守護狼の遠吠え(4)
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シティ第一層の限りある一等商業区域を贅沢に使った巨大な建物が何の施設なのか、知らない都市民はいない。四方を囲む厳重なゲートくぐった先に待つのは、正面エントランスを飾るモノアイの大型ブロンズモニュメント。巨大な一つ目でシティを見守る平和の監視者のシンボルだ。
ここはクニミ警備保障本社屋。飛竜退治に向け車庫の装甲車がほとんど出払い、社内はがらんとしている。残っているのは事務方の職員ばかりだ。
百名以上が常駐する自慢の五階建てオフィスは建設当時のエクセレントデザイン賞にも選ばれたが、そこは建物全体の四分の一にも満たない。残りは全て
五階の天井まで全ての階層をぶち抜いて作られた広大な空間に仰向けで寝そべる、巨大な影。オーロラを幾重にも重ねたような透け感のある羽衣が、滑らかな光沢と共に素肌の陰影をしっとり浮かび上がらせる。薄氷を思わせる淡く儚い色をした髪が川のような流線を描いた。
そこに収まる一点物の宝石こそ、クニミ警備保障代表取締役社長、女帝マム・リムだった。
「綺麗な遠吠え……」
恍惚とした声色は、聞いた者の腰を粉々に砕くほどの色香を放った。片膝を立てた彼女が羽衣を掻き寄せてのそりと上半身を起こせば、五階建ての天井を飾るシャンデリアがまるでヘアアクセサリーの一部のように輝く。
クニミ警備保障がその頭角を現し始めたのは、創業者であるヒューマのクニミ・イチカと死別した妻のリムがその座を引き継いでからの出来事であった。
希少な巨人族の生き残りであり、総勢千を超える軍隊を率いる総大将にして、その内五百名の獣人族とビースト契約を交わした絶対的君主。そんな女帝の耳にも、ダイアウルフの遠吠えは届いていた。
すると、足元が透けた女性秘書の死霊が、珍しい時間に起きた社長の元へ音もなく駆け寄った。きっと耳障りな遠吠えに安眠を邪魔されてしまったのだと思い、もともと真っ青だった顔色をさらに悪化させる。
「マム、騒がしくて申し訳ありません。現在シティにワイバーンが出現しておりまして、その対応でよその獣人族がビースト化したとの情報が……」
「ふぅん。どこの
「一ツ星オフィシャルシティガードのSCSという中小企業です。現場から一番近い場所にベアード小隊がおりますので、すぐに制圧させます」
バットのリアルタイム映像を流す大型モニターを一瞥したリムは、煙塵の中に立つ二つの影を見つけた。月夜を思わせる美しい毛並みの大きな獣がかしずくのは、一人の小柄な少年。マム・リムは再び両のまぶたを閉じると、自分の子ではない獣の遠吠えに耳を澄ませる。
クニミ警備保障が有する獣人族部隊がシティで最も優れたパックであるという自負があるからこそ、久々に胸が躍る。獣の群れの優劣とは数ではなく、統率力だ。遠吠えを聞けばどれだけの絆で結ばれているのかが手に取るようにわかる。
このオオカミの遠吠えは一切の濁りがなく、本能を解放する
シティにこれほどの統率者がいたなんて。自分と同等の器の存在を感じて、女帝は人知れず上機嫌になった。
「無用よ。もう少しこの遠吠えを聞いていたいの」
つまりそれは、手を出すなということ。
秘書は慌ててこの指示を一斉メールで通達した。全員待機、と。荒っぽい現場組から異議を申し立てる返信が怒涛のように届くが、これは社長命令である。全てをピシャリと跳ね退けて、目覚めのティータイムの準備をするために隣の給湯室へ向かった。全てはマムの御意向のままに。
マム・リムは再び専用のジュエリーケースに寝そべった。滑らかな素肌が照明を反射し、艶やかに光る。
宝石箱の外では、ダイアウルフの遠吠えに空を切り裂く竜の咆哮が被さった。災厄を具現化したような脅威の暴挙に、街は恐れ慄いている。だが日常的に数多の獣の声に囲まれるクニミ警備保障の女帝は、ある違和感に気づいていた。
(鳴き声に覇気がない……まるで死に際の絶叫ね)
きっとあの飛竜は、そう時間が経たないうちに命が尽きるだろう。愛し子たちに手を出すなと命じたのは、そんな確信めいたものを感じたからでもある。無駄な怪我を負わせたくないという母心だ。それに、あのダイアウルフと少年がこの状況をどう打破するのかにも興味があった。
年甲斐もなくはしゃぐ今の自分を見たら、
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