Act.7 Requiem-歌う者たち-

「ぎゃぁああああああああ!!」

「うぉぉおおおおおおおッ!?」


 宙を落下するミラージュとスネークの半泣きの絶叫が広い空間に響き渡る。スピアライトは空中でくるりと体勢を整えると、銀槍を大きく横に一振りした。するとどこからともなく銀色の風が吹き抜け、落下の勢いを殺してくれる。彼女に続いて無事に着地したマホロとマリオネットの背後に、スネークが背中からドスンと落ちた。


「イデェッ!」

「えいっ!」

「グェッッッ」


 無防備な腹の上にミラージュのピンヒールが食い込む。重力に乗ったそれは鉄の杭と言って良い。リザードマンの強固なウロコに阻まれて腹を突き破ることはなかったが、衝撃で先割れ舌と蛇目が飛び出す。さらに弾みをつけて華麗にジャンプしたミラージュは、ヒールを地面に突き刺すように着地した。


「ふぅ、危なかった~」

「よし、全員無事だな」

「どこがだよ!?」


 負傷者にカウントされなかった憐れなスネークはガバッと起き上がり、抗議の火を吹こうとした。が、目の前の光景に唖然として、口を開けた間抜け面で固まってしまう。


 鍾乳石がボコボコと影を作る地底湖の水底が淡く輝く。おそらく発光性のあるプランクトンが豊富なのだろう。

 工事現場よりも明るく感じる空間に潜むように、はひっそりと息をしていた。


 女性の上半身に、赤や紫などカラフルな二股の尾びれ。耳の後ろから生えた大きなヒレも優雅で美しい。

 予期せぬの来訪者に言葉を失っているセイレーンたちの前に、マホロは一歩踏み出した。


「……! こ、来ないで!!」


 赤い髪と尾びれをした一人の拒絶の声が具現化して、白い刃となって襲いかかる。しかしミラージュの守護方陣プロテクションに阻まれて、マホロには一切届かない。


「危害を加えるつもりはないから、落ちついて」

「嘘だ! 私たちを殲滅するために追って来たんでしょう!? 魔王軍、それとも深海の蛮帝!?」

「僕たちはどこの軍勢でもないよ。もう戦争は終わったんだ」

「嘘を吐くな!!」


 ビリビリと肌を刺すような声は、明らかに怯えていて。マホロの頭上の鍾乳石が衝撃で堕ちるが、やはり魔法防壁に打ち砕かれた。

 近づくのと同じだけ後退る彼女の背後から、ぬっと大きな影が這い寄る。他のセイレーンよりも二回りほど大きな巨体で、鮮やかなエメラルドグリーンの髪と尾びれ、そして浜辺の貝殻のように白く煌めく肌が眩しい。荘厳なサンゴのティアラが彩る海の美貌を前に、スピアライトは別の驚きで銀の瞳を見開いた。


北天海ほくてんかいのエスメラルダ……!? まさか、生きてたのか!?」

「その銀槍……スピアライトか。トマリンダ沖での共同戦線以来だったか、久しいな」

「スピアお姉様、知り合いなの……?」


 小声で尋ねるミラージュの方を振り向き、銀槍を光の粒子に変えてイヤリングへ戻した。敵意がないことを示すためだ。


「戦時中にちょっとな。彼女は北天海ほくてんかいを統べていた海王軍の優秀な指揮官だ。だが深海帝との海戦に敗れて、撤退作戦中に戦死したと聞いていたが……」

「ほう、やはりそのように都合よく伝わっておるのか。あのめ……まぁこれでは死人に口なしも同然。致し方なかろう」

「エスメラルダ、いったい何があったんだ。彼女たちはあなたの部隊の生き残りだろう? なぜこんなところに……」


 エスメラルダのそばへ怯えた様子ですり寄るセイレーンたちの数は十にも満たない。彼女は同胞を庇護するように大きな尾びれで包むと、事の経緯を話し始めた。


「深海帝の執拗な追撃に焦った愚鈍な海王の命令で、我らは囮となった」

「まさか……歌で追手を引き寄せたのか?」

「その通り。海域の小島まで敵を誘い込めば増援が来る手筈だったが、いくら待とうと援軍は来なかった。あの腰抜けバ海王め、自分が逃げ切ったことに安堵して、我らを見捨ておったのだ」


 小島に取り残されたセイレーンたちは、何千もの敵兵を前に歌い続けた。だが、それも長くは続かない。


「歌い続けて喉は潰れ、洗脳状態が解けた深海帝の兵士たちによる蹂躙が始まった」


 孤立した島に秩序などない。洗脳が解けて精神がハイになっていた敵兵は殺戮、強姦、捕食――とにかく悪道の限りを尽くした。


「多くの同胞を失って、我らは逃げた。狂ったように追って来る奴らに何人も犠牲になりながら……」

「そしてこの地底湖に辿り着いたのか」

「左様。百名いた部下は、今やここにいる者たちのみ。我らはここで戦火から息をひそめて生き延びることを選んだ。毎夜同胞たちへ鎮魂歌を歌いながら……。無能な指揮官と笑っておくれ、スピアライトや」

「……笑うものか。よく、よく生き延びてくれた」


 声を震わせ近寄るスピアライトを、エスメラルダは拒まなかった。発光プランクトンが淡く照らす立派な尾びれに額を寄せ、ありったけの労わりを込めて、何度も撫でさする。彼女の思いが通じたのか、エスメラルダに寄り添うセイレーンたちもスンと鼻を鳴らして涙ぐみ始めた。


「……戦争が終わったっていうのは、本当なの……?」

「あたしたち、ずっとここに隠れてるから何もわからないの……」

「ああ、終わったよ。もうすぐ終戦して百年を迎える。この地底湖の上には、たくさんの種族が力を合わせて築き上げた街があるんだ。見たらきっと驚くだろう」

「種族が、力を合わせて……?」


 戦時中には想像もできなかった夢物語の世界。スピアライトの言葉だけでは信じられないが、目の前にいるのはエルフとリザードマンにパペット族、それにヒューマ。何もかもがバラバラな彼らは、『SCS』のロゴが入ったおそろいのジャケットや帽子を身に着けている。それらが物語るのは、きっと当時の誰もが夢見た平和な世界だ。


「僕らはシティガードっていう街の治安維持組織だ。この地底湖の上にあるトンネルでは、君たちの歌を聞いて意識を失った過敏聴覚種たちの事故が続いてる。僕の相棒もまだ眠ったままだ」

「それで我らを捕えに来たということか。平和な街の秩序を脅かした悪として……」

「暴力で抵抗されたらそうするしかなくなっちゃうけど、そんなことはなるべくしたくない。だから難民支援プログラムを使って、君たちの保護を生活局に要請したいと思ってる」


 難民支援プログラムとは、戦火で住処を奪われた困窮者たちをシティで保護する救済制度である。トンネル事故を引き起こしていた怪異の正体が戦火から逃れたセイレーンたちだったと裏付けされれば、真実を知った住民たちからのヘイトもそこまで集まらないだろう。戦争は痛み分けで終わった。トンネル事故の痛みは、彼女たちがかつて受けた痛みと繋がっている。その堂々巡りを終わらせるためにシティは造られたのだから。


「もちろん最初のうちは不便もあると思う。安全性が確立されるまでは自由に歌えないかもしれない」

「そんな……」


 セイレーンが歌うのは戦いや捕食のためでもあるが、それは側面にすぎない。呼吸や睡眠と同じように、彼女たちにとっては歌うことが当たり前であり、『そういう生き物』なのだ。生き様の根幹を制限されると聞いて、セイレーンたちの空気がピリッと張り詰める。


「シティはたくさんの約束事がある街なんだ。たとえば飛行種族は飛ぶ高さと速さが厳格に定められているし、アンデッドは自分の私有地以外で壁を潜り抜けちゃいけない。ヴァンピールだって好き放題吸血したら捕まっちゃうんだよ」

「そんなの、おかしいわ……」

「そうだね。でもシティには百以上の種族が集まって暮らしてるんだ。今は難しくても、みんなが自分らしく生きていける未来を模索しながら、戦争をしていたのと同じくらい長い時間、ずっと手を取り合い続けてる」

「……そのためにそなたも飼い殺されているのか? そのようなまでつけて」


 エスメラルダはスピアライトを見た。彼女に施された血のまじないを感じ取り、眉をひそめる。


血縛けつばくのことか? 私から望んだものではないが、今は受け入れている。多種多様な種族が共に生きていくためには必要な措置だ。誰も彼もが自由に力を奮って勝手をし始めたら、シティの平和は簡単に消え去ってしまう。あのサタンでさえ、今では平和に従順だぞ?」


 時に窮屈さを感じることはあるが、殺し合うよりはずっと良い。命の価値が希薄になっていた百年間を思い出せば、十二神につけられた首輪などアクセサリーのようなものだ。


「ふむ……我らが身を潜めていた間に、外界はずいぶん様変わりしたようだ。……よかろう、そなたたちの案を受け入れる」

「エスメラルダ様、でもっ……!」

北天海ほくてんかいには『郷に入っては郷に従え』という言葉があっただろう? それに我らもこの世界の一部。平和を願う気持ちは皆同じだ」

「ありがとう。さっそくだけど、保護するついでにお願いがあるんだ」

「わかっておる。おぬしの相棒とやらを目覚めさせなければな」


 美しく微笑むエスメラルダに、マホロも深く頷いた。


 皆で手繰り寄せた目覚めの歌を、眠る彼らに届けよう。

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