Act.4 Sleep Song-閉ざされた瞼-

 オレンジ色の誘導灯が照らすシンメイトンネル内の路肩に炉走ロッソを停め、マホロとガルガは落書きだらけの壁に背を預けた。夜も深まってきて車通りもまばらなトンネル内には、すぐ下を走る地下鉄の音が絶えず響く。


 時刻は二十二時直前。パターン通りに何かが起きるとしたらもうすぐだ。

 待ち呆ける間、ガルガはふと依頼人から感じたとある違和感を思い出した。


「そう言えば、依頼人からほんの少しだけ妙な匂いがしたんだ」

「リリアさんから?」

「ん。嘘とか企みみたいな悪い感じの匂いじゃねぇけど、何つーか……」


 やるせなさや憤りに近い、鼻の奥がツンとするような匂いだった。目覚めない恋人にぶつけるには少しズレている気がするし、保安局から無下にされたことを語る時は悲しみだけが匂っていたから、たぶん違う。だとすれば――。


「たぶん、罪悪感だ」

「罪悪感? 今回の事故に彼女が関わってるってこと?」

「そこまではわかんねーけど、恋人に何か後ろめたいことがあるとか? とにかく、俺たちに全部を話してくれたわけじゃない」

「なら明日、もう一度話を聞いてみようか。何か手掛かりになるかもしれないし」

「ああ、そうだ……――ッ!?」


 会話の最中さなか、ガルガの立ち耳が何かの音に反応してピンと三角の山を作る。一台の車が通りすぎて静まり返ったトンネル内で、それは徐々に音階を奏で始めた。


 弦を弾くような音、いや、声。言葉にならない声が、確かな歌になって聞こえる。その歌を聴き取ろうと耳を澄ますほど、意識が遠くへ引っ張られるような感覚に襲われた。


「そろそろ時間だけど、何も起きないね」


 隣で腕時計を見る横顔が何重にもぼやけて見える。マホロには聞こえないのだろうか、鼓膜を直接引っかくような、この物寂しい歌声が。


「マホ、ロ……」

「ガルガ? どうし――」


 そう言いかけたマホロの右肩に、相棒が力なくもたれかかった。そこで初めて異変に気づき、見開いた緑の瞳で周囲を見渡す。

 薄暗いカーブへ続くトンネル内に、人の気配はない。不自然なほどしんと静まり返った現場で、ガルガだけが見えない何かに攻撃されている。

 体格差があるせいで支えきれなくなり、マホロは一度膝をついてしゃがみ込んだ。ぐったりとした様子の端正な顔を両手で包み、今にも閉じられそうなまぶたに語りかける。


「ガルガ、しっかりして。意識を手放しちゃだめだ、僕を見て」

「う、た……」

「歌……?」

「…………」

「っ、ガルガ、ねぇガルガ。だめだ、だめだってば、起きろ! 起きろって!」


 らしくなく焦るマホロの声が遠くに聞こえる。それほどまでにガルガの意識は歌に引きずり込まれていた。返事をしてあげたいのに、どれだけ引き返したいと抵抗しても、何十本もの腕が絡まり雁字搦めにされる。打ち寄せた波が引いて行く時のような、抗えない力。もちろんイメージでしかないが、それほどまでに強烈な倦怠感が身体中にのしかかった。


 やがて完全に意識を手放した紺色の頭が、事切れたようにマホロの膝に落ちる。

 冷や汗に濡れて冷たくなった身体を抱き締め、マホロは自分の無力感に怒りを覚えて奥歯を震わせた。




 ❖




「ただの睡眠状態ではなく、強度の精神干渉を受けたようです。聴覚の神経にわずかな痕跡が確認できました。魔法や呪術のたぐいとも考えられます。自力で目覚めるのはまず不可能かと……」

「そうですか……」

「今のところ身体に異常は見受けられませんが、原因がわからない以上、何が起きてもおかしくない。覚悟だけはしておいてください」


 説明を終えた医師が退室した病室に静寂が訪れた。マホロから知らせを受けて駆けつけたSCSのメンバーは、救急搬送後の検査を終えて医療用ベッドで眠るガルガを見て、言葉を失っている。


 そんな中、代表で医師の話を聞いていたミラージュが額に手を当てて息を吐いた。


「まさかガルガまで眠らされちゃうなんて……」

「ごめん、僕が短慮だったせいだ」


 顔色の悪い相棒が眠る枕元に座って髪を撫でていたマホロが、弱々しい声で言う。

 ようやく見つけた手がかりに夢中になって、準備を怠った。本来であれば仲間たちにも相談して、考えられる万全の対策をした状態でトンネルに赴くべきだったのだ。だから今回のことはマホロとガルガの失態に違いない。


「わかっているなら私たちから言うことは何もない。ミラも、それでいいな?」

「ええ。その代わり、入院代はお給料からちゃんと天引きするからねっ!」

「うん……」


 無理に普段通りの明るさで振舞うミラージュに合わせられる心の余裕が、今のマホロにはない。覇気のない様子に、エルフ族の二人は困ったように顔を見合わせた。無神経なスネークでさえどんな言葉をかけていいか迷うほど鬱屈したオーラが漂う。

 そんなヒューマの少年に、マリオネットが操るオオカミのぬいぐるみが近づいた。


「まほろ、がるが、ぎゃく、いつもと」


 眠るガルガにかけられた布団の上で、ぬいぐるみが両手で顔を覆い、泣きじゃくる仕草をした。


「確かに、いつもなら無茶したマホロが集中医療シェルターにぶち込まれて、ガルガがびーびー泣き喚いてるところだもんな」

「そうそう、みんなであやすの大変なんだから! お菓子とかケーキ買ってあげたり、一人じゃ眠れないって言うからマリちゃんのお人形を貸してあげたりね」


 スネークとミラージュの軽口で、マホロは甘いものとぬいぐるみに囲まれたガルガを想像した。さすがはSCSの最年少と言うべきか、甘やかされっぷりがすごい。だが他のメンバーにとって、マホロもガルガと大差はないのだ。


「マホロにも何かスイーツでも買ってこようか? それともエルフの添い寝をご希望かな?」

「ちょっ、だめよ! スピアお姉様ってば寝相が悪すぎて、子どもの頃あたしに絞め技かけて殺しかけたんだから! か弱いマホロくんがミンチになっちゃう!」

「あれは小さいミラがあまりにも可愛すぎるから思わずだいしゅきホールドしただけだ! 誰にでも抱きつくような軽い女じゃないぞ!?」

「思想もフィジカルもあぶねーよ。やっぱここは俺様が開発したウルフ系ふれあいペットロボット・ガルボの出番だな」

「ぬいぐるみ、あるよ、いっぱい」


 なんちゃってマジックバッグに顔を突っ込むスネークと、袖の中から次々とぬいぐるみを出すマリオネット。この二人もしっかり甘やかし要員である。SCSの面々は何だかんだ言いながらも、炉走ロッソに乗っていつも先頭を突っ走る年少組が可愛くて仕方がないのだ。


 落ち込んでいるのが馬鹿らしくなるほど騒々しい仲間たちに、マホロは自然と肩の力を緩める。


「愛されてるね、僕たち」


 眠るガルガにそっと話しかける。返事はなくとも、マホロの脳内には「子ども扱いしすぎなんだよ、あいつら」と悪態を吐き、ご機嫌に尻尾を振る相棒が目に浮かぶようだった。

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