」
納得のいく映像になるまで、何度も試行錯誤を重ねる。これまでもずっと繰り返してきたことだ。
実は放課後の打ち合わせの時も、「なにかに使えるかも」とか「撮影の練習」とか言って、撮影の時間を重ねていた。MVに使わない映像を撮り溜めても仕方ないと思っていたし、そこまで真剣に撮っていたわけでもなかったが、今にして思うとそれらを撮っておいて本当に良かった。MVという
そんな風に自分の意識を「記憶の旅」に回していると、俺の胸はまた苦しくなった。
俺たちはそのまま、このシーンの撮影を続けた。離れて撮ったり近づいて撮ったり、アングルや構図を変えたり、少し場所を変えてみたりと、テイクを重ねた。
やがて時間が経ち、そろそろ川沿いに移動しなくてはという時間になったので、俺たちはこの出会いのシーンの撮影を終え、最後のシーンの撮影のため川沿いへ向かった。
*
「……なんか、ちょこちょこ学生がいるな」
「ね! 近くに学校があるのかな……」
「ちょっと恥ずかしいな」
「アハハ、秀叶
「あ、モスがある。撮影終わったら、帰りに寄らない? ハンバーガー食いたい気分」
「お、いいねぇ! 無事に終わったら、帰りに寄ろう!」
成城学園前駅の南口を出て、
「……ここでいいのか?」
夕暮れをバックに
「うん。ここでいいんだよ」
だが弦華はあっさりとそう答え、そのまま撮影ポイントを
その様子を見て、俺もスマホを構え、絵になりそうな箇所を探す。
「——秀叶〜‼︎ こっち〜! こっち来て〜!」
やがて弦華がまるで最初から知っていたかのような速度で丁度いい場所を見つけ出す。
俺たちは『
——ポン。
川沿いの道を歩く少女を、俺も並走する形でカメラに収める。とはいえ、この撮影ポイントは車が入れない散歩道のようになっており、道幅が狭い。そのため、横から撮るのは
ここで大活躍したのが、
「……どれでいく?」
「ん〜……、『後ろ』からのやつかな。できる限り他のパターンも押さえておきたいんだけど、後ろが最優先!」
「おっけい」
そろそろ空が色づき始める。夕暮れの光は一瞬で変化し、本当に良い条件で撮れる時間はそう長くはない。
「そろそろ本番って感じだな」
「うん……」
「じゃあ、始めようか」
「うん……」
「……大丈夫? なんか、元気なくない?」
「ううん、これでいいの」
——ポン。
それから陽が沈むまでの間、俺と弦華は時間の許す限りテイクを重ねた。
*
太陽は完全に姿を隠し、あたりはすっかり薄暗くなっている。
「……うん! 良い感じ‼︎」
「うん、俺もそう思う」
俺たちは互いに顔を合わせ、大きく笑った。
「やった〜! 撮れた〜‼︎」
「はは、お疲れ! 弦華」
「秀叶こそ、お疲れ様! 今日まで、ほんっとうにありがとう……‼︎」
「何言ってんだよ、まだ終わっちゃいないだろ?」
「まあそうなんだけど……、それでも! 本当に、ありがとう!」
集中状態からの開放感も
「そうだ! 乾杯しようよ! 撮影終わった記念!」
「乾杯って……、ここで?」
「うん! 待ってて! 私、自販機行ってくる!」
「あ、それなら俺も……、って、もう行っちゃったし」
俺は元気よく駆けていく背中を見届け、ジンバルなどの撮影機材を片付け始めた。
——それにしても、終わってみると一瞬だったな。
先ほど自分で弦華に『まだ終わってないだろ』と言ったくせに、一人になるとそんなことを考えてしまう。
「ほんと、長かったような一瞬だったような……」
そう言葉をこぼし、俺はこの数日間を思い返す。
その時ふと、頭の中にメロディーが流れ出した。
——わかってる。
俺は頭でそう考え、湧き上がる
——だが、今日はそれがどうしてもうまくいかなかった。
——ららら〜ら〜、ららら〜ら〜
一度口から漏れ出たメロディーは、その終わり方を忘れるように延々と流れ続ける。
——今だけは。
この、まだ
俺は願いを込めて歌い続ける。
どうか今、この瞬間だけ——
「——秀叶」
バッと振り返ると、そこには弦華がいた。手には缶の三ツ矢サイダーを二本持ち、少し離れたところで立ち止まっている。離れているせいか、
「あ……、おかえり、弦華! 早かったね」
俺は
——それは、強い覚悟を
「……弦華?」
俺が尋ねると、弦華は口元だけでニコリと笑った。
「……ねえ、秀叶。私よく、『軽そう』とか『あっさりしてそう』とか言われるんだけど、ほんとはずっと重くて、執念深い女なんだよ?」
突然の言葉に、俺は意味がわからず沈黙で応える。
「気になった人に話しかける時にはめちゃめちゃ緊張するし、好きになった人のことはとことん知りたいって思う」
静まっていく世界、緊張感が高まっていく。
「……中学三年生の頃、私は一本の動画に出会った。そこで、一人の歌手に出会ったの。……衝撃だった! 私は心から感動して、その歌が大好きになった。そこから私は、その人の動画を全部、何度も何度も繰り返し観て聴いてきたの。何度も何度も……。高校二年生になった今だってそう。その人の歌が、私の中に流れてるの……」
「…………」
「……だからね、そんな私がわからないはずなかったんだ」
風が全身を包み込み、時の流れと混ざり合う。
約束された解決は、予想とは少し違った方向へ——
「ねえ『秀叶』、どうして歌うのをやめちゃったの……?」
——
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