守護狼の遠吠え(3)
❖
『マホロくん、お待たせしました! ビースト化の許可、下りました!』
「ありがとう、アメリア」
パクトで連絡を取っていたマホロの元へ、待ちに待った報せが届いた。ガルガと目を合わせ、二人は深く頷く。
『いえ――……それでは、これより戦闘区域内でのバットによる監視作業を開始します。ビースト化による暴走の恐れがあった場合、バットは即座に鎮圧モードへ移行しますので、だから、その……』
受付嬢の仕事である定型文を読み上げるが、途中で言葉に詰まってしまった。
ビースト化の承認申請にはとある一文が付きまとう。獣の本能に呑まれて暴走した場合、バットによる斉射をもってそれを抑止することへの承諾。――つまり、銃撃によって駆除される。
「大丈夫だアメリア、心配すんな」
『ガルガさん……』
「俺にはマホロがついてんだ。何も怖がる必要はない」
『……そう、そうですよね。お二人ならきっと大丈夫です』
「僕もそう思う」
『ふふっ。……それではマホロくん、ガルガさん、御武運を』
女神との通話が終わると、ワイバーンの周りを飛び交っていたバットの群れから数匹がこちらへ向かって来る。
二人の頭上を旋回したバットは、動力部でもあるミラーから緑のレーザー光を周囲へ照射した。これは簡易スキャナーフィールドで、脈拍や体温などの情報を収集できる。暴走と判断される異常値が出た場合に、両足に装着された自動小銃が作動する仕組みだ。
獣の本能を呼び起こしても理性を繋ぎ止められるかどうかは、契約者との絆に左右される。迷いや弱さがある主従関係は脆い。自分の全てを捧げるに値しないと判断されれば、本能の牙が最初に食い殺すのは群れの長だ。そうなればもう、獣を止められるのは感情のない銃弾の雨だけ。悲しいことに、蜂の巣になる獣人族はけして珍しくない。
従順に片膝をついた濃紺色の頭を、マホロが愛おし気に見下ろす。
「――ガルディアガロン」
それは、群れの頂点から信頼の証で贈られる真名。ビースト契約に不可欠なキーワードであり、その名を呼ぶのは生涯ただ一人だけ。
ガルディアガロンは古代語で『守護狼』を意味する。消毒液の匂いが立ち込める病室で辞書を引きながら、まだ幼かった二人で一緒に考えた。
その名で呼ばれると、ガルガは堪らなく胸が疼くのだ。嫌とか腹立たしいという感情ではなく、ただムズムズする。彼の言葉には何でも従いたくなってしまう。耳の根元から頬骨にかけてを何度も緩やかに撫でられて、蕩けそうな幸福に満たされた。
「ねぇガルディアガロン、頑張ったらご褒美をあげる。何がいいかな? 六番通りにできたパティスリーなんかどう? 君の大好きなショートケーキがすごく美味しいんだって」
「ん……一緒に、行く」
「ふふっ、いいよ。女の子たちに混ざって食べに行こう。ホールで買ってあげる。たくさん食べて家に帰ったら、特別な日に使うシャンプーとトリートメントをして、しっぽの先までブラッシングしようね。どう、頑張れそう?」
頬を撫でる右の手のひらにすり寄る仕草をして何度も頷く。一種のトランス状態だ。
本能を解放する前、眠れない子どもに
物騒な銃を向けるバットや破壊的なブレスを吐くワイバーンがすぐ近くにいるが、もう片方の手で艶のある真っ直ぐな毛並みを撫でてあげれば、完全にリラックスしたようだ。邪魔なレーザー砲の爆音も気にならない。長いまつ毛が縁取るまぶたは閉ざされ、澄んだ頭には穏やかな鼓動とマホロの声だけが響く。
「――いい子」
とろんと垂れた耳元で甘く囁くと、薄い唇の前へ親指を差し出した。ふに、と柔らかな凹凸に押し付ければ、うっすらと開いた口の隙間から牙が覗く。鋭い切っ先に当てた指の腹を滑らせると、赤い線がぷつりと浮かんだ。牙をなぞった親指はそのまま上唇を伝い、色を移して赤く染め上げていく。まるで血化粧だ。美しいオオカミには、真っ赤なルージュがよく似合う。
鮮烈に彩られたキャンバスの奥に隠された肉厚な舌がつつ、と上唇をなぞった。舌先に乗るのは甘美な鉄の味。獣の本能を呼び起こすのは真名と血。そう、これは儀式だ。
「ガルディアガロン、僕のたった一匹のオオカミ。目覚めの時間だよ」
返事をする代わりに、ガルガの身体が足元から光の旋風に包まれた。マホロも臆することなく風の中心へ寄り添う。
手を添えていた頬が波打ち、徐々に形を変えて大きくなる。同時に指の隙間を埋める柔らかな毛が生え揃った。しなやかな鞭のようだった長い手足は太さと逞しさが増し、屈強に変化した身体を濃紺色の毛皮が覆い尽くす。
その間もマホロは大きな額に頬を寄せる。可愛らしい体躯に見合わぬ大きな手で、ホワイトのツートーンカラーの下顎や頬を撫で続けた。理性を手放して本能を解放する恐怖に、相棒一人を立ち向かわせたりしない。
やがて、固く閉ざされたまぶたがゆっくりと開かれた。夜の氷山のようだったシルバーアイズが、ビースト状態を象徴する
風が晴れた空は相変わらず闇に包まれていて、爆風を食らったネオンライトが放電しながら明滅しているだけ。魚群のホログラムは装置ごと破壊された。明かりは少なく、破壊の音が鳴り止まない。
それでも、二人ならどんな暗闇も歩いて行ける。
「さぁ、あの小鳥と遊んでおいで。……殺しちゃだめだからね?」
群れの長からの命令は、獣の本能によく響く。
オオカミの中でも最古種であり最大種と言われるダイアウルフ。四つ足を揃えた状態でもマホロより遥かに大きな巨体は喉をぐっと夜空へ伸ばし、その荘厳で美しい遠吠えを轟かせた。シティの果ての遥か遠くまで、うねりを上げながら。
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