守護狼の遠吠え(7)
空へ飛び出た騎手は軽やかに鞍を離れ、その身一つで仲間たちの元へ降り立つ。身軽になったアストルは速度を増し、一目散に天へと帰った。
分散された標的に一瞬思考が遅れたワイバーンの下で、
「さぁ、あの小鳥と遊んでおいで。……殺しちゃだめだからね?」
「アォーーーーーーーーーーンッ!!」
主人の命令に大きな遠吠えで応えたダイアウルフが、一気に飛び出す。その姿は肌をチリリと刺す電流のようなエネルギーを纏った弾丸だ。
一瞬で首元に食らいついた獰猛な牙が、銀槍を一切受け付けなかった竜鱗を粉々に砕く。真皮にまで達した牙に喉を食い破られ、ワイバーンは堪らず宙で藻掻いた。絶叫と共に吐き出された火炎が頭上に展開されたミラージュの防御魔法に当たり、放散する。
飛び散る残り火と共に地上目掛けて墜ちゆく翼。だが獣の牙は獲物に食らいついて離さなかった。四つ足の爪を竜鱗の隙間に突き刺して踏ん張り、喉元から
「ガアアアアアアアアアアアアウッッッ!!」
獰猛な雄叫びを上げて二足歩行形態になると、顔の前で組んだ隆々とした前腕を大きく振り下ろした。その威力は、まさに鉄槌。ビルの並び立つ狭い隙間を、鋭い衝撃波が爆風となって突き抜ける。空を制する覇者の角にヒビが走り、根元から砕けた。
「グギャァアァアアアアアァァアアアア!?」
引き攣った絶叫を轟かせたワイバーンが大きくバランスを崩し、空中で一回転した。もはやまともに飛ぶことすらできないようだ。
それでもガルガは攻撃を緩めない。千本槍を浴びて穴だらけになった翼膜を巨大化した鋭爪でズタズタに引き裂く。
とうとう風を受けきれなくなった巨体は、乗り捨てられた車両が残るスクランブル交差点に墜ちた。殺しきれない勢いのまま道路のコンクリートを抉り、信号機や歩道橋をなぎ倒す。最後はビルに頭から突っ込み、ようやく止まった。
スピアライトがギリギリまで消耗させてくれたとは言え、あまりにも一方的な戦いだった。成り行きを見守っていたミラージュは身体を竦ませて、ごくりと喉を鳴らす。
(もしあの状態のガルガがマホロくんの手から離れて暴走してしまったら、本当にバットで止められるの……?)
風より速く稲妻のように苛烈な様は、研ぎ澄まされた紫電を放つ抜き身の刀身だ。小銃の弾など全て鉄屑に変えられてしまうのではないか。
地に堕ちた飛竜の背中で伸びやかな遠吠えを上げるオオカミを、ミラージュは密かに畏怖した。
「それじゃ、仕上げだね」
「え……?」
呆けるミラージュの横を通り抜けたマホロは、ワイバーンが暴れてひしゃげた意味のないフェンスに足をかけた。遥か下から吹き上げる風に前髪がふわりと流れる。
刹那。履き慣れたスニーカーの爪先にぐっと力を入れて、宙へ踏み出した。
「ちょっ――ウソでしょぉぉおおおおおおお!?!?」
高層ビルの屋上からネオンライトの海へ
「ふはっ。あんなに感情の起伏が激しいエルフも珍しいよね」
ここまで規格外の肝っ玉を持つヒューマもなかなか負けていないが、本人はきっと「そうなの?」と言って愛らしい顔を傾げるだけだろう。
新緑の瞳に反射する色とりどりのネオンライト。植物が育たない死んだ大地で平和を願った者たちが咲かせた、希望の光。どんなに底知れない巨悪だろうと、簡単に摘ませるわけにはいかない。
「――おいで、ガルディアガロン」
風に掻き消されてしまいそうなほどの声量で、たった一匹の家族の名前を囁く。恐怖などない。マホロを苦しめるものは全部、
頭から垂直落下していく先で閃光が残像を描いて飛び交うのを見て、マホロは満足気に微笑む。迎えが来たのだ。夜目に優れた黄金色の瞳を煌かせた彼が。
(ああ……綺麗だな)
並び立つビルの間を跳ね返りながら、勇ましいオオカミが飛んで来る。強くて、鮮烈で、壮麗で。マホロは思わず手を伸ばした。死など今さら怖くはないが、せめてこの美しい獣に求められているうちは、生きていたいと思う。危なっかしいとか、だらしないとか、普段からたくさん怒られているけれど。どんな困難に直面したとしても、彼を信じている。そこだけは誇れる主人でありたい。
「迎えに来てくれてありがとう。よくできました」
「わふんっ! バウッ!」
空中でマホロを軽やかにキャッチしたガルガが誇らしげに、そしてちょっと不満げに鳴く。きっと「また無茶しやがって!」などと思っているのだろう。ガルガの言いたいことなど手に取るようにわかる。苦笑したマホロは、伸ばした手で大きな額をガシガシと掻き撫でた。
「お小言は終わってからちゃんと聞くよ。さぁ、行こう」
「アォーゥン!」
頼もしい遠吠えを上げたガルガはマホロを背に乗せ、ビルの壁面を疾風のごとく駆け下りる。
すでに力を使い果たして身動ぎ一つできないワイバーンが、全速力で近づいて来る二つの影を前に苦し気な息を吐いた。その映像を暗がりの一室で見ていた怪しい男は、眼鏡をかけ直してニタリと口角を上げる。
「案外しぶとかったじゃないか、負け犬くん♡ でももう活動限界に達したかな。面白かったけど、ここまでだねぇ」
最後は竜化のエネルギーに命を燃やし尽くされ、体内に残った証拠諸共死に行くだけ。
男はすでに先の見えた実験体に興味を失ったらしく、飲み干したマグカップにインスタントコーヒーを注ぐため席を立った。
「グギャ、ゥ゛、ガァッ……」
焦げた赤黒い血を吹き溢す死にかけのワイバーンの元へ、マホロとガルガが駆けつけた。軽やかに背を下りて焼け爛れた口元へ近づいたマホロは、
「あの女の人は保安局が保護した。生きてるよ、ちゃんと」
「ゥ、ゥ゛ァ……」
「そんな姿になってまで殺したいほど憎らしく思ったのは、同じくらい愛してたからなんでしょ? だからすぐに殺せたのにそうしなかった。僕にはちょっと趣味がわかんないけどさ」
「ガ、ヒュッ……」
「だから、死んじゃだめだよ。恨み言も愛情も、生きてなきゃ何一つ伝わらないんだから」
穏やかな声で語りかけながら、上着の内ポケットから柑橘色の液体が入ったカートリッジを取り出した。きつく締まった蓋を慎重に開け、中身に触れないように苦し気な口元へ運ぶ。スネークが話を大げさに盛っていなければ、これで彼を救えるはずだ。
「安心しておやすみ。きっと大丈夫だから」
カートリッジを傾けて、
ドラゴンすら一発で眠らせられるとスネークが豪語した最強の麻酔薬が咥内に染み渡る。やがて意識を手放したワイバーンはまばゆい光に包まれ、シルエットを徐々に収縮させていった。ビルの残骸の上には深い寝息を立てた瀕死のヒューマの姿があったと、SCSから提出された報告書に記載されている。
後日、ワイバーン化した男の容態が落ち着いてから大々的に身体検査が行われた。
検査の結果、臓器にわずかに残された当該個体とは別のワイバーンの血を検出。事情聴取の末、見知らぬ男から多額の報酬を提示されて新薬のモニターを請け負ったことが判明した。
保安局はあらゆる種族の祖であるヒューマを人為的に別の種族へ変質させる危険薬物の存在を認定。注意喚起を徹底すると同時に、首謀者とされる男の行方をシティガードと総力を上げて追っている。
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