Ep Act. 『ずっと』

 速度違反が二件に、違法駐車が三件。相変わらずな一日だった。吸いかけの煙草を携帯灰皿に詰め仕込み、モンマ巡査部長は無駄に長い保安局の回廊を上る。


(定年間近だからって、交通課に異動はねぇだろ。毎日凶悪犯とやり合ってたってのに、どうやってモチベーションを保てばいいんだ、クソが)


 端的に言えば左遷人事である。出世には恵まれなかったが、犯罪捜査の第一線でバリバリ働いていたモンマにとって、交通課は窓際部署に違いなかった。轢き逃げや当て逃げの追跡はバットの監視映像を辿れば容易だし、違反切符を切れば守るべき住民たちから邪険な目で見られる。まったくもって外れ職だと悪態も吐きたくなる。


 そうやっていつもの退屈な巡回から戻ったモンマは、交通課のデスクに座る片翼の天使の後ろ姿にあんぐりと口を開いた。

 予想だにしなかった来訪者はワーキングチェアをくるりと回転させ、プラチナブロンドの後れ毛を耳にかける。


「モンマ巡査部長、巡回ご苦労様です」

「べ、ベル副局長、なぜここに……!?」


 上級天使のベルはサタンの有能な右腕であり、保安局の智慧を司る査問官でもある。つまり、内部監査部門のトップオブトップだ。

 均整の取れた美貌を飾るモノクルには、交通課に蔓延している惰性が透けて見てるようだった。


「抜き打ち監査に来ました。モンマ巡査部長、シンメイトンネルの件については聞いていますか?」

「は……?」

「知らぬと言うなら愚の骨頂。保安局員のバッジを返してもらおうかしら」

「んなっ!? いくら何でも横暴だ! 俺が何をしたって言うんです!?」

「何もしていないから問題なのです」


 中央にスリットが入ったタイトなロングスカートから伸びる白い足を組み直したベルは、真実を見抜く天使の慧眼を見開いた。七色の輝きを放つ瞳は、交通課に保存された事故記録などのデータ全てを瞬き一つで精査する。


「記録書の不備が五十九件あります。案件当事者とのやり取りを疎かにしていますね? それに丸々複写したような文面が百二十四件。どうやらあなたには事務仕事の適性がないようですね」


 それからも日頃のずさんな仕事を次々と指摘され、無精ひげを生やした顔がだんだんと青白く変化していく。モンマが出世に恵まれなかったのは、こういった細かい書類仕事を疎かにしたせいもある。成果さえ出せば良いという考えから、横暴な捜査に対するの住民からの苦情も絶えなかった。


 だが本人にその自覚はなく、保安局側が自分の価値を正しく評価しないことに不満ばかりを募らせ続けた。目は血走り、不当な怒りは若い正義へ向けられる。


(きっとあの使えないスケルトン族の若造――ティトラスだ。あいつが監査部にチクってこんなことになったんだ!)

「いいえ。とある一ツ星シティガードから、あなたの仕事に対する姿勢を指摘する抗議文が届いたのです。ティトラスには事情聴取に全面的に協力してもらいました」

「ッ!?」


 データのみならず心の中まで見透かされ、思わず後退る。だが背後の廊下には、ベルの部下であるカンヘルたちが三叉槍を交差させて待ち構えていた。


「彼はあなたの下では自分の正義を貫くことができないと苦しんでいたようです。上長としての資質にも欠けるとは、嘆かわしい限りですね」


 ベルはデスクに向き直ると、しゃんと背筋を伸ばして羽根ペンを走らせた。彼女は紙を好む。データはいくらでも複製できるが、手書きの書類はどれだけ精巧に書き写しても絶対に本物には成り得ないからだ。そして偽装は彼女の慧眼の前では無意味。真実性が最も証明できる方法で、ベルはその場で監査報告を書き上げた。


「モンマ巡査部長、あなたには報告書偽装と保安局員としての資質不足から降格処分と三十日間の停職を命じます。この懲戒処分を不服とする場合、あなたには異議申し立てをする権利があります。もちろん法廷で相対するのは私になりますが」


 それはつまり、最初から勝ち目のない争いというもの。

 がくりと項垂れた背中を物陰から見つめて何度もガッツポーズをするティトラスを見つけ、アメリアは「よかったね」と微笑みかけたのだった。




 ❖




「なんか今回ほとんど活躍してねぇ気がする、俺」

「たまにはいいんじゃない? ぐっすり眠れてよかったじゃん」


 目覚めてから一通りの検査を終え、ガルガは一週間ぶりの帰路に着いた。

 団地の薄暗い階段を上りながら寝すぎて浮腫んだ腫れぼったい目で「でもよぉ」とぶすくれる様子がいつもより幼く見えて、何となく可愛い。


「リリアさんも恋人とスピード入籍したし、めでたしめでたし、ってね」

「その場でオンライン手続きし始めたのにはびびったけどな」

「待ちきれないって感じだったもんね~。そう言えばセイレーンたちのこと聞いた? 生活局からの要請で、今度から老人介護施設で歌を歌うんだって。いい落としどころが見つかってよかった」


 エスメラルダたちが生きていた報せを聞いた海王が保護を申し出たが、彼女たちはその手を突っぱねたのだ。「この街で生きて行く」とはっきり言ってくれたことが、シティを守るマホロは嬉しかった。家族を求めて徘徊していた老人たちも、これからは幸せな夢の中で眠ることができるだろう。

 新しい仲間を迎え入れ、街はまた少しずつ変化していく。


「さぁガルガ、一週間ぶりの我が家だよ」

「おう。ただい――……」


 開け放たれた玄関扉の奥を見て、言葉が詰まった。


 脱ぎ散らかされた靴。

 キッチンに放置された洗い物。

 山盛りの洗濯物に、開けっ放しのクローゼット。

 床にはゴミが溢れ、足の踏み場もなかった。

 どこからか異臭も漂ってくる始末。


 ガルガが眠っていた一週間ですっかり荒れ果てた我が家に、わなわなと尻尾が震える。


「マ~ホ~ロ~……?」


 地を這うようなデスボイスだった。ギラリと光るシルバーアイズが、部屋を荒らした犯人を見下ろす。


「だって僕、ガルガがいないと何もできないんだもん」

「できなさすぎだろ!」

「うん。――だからこれからもずっと一緒にいようね、ガルガ」


 ずっと、いっしょに。

 破壊力抜群の笑顔と一緒に放たれた魔法の言葉が、ガルガの頭の中でリフレインする。


 ヒューマの言う『ずっと』は一瞬だ。

 だが限りある時間の全てを示す『ずっと』を共有すると、マホロは言ってくれた。

 ガルガはそれが堪らなく嬉しい。嬉しくて、尻尾のムズムズが止まらない。


「ふふっ。そんなに尻尾振ったら千切れちゃうよ?」

「うううううるさいっ! おら、さっさと片付けて晩メシにするぞ!」

「やった! 僕ね、ガルガのカレーが食べたかったんだ。いつもの甘口のやつ!」

「ちゃっかりリクエストすんな! 作るけど!」


 二人はこれからも共に時を刻んで進む。

 一瞬一瞬を噛み締めながら、名残惜しく、でも豊かに、幸福に。必ず終わりが訪れるその時まで、ずっと。




『九十九年目のエレジー』―END―

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