守護狼の遠吠え(5)
❖
マム・リムが目覚める少し前――。
長槍の柄がしなるほど切っ先を突きつけるが、鋼鉄よりも遥かに硬い竜鱗に阻まれてヒビすら入らない。スピアライトは肉質の柔らかい場所を探しながら、幾重にも鋭い連撃を浴びせ続けた。
それでもワイバーンにとっては蚊に刺された程度なのだろう。長い尾で軽く振り払われる。とっさに大きく飛び上がって回避し、滞空しながらその巨体を見下ろした。
「さすがは竜種、なんて硬さだ……!」
直接攻撃では埒が明かない。それに飛翔されては厄介だ。マリオネットがどうにか抑え込んでいるうちに消耗させておきたい。
銀槍を横一文字に薙ぎ払うと、暗天を背にしたスピアライトの背後に大きな魔法陣が出現した。正円の中でさらに浮かび上がったいくつもの魔法陣が歯車のように回り始める。
「降り注げ、星宿りの
回転する円環から、魔力で作られた数多の矛先が顔を覗かせる。身体の奥底から増幅する魔力量に応じて、銀の瞳が内側から輝きを放った。
あらゆる敵を排除して同胞たちを守り続けた千本槍が、糸で動きを制限されたワイバーンへ向けられる。手元の銀槍を振り下ろして斉射しようとしたが、その動きがぴたりと止まった。彼女の両頬に、血の筋のような文様がいくつも浮かび上がったのだ。
「ッ、く、そ……! やはりここは、世界で一番窮屈な街だな……!」
不服そうに言い捨て、それでもなお攻撃を放とうと腕に力を込める。
赤い筋はいわば魔力を吸い尽くす根だ。抗おうと魔力を込めるほど、首、胸、両手両足と身体中に根が巡る。吸われた魔力は痛みへ変換され、スピアライト自身へ跳ね返った。
異変に気づいたミラージュが、不安定に明滅する魔法陣を見上げる。
「
血相を変えた表情も愛らしい。身体中を突き抜ける痛みで朦朧とする意識の中でもそんな風に思えてしまうくらい、あの子が大切だ。
終戦直後、七英雄などという欲しくもない称号を与えられたスピアライトは、素性を隠して世界中を放浪する旅をしていた。
――名声も褒章もいらない。戦いはもううんざりだ。ただ、静かな場所に行きたい。
終わりへ向かうための旅だった。華奢な背中に背負っていた全ての重荷を降ろして、生に縛られた魂の結び目を解くための旅。
不老不死と謳われるエルフ族がその命を終わらせる唯一の方法は、自死だ。永遠に飽きたり、絶望したり、満たされたり、その理由は千差万別。命を終わらせる権利を自分のみが持つ幸福な民であることは確かだ。
だから、シティガードを立ち上げた愛する妹分から「力を貸して」と声がかからなければ、スピアライトは今ごろ終わりを決断してしまっていたかもしれない。
シティの住民カードを取得する際、彼女はサタンと同じ十二神の制約をその身に科された。
過ぎたる強さは不和を招き、争いを生む。二度と戦争を引き起こさないことを十二の神々に宣誓して終戦を迎えた超恒久的共生盟約都市では、サタンやスピアライトのような突出した強者が持つ力を抑制する必要があった。それが、
どうやら今放とうとしている魔法は、呪いが設けた制限を超えてしまっているらしい。
「共生とは、制限を設けて統制された社会のことではないと思うんだがな」
文化や価値観の違いを認め合い、全ての種族が自分らしく生きられる街――シティが掲げるコンセプトだ。
だが、実際はどうだ。街は諍いを避けるために事細かに定められたルールや制限に縛られている。例えばパペット族はその異色な強さゆえに交配が禁じられているし、ヘルメットがなければ自由に空を飛ぶ事もできない。これでは共生ではなく統制だ。少なくともスピアライトは、この街で不自由を強いられているのだから。
「それでもシティを守ると、ミラと約束した」
誰もが戦火の消しどころを見失って争い続けていた世界に、ミラージュが生まれた。ほぼ不死に近い長命の反動か、エルフ族の出生率は限りなく低く、その産声は奇跡を起こすとさえ言われている。
終わらない戦いに明け暮れていたスピアライトは、生まれたばかりの従妹を腕に抱いて、終戦を決意したのだ。
それからおおよそ百年。ほとんどの時間をシティで過ごしたミラージュは、ここを『故郷』と呼ぶ。
――だってこの街は、スピアお姉様がたくさん頑張って手に入れてくれた平和の象徴だもの。
当初、スピアライトはシティガードとなることに乗り気ではなかった。戦い疲れて死を望む旅をしていたくらいなのだから、当然だ。そんな彼女にとって、ミラージュの言葉は凍てついた心を淡く解かす灯火のようだった。
歪で、窮屈で、不安定で。少しでもバランスが崩れたらすぐ消えてしまいそうな幻想の街を守りたいと言ってくれた。百年も戦い続けた先人たちが強く願った平和を、ミラージュも望んでくれている。
彼女のためなら、まだ銀槍は折れない。折っては、いけない。
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