Act.5 Life of the Weak-共に生きるということ-
「あれ、リリアさん?」
飲み物を買いに早朝の病院内を歩いていたマホロは、同じ病棟の渡り廊下でぼんやりと外を眺める女性に気がついた。声を掛けられたリリアはハッとした様子で振り返ると、申し訳なさそうに表情を歪ませる。
「私の彼もここに入院してるんです。さっきミラージュさんに会って、あなたの相棒さんのことを聞きました。本当に、何て言ったらいいのか……」
「これは僕たちのミスだから、リリアさんは気にしないで。それに、やっぱりあのトンネルには何かあるってこともわかったし」
捜査の進捗について話しながら、二人は待合スペースへ移動した。ベンチに座って会話を続ける中、マホロはふとガルガが倒れる前に言っていたリリアの違和感のことを思い出した。
「リリアさん、何か思い詰めてるんじゃない?」
「え?」
「ガルガが倒れる前、リリアさんから罪悪感の匂いがするって言ってたから」
「……獣人族ってすごいですね。匂いだけでそんなことまでわかっちゃうんですもの」
「やっぱりヒューマとは何もかも違うんだ」と小声で漏らしたリリアの自嘲が、人気のない待合室に虚しく響く。缶コーヒーを握り込む手がかすかに震えてるのが見えて、マホロはじっと言葉の続きを待った。
「マホロさんはヒューマですよね?」
「そうだよ」
「他の種族の方と一緒に過ごしてると、たまに怖くなったりしませんか?」
「怖いってのはよくわからないけど、やっぱり能力的な差とか文化的な違いは感じたりするよ」
「私もヴァンピールの彼と過ごす中で、色々と考えることが多くなって……」
ヴァンピールとヒューマ。外見こそ大きな違いはないが、前者は吸血鬼の異名の通り、血を欲する魔界種の一族だ。そのためシティではヴァンピールの無差別吸血行為を条例で固く禁じていた。吸血衝動を抑えるための血液タブレットも普及しているが、あまり評判は良くない。そんな制約の中で彼らに生き血を提供できるのは、法的同意を取り付けたパートナーに限られる。
「だから私、パートナーになりたいって彼に言ったんです。これからもずっと一緒に生きていきたいって思ったから、彼の全て受け入れたかった。だけど……」
――血を吸われるのがどういうことなのか、君は全然わかってない!
戸惑うリリアを後ろから羽交い絞めにして、あらわになった肩へ先の尖ったものが二つ触れた。それが牙だと気づいた時、リリアを支配したのは得体の知れないものに対する恐怖だ。彼が知らない怪物のように思えて、ぞくぞくと悪寒が駆け巡った。
気づけば必死に抵抗して、彼を突き飛ばしていた。その時に見た最愛の人の傷ついた表情が忘れられない。言葉に出さなくても「ほら、やっぱり」と言われたような気がして、リリアは自分の浅慮を酷く恥じた。ヴァンピールと生きていくことがどういうことなのか何もわかっていなかったし、覚悟もできていなかったのだ。
「それからお互いに気まずくなってしまって、しばらく顔を合わせないようにしてたんです」
「そうなんだ……」
「好きって気持ちがあれば何でも受け入れられるって思ってました。種族の違いだって乗り越えられるって。でも、全然だめでした。無知な私の傲慢さが彼を傷つけてしまったんです。なのに……」
第二層暮らしの恋人があの時間にシンメイトンネルを通るのは、リリアに会いに来る時だけ。しかも事故を起こした車の助手席には十二本のバラの花束が置かれていたらしい。ロマンチストで雰囲気作りが大好きだった彼のことだから、きっとそういうことだとリリアは察した。だからこそ罪悪感に苛まれて、自分をずっと責め続けていたのだ。
「好きなのに、本当に愛してるのに……でもきっと、それだけじゃだめなんです」
シティは戦時中に禁忌とされた混血を積極的に推奨している。それこそが多種族が暮らす街のあるべき姿だから、と。多様性の否定こそ、この時代では最大の禁忌とされる。誰を愛し、誰と生きていくのかは、自分で決められるのだ。たとえそれで自分たちが悩み傷つくことになろうとも――。
「僕も今、すごく後悔してることがあって」
「ガルガさんのことですか?」
「うん。僕いつも無茶して月に二、三回は集中医療シェルターに入るんだけどさ」
「えぇ……?」
リリアは密かにドン引きした。そんなに生き急いでいるヒューマ、他にいない。
「そのたびに、ガルガがわんわん泣くんだって。後から話を聞いていつも大袈裟だなぁって微笑ましく思ってたんだけど……」
いつも隣にいる存在がいない。マホロが今まさに感じている心細さは、拉致事件から奇跡的に生還した幼い彼を散々苦しめた「恐怖」に似ている気がした。心を壊して命すら脅かしたその感情を、眠り続けるガルガを見てマホロは十年ぶりに思い出したのだ。
「ガルガ、きっと怖かったんだと思う。いつかは僕に置いて行かれる日が来ることをちゃんとわかってるのに、それが何度も繰り返されて、すごく怖かっただろうなって」
「マホロさん……」
「だからこれからは、月一回くらいに頻度を減らせるように頑張ってみようかな」
「う、うん……? そこはもう二度と悲しませないって言うところじゃ……?」
「僕ばっかりあれこれ気をつけるなんて不公平じゃん。
二人で生きていく――そのために乗り越えなければならない壁はたくさんある。だからと言って片方ばかりが努力や我慢を強いられるのはきっと違う。それは自分だけじゃなく、相手も不幸にしてしまう呪いだ。
「僕らヒューマは弱いから。だからどんな種族よりも『誰かと一緒にいたい』って強く思うのかもね」
ヴァンピールが血を啜るのと同じように、それがヒューマの生き方なのかもしれない。
二人で生きていくために血を捧げたいと願ったリリアの願いを、いつか彼が受け入れてくれたらいいなと思う。
「そのためにも、トンネルの謎を解明して早く二人を起こさなくちゃ」
「……はい。よろしくお願いします!」
「うん、任せて」
マホロも早く、ガルガの声が聞きたい。
❖
再びガルガの病室に集まったSCSのメンバーは、もう一度現状を整理することにした。
「今回も現場に魔力の残滓はなく、魔法による精神攻撃は考えにくい」
「お医者様が言うように呪いの可能性もあるけど、呪いっていうのは必ず術者に跳ね返るものよ。三年間も事故が続いていることを考えると、こっちの線も薄いわね」
白い壁にプロジェクターで投影した捜査資料を眺め、エルフ二人が言った。魔法でも呪いでもない。となれば、種族固有の能力の可能性が高い。
「ガルガが倒れる直前、『歌』って言ってた。歌で精神に干渉してくる種族と言えば……」
「シティの中ならマーメイドあたりじゃねぇか?」
「うーん……彼女たちの歌声には他者を水辺に引き寄せる力があるけど、眠らせたりはできないはずよ」
「可能性があるとしたら、セイレーンだな」
スピアライトは端末を操作すると、セイレーンに関する情報を表示させた。
生息地によって半人半漁、もしくは半人半鳥の姿をした女型の種族で、その魅力的な歌声を聞いたものは正気が保てなくなるとされる。
「私も戦場で彼女たちの歌声を聞いたことがあるが、あれに抗える者はそういないだろう。それにセイレーンの歌声で眠らされた者は解呪の歌を聴かないと目覚めない。医療や治癒魔法を受け付けないのも納得だ」
「でもよぉ、シティにセイレーンがいるって聞いたことあるか?」
「ない。彼女たちは終戦間際の海上作戦でそのほとんどが死滅したと言われている。だから問題なんだ」
いるはずのない絶滅危惧種のセイレーンがシティのどこかに潜んでいて、住民たちに危害を加えている。これが事実だとすれば、彼女たちは敗戦の報復をしている可能性が高い。これ以上事が大きくなる前に事態を収めなければ、危うい均衡の上に成り立つシティの平和が崩壊してしまうかもしれない。
「でも犯人がセイレーンだとして、どうして僕には聞こえなかったんだろう?」
「ガルガが過敏聴覚種だからじゃない? マホロくんには聞こえないような遠くの歌声まで聞こえちゃったとか?」
「だとしたらシティ全体で同じような事故が起きてないとおかしいよ。やっぱりシンメイトンネルに何か秘密があるはずだ」
本当に戦争の報復が目的なら、人や場所を選んだりしないだろう。それに金曜日の二十二時に歌声が聞こえるというパターンの説明もつかない。何か、何かあるはずだ。あのトンネルだけに揃う決定的な条件が。
――シュル、キュ、キュ。
全員が思案に耽って静まり返った病室に、奇妙な音が響いた。手持無沙汰で人形劇を始めたマリオネットの糸がぬいぐるみに絡まる音だ。普段なら騒がしいメンバーたちの声で掻き消されてしまっていただろう。
それだけじゃない。点滴の落ちる音。隣の病室のテレビの音。看護師たちの足音。エレベーターのチャイム。病室内がしんとしているせいで、マホロの耳にもいつも以上にたくさんの音が聞こえる。
「……そういうことか」
トンネル、地下施設、呪い、歌。これらを結びつける糸口が『音』であることに気づいたマホロは、パクトを開いてとある公式サイトにアクセスした。
シティ都市民なら一度は利用したことのある、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます