第3話 「ドミナントセブン 2」
ドミナントセブン、
その夜届いたメッセージは、まさにそんなものだった。
『明日の放課後、時間ある?』
夕飯を済ませ、部屋のベッドに転がってスマホを開いた俺は、そのメッセージを見て驚いた。差出人は、一ノ瀬弦華。友達ではないユーザーからのメッセージであることを示す文字が、トーク画面の上側に表示されていた。
「マジか……」
ひとまず俺は「追加」の文字をタップし、状況の整理を試みる。
ふむ、メッセージが届いたのは一分前……。
……一分前⁈
——スコン。
『ちょっと話したいことがあるんだ』
——スコン。
『学校終わったら、ここで待ち合わせしよ!』
——スコン。
『(位置情報のリンク)』
「——ちょいちょいちょい‼︎」
メッセージを確認した時点で起き上がっていた俺は、そこからさらにベッドの上で立ち上がり、スマホと睨めっこした。
やばい、即既読! ——っていうか、はいぃ⁈ 放課後呼び出された⁈ なんで⁈ 話って何⁈ これ、どう返事したらいいの⁈
自己紹介も何もなく、突然の呼び出し。もちろん、これがあの一ノ瀬弦華さんであることは間違いない。けれど、情報がなさすぎる。今日、強引に会話を終わらせて帰ってしまったこともあり、なんなら少し気まずい。
早めに返信を打たないと変な風に思われる、と少しテンパったところで、
——ふと、ある考えに行き着く。
「……もしかして、あの時の」
放課後の空き教室で、一ノ瀬さんが言いかけていた何か——。
もしかしたら、彼女はそれについて話したいのかもしれない。
「……まあ、なんでもいいか」
どちらにしろ、俺に与えられた選択肢は二つ。応じるか断るか、それだけだ。
俺は部活にも入っていなければ、早く家に帰りたい用事があるわけでもない。明日も放課後は特に予定はない。ならば断る理由はない。
相手が自分の苦手な人だったならそれが理由になるかもしれないが、一ノ瀬さんに対してそんな意識は全くない。むしろ、話せるなら話してみたいくらいだ。
俺は少し考えた上で——
『特に予定はないよ
わかった。遅れそうになったら連絡する』
と、立て続けに二つのメッセージを送信した。それらはすぐに既読となり、やがて柔らかいタッチで描かれた謎の二頭身おじさんのスタンプが送られてきた。
「……まいったねこりゃ」
なんでもない話かもしれない。もしかしたら、俺だけじゃなくて複数人に声をかけているのかもしれない。期待しすぎてはいけない。それでも——。
その日は、なんだかソワソワして眠れなかった。
*
「おはよ〜」「おはよっ」
「よっ」「うす!」
ホームルーム前の朝の教室では、生徒たちがそれぞれ挨拶を交わして学校での一日をスタートさせている。俺はそんな彼らをよそに、ひとり窓の外を眺めていた。
俺の席は窓際の一番後ろの席。二階にあるこの教室の窓からは、校庭とその先にある公園がよく見える。ちなみに公園と呼んだそこは敷地内にスタジアムもあるとても大きな公園で、夏になると高校生が野球の試合を行ったりもする。アイススケートができる施設もあったりして、俺はあまり行かないが実はかなり楽しい場所なのかもしれない。
今日の天気は晴れ。数ヶ月前まではモノトーンだったグラウンドや公園の景色が、今は鮮やかに色づいている。
——季節が回った。そう実感するこの瞬間がたまらなく好きだ。それは例えば空気の匂いが変わった時だったり、夜が少し遅れてやってきた時だったりもする。
この、新学期特有のふわふわとしたコミュニケーションもその一つだ。学年が変わり、クラスのメンバーが変わったことで生徒達はどうしても浮き足立つ。これまで話しかけたこともない人に話しかけてみたり、逆に話しかけられたことに驚きながら会話を始めたり、本当は馬が合わない二人がまだそうと知らず笑いあっていることもあれば、ゆくゆく親友となる人と出会っていたりもする。——それが新学期。
そして俺は、そんな彼らをクラスの後ろの方から一人で見守っている。
俺は決して人見知りではない。誰とでも明るく話せる方だし、むしろコミュ力は高い方だと思う。けれど、それはあくまで生きていく中で身につけた俺の外面。根本にある俺は、とても内向的な人間なのだと思う。小学校の頃はよくいじめられていたし、自分の気持ちを人に伝えるのが苦手だった。そんな俺が変わっていけたのは、たぶん父さんの言葉があったからだと思う。
『強さとは、優しさだ』
いつだったか、夕暮れに染まる空の下で父さんがそう言った。涙を拭っていた小さな俺に、その言葉は深く刻まれた。そしてそれは、俺を形づくる忘れられない言葉となった。
それから俺は、少しずつ変わっていった。今では、友達だってそれなりにいる。決して多くはないが、胸のうちを分け合ったような大切な存在もできた。
ふと振り返ると、すべてが積み重なった上に今があるんだな、なんて、感傷的なもの思いにふけってしまう。急にどうした、と自分でツッコミを入れる。春風があまりに気持ちいいからだろうか。それとも、これも新学期の力だろうか。
——昨日、あの歌を歌ったからだろうな。
俺はクラスの後ろで人知れず、口角をわずかに持ち上げ
昨日、家に帰った俺は歌を歌った。俺にとって一番大切な曲を歌った。思えば、歌うこと自体久しぶりだったかも知れない。
なぜ歌ったのか、そのきっかけは明確だ。
そうして俺が、二つの教室での風景を思い浮かべた瞬間——
「——おはよっ!」
朝とは思えない元気な第一声とともに、一人の少女が教室に入ってきた。
トレードマークとも言える色素の薄い栗色のミディアムヘアを揺らし、清楚と茶目っ気を四対六の割合で処方したような親しみやすい制服の着崩し方をし、日本人男子の理想(俺調べ)を体現したような柔らか曲線をその白いワイシャツの下に隠して、笑顔で友達に手を振る。そんな彼女に気づいた女子三人も、笑顔で彼女に応えた。
「おはよ弦華! 今日いつもより遅かったね」
「アハハ、実は寄り道しちゃって……。腰の悪そうなお婆さんをおぶって横断歩道渡ってたら迷子の男の子を見つけて、その子の母親を探してたら遅くなっちゃった」
一ノ瀬さんはペカーッという笑顔でそう言う。
「いや弦華、その嘘適当すぎ!」
「結局お母さんは見つからなかったんだけど、その子のガールフレンドだっていう女の子が見つかって、男の子は無事帰ることができたんだよね……」
「まだ続けてるし!」
「ってか、それどういう状況だよ」
「そんな二人を、私たちはニッコリ見守ってたんだ……」
「いや、お婆さんまだいたんかい!」
「帰してあげなよ……、腰悪いんだから」
「大丈夫だよ! 私がずっとおぶってたから!」
「……あんたが腰悪くするよ?」
「そんときはケンタにでもおぶってもらいな。ね、ケンタ!」
その呼びかけで、近くにいたバスケ部の男子が流れるように会話に加わる。
「おう、任せろ弦華! 俺がどこまでだって運んでやるぜ!」
「……ごめんなさい?」
一ノ瀬さんは首を傾げるようにしてそう言った。
「——おいい! カレンのせいで振られたじゃねぇか!」
「アハハハハ! やばい! おもしろすぎる!」
「しゅ、瞬殺……、アハハハハ!」
「……あんたら、いつまで弦華の冗談で盛り上がってるの」
ここまで会話に加わっていなかったボーイッシュな女の子がようやく口を挟む。
「……本当のことだよ?」
「あーはいはい、わかったわかった。それよりさっきの続き、今日の放課後どうするの?」
話題を切り替えたその女子生徒に、一ノ瀬さんはそっと背後から近づいて脇腹をくすぐり始めた。
「——ちょ、おい弦華!」
「も〜、リョウはノリ悪いなぁ〜。そんなリョウには、コチョこちょコチョ〜‼︎」
「アハ! おい、ちょ! やめろって! この——」
すかさず振り返ったボーイッシュな女子生徒が、反撃に出る。
「あっ、ちょっ! いや、アハハハ! ちょっ、待ってリョウ!」
「うるさいお返しだ! コチョこちょコチョ〜‼︎」
今度は一ノ瀬さんの笑い声がクラス中に響く。
なんでもいいけど君たち、それ人によっては刺激物だから扱いには注意してね……。
「あーもうハイおしまい! リョウも言ってた通りだよ、放課後のこと決めよ!」
「そうだった、早く決めよう」
そう言ってくすぐり合戦が終わる。
「た、助かった……。ありがとカレン」
「もう、弦華は相変わらずなんだから」
「アハハ……」
ようやく落ち着いた彼女達は、前の方の机に集まって話を続ける。
「それで放課後なんだけど——」
「——あ、ごめん。私、今日はいけない!」
「え、弦華まじ?」
さっきまでのケタケタした雰囲気とは一変、スッと手を挙げたのは一ノ瀬さんだった。
「うん、今日の放課後はちょっと予定があるの。ごめんね……‼︎」
そう言って彼女は胸の前で手を合わせる。
「そっか……、そしたらどうしよっかな」
「——人数が足りないなら、俺が行こうか? 部活今日自主練だし!」
「うっさいケンタ消えろ!」
「言い方キツすぎない⁈」
再び笑いが彼女達を包んだ。
その様子を見ながら、俺は一人目を丸くしていた。
——一ノ瀬さんの予定って、もしかしなくても、俺……、だよな……。
わざわざ友達の誘いを断って、そうまで俺に話したいことって、一体なんなんだ……?
やがてチャイムがなり先生が教室に入ってくる。
四限が体育に変更になったことを俺が知ったのは、実際に四限になってからだった。
*
——キーンコーンカーンコーン、キーンコーンカーンコーン。
四限の終了を告げるチャイムが校舎中に響き渡り、生徒たちは意気揚々と席を立つ。ある者は友達の元へ向かい、ある者はお弁当を取り出し、ある者は購買へと走る。
ちなみに、ここ
ともあれ、学生にとってお昼は憩いの時間。しかも、小中学生と違い高校生には場所とメニューを自分で選べるという自由が与えられている。好きな場所で、好きなものを食べる時間を、好きな人と分かち合う。今でこそ当たり前に感じているが、高校入学当初はとても感動したものだ。中庭でご飯を食べた時なんて「こういうの本当にあるんだ!」とはしゃいでしまった。
——そんなことを思いながら、俺は例の空き教室で一人、流れる雲を眺めている。
昨晩、メッセージで一ノ瀬さんと放課後に会う約束をした俺は、なんとなく一ノ瀬さんを避けていた。放課後を迎えるまでは、彼女と会話をしたくなかったのである。
そのため、彼女がいる教室でご飯を食べる気にはならず、こうして誰もいない秘密の隠れ家にやってきているのだった。
「何してんだろ、俺」
俺は自販機で買った柑橘系の炭酸飲料のボトルを口にあて傾けた。
——一ノ瀬弦華さん。
二年生になってから初めて同じクラスになった女の子で、クラスでも一番目立ったグループのメンバーの一人。人当たりがよく、彼女の周りにはいつも人が集まっている。話す声はいつも明るく、笑顔が絶えることはない。初対面の人だろうとクラスの端の方にいる人だろうと、変わらず接することができるほどのコミュニケーション能力を持ち、オシャレにも気を遣っているため隙がない。よく俺とお昼を一緒にする男友達も、一ノ瀬さんは可愛いと連呼していた。
これまでまともに話したことはなかったが、昨日彼女が歌っているのを聴いて、きっと優しい人なんだろうと思った。そして昨日、この教室で初めて声をかけられた。その瞳で見つめられた時、思わずドキッとしてしまったことを覚えている。
正直今は、その声と仕草、服装と、膨らんだ胸のことしか思い出せないのだが……。
——バカにするのか? あいにくだが、これは抗えない「サガ」ってやつだ。
ともかく、俺は少し緊張していた。そして同時に、どこかワクワクもしていた。
一体何を言われるのだろう? どうして俺を呼んだのだろう? どんな話ができるんだろう? 仲良くなれるだろうか? 待ち合わせ場所に行ったらなんと言う? こちらから話題を切り出した方がいいのだろうか? 向こうが話し始めるのを待つ?
そんなことを考えながら、手に持ったおにぎりに次の一口を向けたところで——
——ガラッ。
前の扉が開き、ふんわりとした黒髪ショートの女子生徒が顔を覗かせた。
「秀叶くん、やっぱりここだった……」
「
「フフフ、これでも私は、秀叶くんの親友だからね——キャッ!」
「——あ! おいっ!」
何もないような場所でつまずいた彼女に、俺は慌てて駆け寄る。
「いてて……。あ、ご、ごめん! 大丈夫だよ」
どこか照れくさそうな雰囲気で俺に笑いかけてきたこの少女は、
身長は俺よりも二十センチほど低い一五〇センチ。全体的に細く繊細な体つきをしていて、運動よりも読書が好きそうなタイプに思える。実際、絵梨歌は一年生の頃からずっと図書委員で、俺とも教室より図書室で顔を合わせていた。あまり活発な方ではなく、静かで大人しいことが多いため、クラスではあまり目立たない方だ。だがそれでも、どこか幼さを感じさせる柔らかな頬と人一倍優しい目つき、ちょこんとした鼻がとてもバランスよく配置された一部の人にはたまらない可愛い顔つきをしているらしく、「俺、意外とアイツのこと可愛いと思ってるんだよね」という言葉の後に挙げられる名前ランキングトップ3に入っている。
ちなみに、幼さというイメージに引っ張られているのか、胸の膨らみも控えめだ。
「今日委員会は?」
「休みなの。秀叶くんこそどうしたの? 一人でお昼なんて、あんまりないよね?」
絵梨歌は俺の横に座り、膝の上でお弁当の
「……まあ、ちょっと色々あってな」
「ふーん? そうなんだ……」
俺たちは並んでおにぎりを頬張った。
「あ、これシャケだ。ふふ、ラッキー……!」
絵梨歌はつぶやくように言ってはにかむ。
友達が少なく、クラスでも黙っていることの多い彼女は、一見すると暗い女の子に見える。けれど、そんな彼女がたまに見せるこの笑顔が、多くの男子をとりこにしているのだという。
——それはそれとして、
「……絵梨歌、一ノ瀬さんってどんな人だと思う?」
その言葉で、絵梨歌はピタッと動きを止めた。
「……それは、今日お昼がここだったのと関係ある話?」
「まあ、ある……」
「そ、そっか。一ノ瀬さん、一ノ瀬さんね……。どうしてそんなこと聞くの?」
絵梨歌はおにぎりを包んでいたラップをギュッと右手で握りつぶして巾着袋に入れた。
「実は昨日さ、一ノ瀬さんに呼び出されたんだ。それで今日の放課後、町田で待ち合わせてる」
その言葉で、絵梨歌の膝から巾着袋が落ちる。
「——呼び出し⁈ それってもしかして……、告白っ、なんじゃ……‼︎」
「——それはない! ありえないだろ! ……変なこと言うなよ」
「……秀叶くん、なんでちょっと嬉しそうなの?」
「え……」
絵梨歌はジト目で俺を睨みつけくる。俺はそこから目を逸らし続けた。
「いや、ともかく! 俺にも理由がまったくわからなくてさ、一ノ瀬さんのこともほとんど知らないし、何かヒントをもらえれば、と思って……」
俺がそう言うと、絵梨歌は心底つまらなそうに巾着袋を拾い上げ、それから静かに口を開いた。
「……私だって、あの子とは仲良くない。だから、秀叶くんが知っている以上のことは知らないと思う」
「……そっか。まあそうだよな」
「——でも、私は一ノ瀬さんを怖いと思うことがあるよ。人と接するのが上手で、いつも楽しそうで、明るくて——怖い。本心がどこにあるのか見えなくて、ものすごい嘘つきみたいで、怖い。私は、ああはなれないから……」
絵梨歌は俯きがちにそう言って、拳を握りしめた。
俺はそんな絵梨歌の様子をジッと見つめて、やがてフーッと息を吐いた。
「……なるほどな、そういう見方もあるのか。ありがとう絵梨歌。おかげで、考えても無駄ってことがよくわかった」
「あ、ごめん。変なこと言って、あんまり役に立たなかったよね?」
「いや、いいんだ。もともと見当つかないよこんなの。あとはもう、行ってみて確かめるさ」
俺はそう言って、背もたれにダランと寄りかかった。
「そっか……。私も、放課後図書委員の仕事さえなければついてくのに……!」
「いやいや、それはダメでしょ。……何かあったらまた話すよ」
「……わかった」
そう言って俺たちは視線を弁当に戻した。
——ものすごい嘘つき、か。
お互い無言のままおにぎりを一つ食べ切った後で、どちらかが「そういえば」と切り出し、それでこの話はおしまいになった。
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