第10話 「Ⅴ→Ⅵ」

 新しい自分になりたい。

 そう願う時、人は大抵無防備むぼうびで、顔を出したばかりの若い芽は悪意も宿さぬ愚鈍ぐどんな人間に踏み潰される。踏み潰された側の人間もまた己の痛覚つうかく愚鈍ぐどんさに酔い、己にとってもまだ小さな芽でしかなかった確かな決意と可能性を軽視けいしし諦める。その芽が自分にとって本当にかけがえのないものだったと気づくのは、大抵は時が流れてから。大半は、気付かれることもなく土にかえる。ただ、踏みにじられた痛みだけを残して。

 ——ならば、本当に、決して潰されたくない大切な想いを抱いた時、人はどう動く?

 自分の中の決意を人に話し、自分が考えていることを赤裸々せきららに語るか?

 ——冗談じゃない。

 また同じことを繰り返すのか? 己の中に生まれた芽の価値を知っているのは己だけだ。それがいかなる価値と可能性を持っているか知っているのも。

 ——ならば、それは決して語れるものではない。己の中で成長し、根を下ろし葉を広げるまで。


     *


 すごいぞ……、三分割構図さんぶんかつこうずってやつは……‼︎

 翌日、火曜日の放課後。構えたスマホに表示された映像を見て俺は興奮していた。

 土曜日、うまく撮影できなかったことを悔しく思った俺は、それからの数日間で映像の撮影についてネットでリサーチを重ねていた。その結果、『構図こうず』の意識がないことが、俺の撮った映像を素人っぽく見せている原因だということがわかった。

 これまで持っていなかった武器を手にした俺は、これまで自分が何気なくシャッターを切ってきた写真を『構図』の視点から分析し、トリミング機能を使って構図を整える練習などを重ねることで『構図』に関する理解を深めた。

 加えて昨日のパンケーキ屋での気づき、光の重要性。

 ——それらを総動員して臨んだ今日。

 この間とは明らかに質の変わった映像を目の当たりに、俺は嬉しくなっていた。

「あ、良いじゃん! なんか良い感じ!」

「だ……、だよな‼︎ いや実は、この間の撮影のあと自分で色々調べてみてさ——」

 弦華からの反応も良く、俺はつい興奮のままに自分が得た知識や意識したポイントについて語り出してしまう。それを弦華はとても面白そうに、目を輝かせて一緒に面白がってくれるものだから、俺はますます息を走らせる。

「二人とも! いつまで話してるの、早く次の撮影場所行くよ! そのうち太陽だって沈んじゃうんだから!」

 絵梨歌が、腹にえかねた様子で叫ぶ。

 プリプリした調子で自分だけ先に歩きだす絵梨歌を見て、俺はなんだか笑えてきた。

「……よし! 絵梨歌の言う通りだ、この調子で次の場所に行こう!」

「うん! よ〜し‼︎ 頑張るぞぉ〜‼︎」

 そうして俺たちは今日の撮影場所に向かって歩き始めた。


「——あれ? 弦華じゃん」


 背後からの声で、俺は足を止めた。隣にいる弦華から伝わる緊張感を認識するよりも早く、俺は後ろを振り返っていた。

 見るとそこには、いつも弦華が一緒にいる女子たち——今日弦華が誘いを断った女子たちが不思議そうな顔をして立っていた。

「……カレン。マミ、リョウ、ホノカまで……」

 そのか弱いトーンで、俺はようやく弦華のピンチに気づく。

 瞬間的に思い出したのは、いつかの教室での言葉。

『——弦華、最近付き合い悪いよね〜』

 それは、確かに悪い予兆よちょうだった。弦華は友達付き合いを犠牲にして、このMV制作に集中していたのだ。いくら学校では普段通りに振る舞おうとしていても、彼女達の疑念は日毎ひごとに大きくなっていただろう。それでも弦華は誤魔化し続けた。それだけ、『生まれたばかりの若い芽』をさらすことは弦華にとって恐ろしいことだったのだ。

 だが今、その誤魔化しが効かないところまで来てしまった。弦華は説明しなくてはならない。笑顔の裏で確かな疑惑を放っている彼女達に対して、おそらく納得してくれないと知りながら、自分の秘密を打ち明けなくてはならない。それは、ひどく苦しいことだ。そんなことは、誰も望んではいないはずだ。少なくとも俺は。

 ——だからこの時、俺はすでにスイッチが入っていた。

「……今日、用事あるとか言ってなかったっけ。え、こんなところで何してんの?」

 気がつけば、カレンと呼ばれる女子が弦華をやんわりと問い詰めている。

「えっと……、それは……」

 完全に不意をつかれた弦華は、それにうまく返事ができていない。

 まだ口を開いていない他の女子三人も含めて、彼女達は疑惑半分というところだろう。彼女達は待っている——みんなが納得できる、一ノ瀬弦華らしいもっともな理由が説明されることを。

 ——いいだろう。ならばその理由、俺が提供してみせる。


「——え、一ノ瀬さん今日わざわざ友達の誘い断ってきてくれてたの? ごめん! 俺ぜんぜん気が付かなかった……! 皆さんも、ごめんなさい!」

 突然声をあげた謎のクラスメイトに、その場にいる全員の視線が集まる。

 俺は大げさな調子から改まった真面目なトーンに切り替えて自分のターンを続ける。

「……実は、最近一ノ瀬さんに歌を教えてもらってるんです。放課後、カラオケとかでこっそりと。ほら! この前の音楽の時、一ノ瀬さんすごく上手だったから!」

 隣から息を呑む音が聞こえてくる。

「それで次の日、一ノ瀬さんに頼み込んで、それからちょこちょこと見てもらってたんです。多分、俺があまりに下手くそだから一ノ瀬さんこっちを優先してくれちゃったんだと思う……、ハハハ。ごめんね一ノ瀬さん、言ってくれればよかったのに……」

「え、と……」

 弦華は何が何だかわからない、という顔で俺の目を見る。どうやら弦華の便乗びんじょうは期待できそうにないので、俺は一人で演じ切ることを決める。

 ——時には道化師が必要だ。例えばそれは、誰かを守るとき。

「あっ、そういうことだったんだ!」

 振り返ると、納得がいったような顔がそこにあった。

「わかる、確かに弦華は歌がうまい……」

「っていうか野中くん、なんで敬語? ウケるんだけど!」

 俺は大げさに、ちょうどイジりやすいくらいの照れ笑いをして見せる。

「でも野中くん、見かけによらず結構大胆なことするね〜! なかなか、そこまでできる男子もいないよ〜?」

 四人の中で一番チャラチャラしている女の子が、軽いトーンでそう言う。

「弦華も、そこまで熱心に付き合うって結構すごくない? ……え、あれ? もしかして今、私余計なこと言った?」

 四人の中では比較的ポワポワしている女の子が、持ち前の天然らしさでそう言う。

 ——おっとそうきたか。そのあたりの期待は、ここで断ち切っておいた方がいいな。

「あ〜、そこはあんまり触れないでもらえると……。実は前に一度、勘違いした勢いで調子乗って告白みたいのしちゃってて、そこできっぱりフラれてるんですよね……」

「——なっ⁈ ちょっ、秀叶?」

 あ、ごめん弦華。でも今その呼び方はちょっとややこしい!

「え〜! ヤバ! そうだったんだ! なんかごめんね、変なこと言っちゃって」

「ってか野中も、フラれた相手に教わり続けるメンタルえぐいな」

「アハハ! ってか、歌の方はマジだったんかい!」

「真面目……。そこは好感持てる」

 良かった、弦華の声の方はちゃんと聞こえてなかったみたいだな。

「そっか〜、じゃあ何? 今はその帰り?」

「まあそんなところかな。これから楽器屋に楽譜とか探しに行こうとしてたとこで……」

「あ〜そうだったんだ。まあじゃあ私らも退散するわ。またね野中くん。弦華も、また明日!」

「じゃね〜」「野中、頑張れよ……!」「二人ともまたね〜!」


 彼女達が去るのを見届けてから、俺はふうと息を吐いた。

「……悪いな弦華。面倒なことにしちまって」

「……ううん、むしろありがとう。……でも、なんで?」

「ん?」

「なんであんな嘘ついたの⁈ あんなこと言ったら、秀叶が誤解されちゃうじゃん! 私の秘密を守るために、秀叶が犠牲になることないじゃん! なのに、どうして……」

 突然の大声に、俺は目を丸くする。

「……いやそれは、ああしたほうが全体が丸く収まると思ったからで……。気を悪くさせたなら謝る、ごめん」

 俺が頭を下げると、弦華は口元をぎゅっとしてどこか泣きそうな表情をした。

「なんで……。違うよ、私はそういうことが言いたかったんじゃなくて……、だって秀叶は何も……」

「——二人とも! 何してるの?」

 そこに、ひと足先に目的地へ向かっていた絵梨歌が戻ってくる。俺はこの微妙な空気をどう説明しようかと焦ったが、絵梨歌の目はなぜか不思議なほどに冷静だった。

「え、絵梨歌……! 悪い、遅くなって……。いま行く!」

「——ううん、それは大丈夫。……でも私、ちょっと喉が乾いちゃった。秀叶くん、ちょっと飲み物を買ってきてもらえないかな? お金は渡すから」

 絵梨歌はそう言って、俺に百円玉を二枚渡してくる。

「お、おうわかった。水とかでいいのか?」

「——ファンタグレープがいい。近くにあるかわからないけど、向こうのコンビニにはあったはずだから、そこまで行ってきてもらえる……?」

 それは絵梨歌にしては珍しく面倒なお願いだった。だがその声には有無を言わさぬ力があり、俺は気づけば「わかった」と言って歩き出していた。


「——はい、ファンタグレープ。あとお釣りね。……あれ、弦華は?」

 先ほどの場所に戻ると、なぜか弦華の姿がどこにもなかった。絵梨歌は俺からファンタのペットボトルを受け取ると、キャップを回しそれを一口飲んだ。

「……ありがとう。お釣りはあげる。安いけど、お駄賃だちん。……弦華ちゃんは、帰ったよ」

「帰った⁈」

 思わぬ言葉に、俺は声をあげる。

「まだ撮影も終わってないのに、どうして……?」

 絵梨歌は目を合わせぬままファンタをもう一口飲み、どこか遠くを見つめたまま口を開いた。

「さあ……。でも多分、私のせい、かな」

「絵梨歌の……?」

 絵梨歌はペットボトルのキャップをしめ、こちらを振り返ってわずかに目を細めた。

「『感謝してる』って。弦華ちゃん、そう言ってたよ」

「え?」

「……それだけ。じゃあね、また明日学校で」

 それだけ言い残して、絵梨歌は駅の方へと去っていった。

 俺はなぜだか追いかける気にならなくて、座ったまま遠のく背中をずっと眺めていた。

 絵梨歌が最後、どんな顔をしていたのか思い出すことはできない。

 けれど、それがどこか寂しそうな感情を宿していたことだけは、確かにこの心で記憶していた。

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