第7話 「倚音 2」
——
だから、彼女はクラスメイトの誰よりも鮮明で、
*
キーンコーンカーンコーン、キーンコーンカーンコーン。
教室の
お昼休み。俺と弦華は、そんな春風を感じるこの教室で窓の方を向いて横並びになり、昨日録音した音源を確認していた。ちなみに今は、弦華が両耳にイヤホンを突っ込んでいる。片耳ずつで聴く、みたいなのは録音の確認としてはナンセンスだ。
お昼休みをこうして二人で過ごすのは、何気に初めてである。いつもは友達とお昼を食べている弦華が、わざわざ断りを入れてまでやってきた場所がこの教室。もちろんそれは彼女がそれだけこのMVに真剣に取り組んでいるというだけの話で、俺自身は一切関係のない話なのだが、それでも彼女が俺と過ごすお昼を選んだという事実になんだか嬉しくなってしまう俺は、例に漏れることなくバカな男子高校生の一人だと思う。
「……うん! 前の録音よりずっと良い! でもなんか、自分の未熟な部分とかもハッキリ録れてるから恥ずかしいというか、もっとしっかりしなきゃ! ってなるね」
弦華は「アハハ……」と苦笑いをしながらイヤホンを机に置いた。
「まあ自分の演奏を聴くのって、慣れるもんじゃないよな……。でもまあ、それで新しい意識が芽生えたなら良いじゃん。それにこの演奏、俺は結構良いと思う。弦華の歌の空気感を捉えてて、MVに使えるクオリティになってると思うよ」
俺はそう言って画面に表示されたファイルを見た。
『itoka 01』——昨日録ったいくつかのテイクの中で、一番最初に録った演奏のファイル名である。悪くない演奏は他にもあったし、ミスやほころびがより少ない整った演奏は他にもあった。だがそれでも、最初のテイクの空気感とエネルギーは、他のどのテイクよりも魅力的だった。
結果、俺たちはこの一番最初のテイクをMVに使うことを決めたのだった。
「——音源も出来たし、いよいよMVの撮影だね!」
「そうだな。撮るものは決まったのか? この前はまだ形になってないって……」
「——ジャジャーン!」
弦華は脇から一冊のノートを取り出し、それを俺の目の前に突き出した。
「ちゃんと書いてきたよ! どんな絵をどういう順番で並べるとか、どんな意味をこめたいかとか、そういうイメージを書き出してきた!」
弦華はそう言って、取り出したノートを机の上に広げた。
「おお……、結構早いな。まだ二日しか経ってないっていうのに」
「何だかテンション上がっちゃって、最近毎日夢中で描いてたの! それに、もともとイメージはあったからね」
「……見ていい?」
「うん、もちろん!」
そのノートには、まず撮りたいものをざっくばらんに書き出したページ、それを縦書きで整理して並べたページ、それから、それを曲のどのパートにつけるかを示す絵コンテのようなものが描かれているページが並んでいた。
「……良いね、すごく良いと思う」
「ほんと? よかったぁ……」
「ただこの想定だと、それなりに人が通る場所でのロケも必要になりそうだな。やっぱり、もう一人お手伝いがいた方がいいか……」
弦華側からもう一人連れてこれるだろうか? いや、そもそもそれが出来ないから俺がカメラマンに選ばれたんじゃないか。……となると、やはりもう一人は俺が連れてくることになる。俺の知り合いで、こういう頼み事をできる人間となると——
——ガチャン。
入り口の方で何かが落ちる音がして、俺たちは振り向いた。
「……しゅ、秀叶くん? それに一ノ瀬さんも……。こんなところで、二人っきりで何してるの……?」
「あ……」
そこには、ブレザーのボタンをきっちり閉めた、黒髪ショートボブの、クラスで密かにロリ顔認定されている女の子、
「……絵梨歌、違うんだこれは——」
「——違う? お昼休みにわざわざ教室抜け出して、わざわざこの秘密の部屋で待ち合わせして、二人で肩並べて楽しそうに話してるこの状況の、一体何が違うっていうの⁈」
絵梨歌は目にうっすら涙を浮かべながら、激しい口調で言葉を畳み掛ける。
「だから違うんだって、これには事情が——」
そこまで口にしたところで、俺は弦華の方を見た。
もともと、人には話せなかったという事情で俺に協力を求めてきた彼女だ。そんな秘密を、俺が不用意に明かすわけにはいかないだろう。一方で、絵梨歌にはあの呼び出された日のお昼以来、詳しい話を何もしていなかった。絵梨歌が誤解するのも仕方ないだろう。もし、弦華が俺なんかと恋仲だなんていう情報が広まってしまったら、弦華にどんな被害が出るかわからない。
——俺は悩んだ結果、絵梨歌を取り込むことを選んだ。
「……すまん弦華。絵梨歌は俺の友達で、時々ここでお昼を食べるような関係なんだ。だからこの場所を知ってた。俺から見て、絵梨歌は信用できるやつなんだ。だから、俺たちの話、正直に話してもいいか……?」
弦華は俺と絵梨歌を交互に見つめて、それからフッと笑って口を開いた。
「わかった、信じるよ! 江下さんのクラスでの様子は私も知ってるし、普段一緒にいる女の子たちとは違うって言うのもわかる。何より、秀叶の友達だっていうなら、私も信用するよ!」
「い、弦華? 秀叶……?」
「ありがとう、弦華」
俺は振り返り、顔を真っ赤にして泣きそうになっている絵梨歌に歩み寄った。
「説明が遅くなってすまん……。全部話すから、とりあえず一度こっちにきて座ってくれないか……?」
続くように弦華も立ち上がり、絵梨歌の足元に落ちた弁当箱の包みを拾い上げた。
「ごめんね江下さん、そんな悲しそうな顔をしないで? こっちで一緒にお話ししよ!」
弦華の優しい笑顔を見て、絵梨歌は警戒するようにゆっくりと頷いた。
*
「——ということがあったんだ」
俺はあの呼び出された日の話、弦華のMV制作を手伝うことになった話、そのための打ち合わせを重ねていたこの三日間の話をした。
「ふーん? そうだったんだ……」
だが、意外にも絵梨歌の表情はトゲトゲしいままである。
「え、絵梨歌……? 全然納得してなさそうだけど……」
「別に? 隠し事されてたことなんて気にしてないよ? ただ、秀叶くんが女の子のために何かしようとするなんて、珍しいなあと思っただけ。ましてやMVなんて……」
「……なんか怒ってる?」
俺が恐る恐るそう聞くと、絵梨歌は俺の方をチラリと見て、「フフン」と笑った。
「……貸しだからね! その代わり、いつか私がお願いをした時にも話聞くこと!」
いつもの調子を取り戻したそのしたり顔を見て、俺もニヤリと笑った。
「……ああ、まかせろ!」
「なんか、二人とも仲良いんだね! 知らなかった!」
そんな会話を近くで聞いていた弦華が、楽しそうなトーンでそう言った。
「まあな。俺と絵梨歌は一年生の頃からクラスが同じで、その頃からよく話してたんだ」
「そうだったんだ、一年生の頃から……。改めまして、一ノ瀬弦華です! よろしく、江下さん」
「——えっ、あ、え、江下絵梨歌です。よろしく……、一ノ瀬さん」
急に弦華に視線を向けられ、絵梨歌は尻すぼみ気味にそう言った。
「ちゃんと話すのは初めてだよね? いやぁ、まさか会話する前に秘密を知られるなんて、ミラクルは続くものだねぇ……」
弦華はなぜか、ジジイくさいトーンでそう言う。
「えっと、そ、そう……、だね……」
一方の絵梨歌は、初対面の人との会話にすっかり緊張してしまっている。俺と話している時のフランクな姿を見られたこともあって、余計に距離感が掴めないんだろう。
俺は助け舟の役割も兼ねて、口を挟むことにした。
「……弦華、俺から一つ提案があるんだけど」
「なに? 秀叶」
「絵梨歌に、MVのロケのスタッフをやってもらうっていうのはどうかな?」
「え?」
「——なっ⁉︎」
予想通りというべきか、二人は驚いた顔をした。
「——な、何言ってるの⁈ 私、別に関係ないじゃん! 一ノ瀬さんとも今日初めて話したくらいだし、私が関わるのは、へ、変だって……」
「——いいや、そんなことはない。あのタイミングで部屋にやってきた絵梨歌を見た瞬間、俺は確信したんだ。『ああ、この子が三人目か……』ってな!」
「——変なこと確信しないで!」
俺のふざけた発言にもすかさず反応してくる。そうだよ、やっぱり江下絵梨歌はこう出なくっちゃ。
「別にふざけてるわけじゃないぞ? 言っただろ? 俺が声をかけられた理由。むしろ、これまであまり関わったことがないから良いんだよ。……なあ弦華?」
「え? あはは、うんそうだね! まさにその通りだよ! ……江下さん、もし良かったら、MV制作のために協力してもらえないかな……?」
「う、またそうやって……。なんで私が……」
絵梨歌はなんだか顔をしかめて、うつむき加減でそう言った。
その拗ねたような怒ったような悲しいような顔を見て、俺は再び絵梨歌に声をかける。
「頼む絵梨歌! この通り!」
顔の前で手を合わせ、精一杯の想いを込めて頼み込んだ。
「秀叶くん……。でも——」
「もし江下さんに手伝ってもらえなかったら、私と秀叶の二人だけで色々な場所を回ることになる。でも二人だけだと、人避けとか色々大変なことも起きると思うの! だから、江下さんに手伝ってもらえたらすごく嬉しいんだけど……」
弦華の言葉で、絵梨歌は何かに気がついたように固まった。
「——もちろん、放課後とか場合によっては休日とか、そういう貴重な時間に付き合わせちゃうかもしれない……。でもだからこそ、色んな人といた方が楽しいというか——」
「——やる」
「「え?」」
「やります、お手伝い。私にも、MV制作の手伝いをさせてください」
突然の返事に、俺と弦華は固まる。
「……なんで急に?」
「秀叶くん達が頼んできたんでしょ? 気が変わったの! ……これ以上二人だけの時間を作らせてたまるもんか」
「え? なんだって?」
「なんでもない!」
わけがわからず頬をかく俺の前で、弦華が絵梨歌に飛びついた。
「きゃっ!」
「——ほんと⁈ ほんとに手伝ってくれるの⁈ 嬉しい‼︎ ありがとう!」
「ほ、ほんと、ほんとだから……、は、離れてぇ……」
なんとか倒れずに持ち堪えた絵梨歌も、普段はなかなかない距離感に困惑している。
「ありがとう〜‼︎ そうだ! 私も、絵梨歌って呼んでもいい?」
「えっ……」
「絵梨歌も私のこと、弦華って呼んでよ!」
「うぅ〜……」
弦華からの強い圧を受けて、やがて絵梨歌は覚悟を決めたように、なかば降参したように、「ハァ」と息を吐いた。
「うん、わかった……。よろしくね、弦華ちゃん」
「——うん! よろしく、絵梨歌!」
そう言って弦華はピョンピョンと飛び跳ねた。
ともあれ——
「……これで、スタッフ問題は解決だな」
「うん! 女の子の仲間が増えて私も嬉しい! やっぱり男の子の部屋に一人で入るのは、私も緊張したから、さ……」
「——いや、そんな雰囲気まったくなかったよね⁈ 録音終わった後は結構くつろいで、なんなら部屋の物色してたよね⁈」
「秀叶くん……?」
「アハハハ! 今度は絵梨歌も一緒に行こうね、秀叶の部屋!」
ピースを突き出す明るいオーラのすぐ横で、深く暗いオーラがこちらをジトっと睨んでいた。
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