Act.8 Forgive-その手を取る-

 セイレーンとの邂逅から一夜が経った。

 SCSのメンバーがブラックシートに覆われた大型水槽を乗せた台車押して、朝の薄暗い病院内を進む。その重量にスネークが早々に音を上げてしまったため、今はマリオネットが操る兵隊たちがぐいぐいと押している。


「情けない。その大きな図体は見せかけか?」

「うるせーな、俺様はこう見えて天才インテリ枠なんだよ! お前みたいなゴリラエルフと一緒にすんな」

「…………」

「ごめんなしゃい」


 病院ごと潰れそうな威圧を放ったスピアライトの一睨みで、蛇目から涙が溢れた。心臓の弱い者が浴びたら死んでいたかもしれない。

 そんな地獄のような空気でも「すねーく、あほ~」とのんびりした声のマリオネットが台車を押す。そうしているうちに、病院が用意してくれた空き部屋に到着した。


「すまない、待たせた」

「大丈夫よスピアお姉様。あたしたちも今揃ったところだし」


 室内には先に準備を進めていたマホロとミラージュ、それにリリアの姿が。部屋の中央には医療用ベッドが二つ並ぶ。もちろんそこに寝ているのは依頼人の恋人であるヴァンピールとガルガだ。夢でも見ているのか、オオカミの大きな立耳が時々ピクピクッと小刻みに揺れている。


 すると、緊張した面持ちのリリアが一歩踏み出した。


「その水槽の中にセイレーンさんがいるんですか? できればお顔を見てお伝えしたいことがあるんですが……」


 セイレーンに悪意がなくとも、リリアにとっては恋人を昏睡状態にした加害者に違いない。ミラージュは雲行きが怪しくなることを危惧して、なるべく落ち着いた声で諭すように言った。


「リリアさん、あのね。彼女たちは難民支援プログラムの認定を受けているの。プライバシーは守られなきゃいけない。申し訳ないけど……」

「構わぬ。シートを外しておくれ」


 水槽の中から凛とした声が告げる。

 不安は拭えなかったが、ミラージュと顔を見合わせたスピアライトは小さく頷くと、旧友の意思を尊重して暗幕を引いた。


 尾びれが半分ほど水に浸かった状態のエスメラルダは、大きな水槽からぬっと顔を出した。初めて間近で見る海の精を前に、リリアは息を飲む。その表情からわずかな恐怖も感じ取れた。非力なヒューマにとって、多くの他種族は脅威と成り得る。

 だが気丈にも目を逸らさないリリアに対して、エスメラルダはコーラルティアラを外して深く頭を下げた。


「事情は彼らから聞いた。誰にも届かぬと思っていた地底の歌で迷惑をかけたこと、我が同胞を代表して謝罪したい。本当にすまなかった」

「あ……」

「あの子たちに悪意はなかった。だが罰が必要だと言うのなら我が受けよう」

「エスメラルダ、それは……!」

「我が同胞たちさえ悪しきようにならなければそれでよい。我の処遇はこのヒューマに一任する」


 エスメラルダは最初から糾弾されるつもりで解呪の歌を歌いに来たのだ。

 ぐっと口をつぐんだスピアライトは、未だ表情を強ばらせたままのリリアを見やる。間を取り持ってやるべきか判断しあぐねていると、可憐な唇が小さく震えながら開かれた。


「わ、私の恋人は、ヴァンピールなんです」

「ああ、そのようだな」

「ニンニク料理は食べれないし、鏡に映らないから身支度が苦手で、しかも自宅のベッドは棺桶だし」

「うむ」

「でも、だけどっ……」


 彼と過ごした日々を思い出して涙ぐむリリアに、エスメラルダは根気よく頷き続ける。


「彼と私は何もかもが違うけど、変わってほしいなんて思ってません。ありのままを愛してるんです。これからもずっと一緒にいたいんです。だから、あなたたちの文化を否定したくありません。――あなたたちが歌うのを咎めたら、自分とは違う彼のことを受け入れたいと思った気持ちまで、嘘になってしまうと思うから……」


 憎むのではなく、受け入れる。共に生きるために。シティを築いた先人たちが、ずっとそうしてきたように。


「だから一緒に生きてください、この街で。私があなたたちに望むのはそれだけです」


 それが、リリアの導き出した結論だった。


 丸い甘栗色の瞳でエスメラルダを見上げ、彼女の反応を恐る恐る待つ。

 すると、海の色をした二つの宝玉が美しく弧を描いた。


「……ふふっ。強いな、おぬしは」

「ええっ!? そ、そんな、私、ただのヒューマですよ?」

「リリアさんってけっこう天然だよね」

「マホロさん!?」

「うん、わかるわ」

「ミラージュさんまで!」


 顔を赤らめて慌てるリリアに、室内の緊張感は一気に消失した。エスメラルダもくつくつと楽器のように喉を鳴らす。


「なら、さっそく奏でようか。眠る二人も大切な者に早く会いたいだろうからな」

「お願いします、えっと……」

「どうかエスメラルダと呼んでくれ、リリア」

「え、エスメラルダ、さん……よろしくお願いします!」

「ああ、任せてくれ」


 しっかりと手を取り合った二人を見て、周りも自然と笑顔になる。

 マホロは幼い顔で眠るガルガの頬を指でつついて「起きたら何をしようか」と柔らかく語りかけた。ガルガのいない長い一週間が、もうすぐ終わる。


「エスメラルダの歌を聴くのは久々だな。彼女のファルセットは最高なんだ」

「わぁ、楽しみ! あっ、他の患者さんの迷惑にならないように、この部屋の内側に消音効果の防壁を張っておくわね」


 そのためにわざわざ別室を借りたのである。ミラージュが短い呪文を唱えると、部屋の外の物音が遮断された。外からも中の音は聞こえない。あっと言う間に貸し切りコンサート会場の完成だ。


 翡翠色の尾びれの先が水面を軽く叩き、小さくリズムを取る。北天海一の歌姫はぐっと胸を張り、大きく息を吸い込んだ――。

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