守護狼の遠吠え(2)

「いや、このまま任せてみようではないか」

「しかし……」

「シティは三ツ星にしか守れぬと、なぜ思う?」


 サタンは応接テーブルから執務椅子に移動して、冷めた紅茶を啜る。ベルは背中を伝う冷や汗を感じた。なぜなら目の前には星の権力者である老人がいるからだ。柔和な笑みを崩さずにいるが、その腹の内は知れない。


「ヒフミィも、それでよかろう? まさか手柄を横取りされたなどと幼稚な癇癪は起こすまい、クニミのクマと違って」


 保安局内でのいざこざは、しっかりと局長の耳に入っていた。ジェンガで負けた意趣返しのつもりなのか、悪魔はただ不遜に微笑むだけ。


「儂に異論はない。この老いぼれはすでに前線を退いた身ゆえ。じゃが、血気盛んな愚かな孫が大人げない反発を起こすやもしれぬ」

「構わん。シティの不利益となるようなら、たとえ三ツ星と言えど保安局我らが直々に叩き潰すまでよ」


 笑みを浮かべ合う魔族の王と底知れぬ好々爺こうこうやの静かなやり取りに、ベルは息が詰まる思いだった。シティの平和を守る中枢であるはずの保安局局長室が最も物騒だなんて、どうかしている。


 そんな時、一本の内線コールが鳴り響いた。まるで曇天を切り裂く天光。ベルは救われた思いで受話器を取った。


「ええ、はい――……サタン局長、一ツ星の受付嬢からです」


 つまり、アメリアからの内線。サタンは巨体に対して小さな受話器を指先で摘まむように素早く受け取り、角の横へ運んだ。


「やあ、我が最愛の娘アメリア。一日に二回も君の声が聴けるとは。長らくこの居心地の悪い椅子に座り続けているが、今日が一番ハッピーな日だ」

『職場でパパ面するのはやめてくださいとお昼にも言いましたよね、サタン局長』


 念のため説明するが、パパ活をしているわけではない。二人はれっきとした親子だ。「周りに変な気を使われたくない」と心配するアメリアのために公にはしていないが。事情を知っているのはここにいるメンバーだけだ。


 つれない愛娘の反応に、サタンは下顎の長いひげをさする。保安局の受付嬢になりたいなんて言い出した日は愛する娘と家でも職場でも四六時中一緒にいられると思って最高の気分だったのに、現実はどうだ。彼女は職場だと高く分厚い壁を築き上げて、公私入り乱れることを毛嫌いしている。母親に似て真面目過ぎるのだ、アメリアは。


「それより、こんな時間まで残業か? ――ああ、あのワイバーンのせいか。よし、いっちょパパがぶっ潰して来るからアメリアはもう上がりなさい。帰りが遅いとママが心配するからな」

『パパは【血縛けつばく】があるから戦えないじゃない! もう、いいからちゃんと話を聞いて!』


 電話口でキャンキャン怒る娘、可愛すぎる。子煩悩な父親の一面を持つ悪魔にとってはご褒美だ。それに終戦宣言で科された十二神からの制約など、愛する娘とシティのためなら正直知ったことではない。が、これ以上話を遮れば家でも口をきいてくれなくなりそうだ。その辺の引き際は鋭かった。


『ワイバーンと交戦中のSCSより、ビースト化の承認要請がありました。事態は急を要します、サタン局長』


 ――ビースト化。獣人族に備わっている獣の本能を一時的に開放し、獣本来の姿を呼び起こすことで得られる強大な力。


 獣とは一般的に群れを成す生き物だ。統制が取れている群れの方が狩りの成功率が高く、優秀な群れと言える。ビースト化は群れを率いるリーダー、あるいは主人から与えられる圧倒的なバフだ。両者は契約を交わすことによって強力な群れとなる。五百もの獣人族とビースト契約を交わしたクニミ警備保障の女帝マム・リムが率いる群れは最強と呼ぶに相応しい。それは彼女が優秀なトップであり、誰もが認めるクイーンであるから。


 一方で、呼び起こされた本能にそのまま自我を喰われ、暴走する獣人族も多くいる。理性を失った獣に分別はない。よって、シティではビースト契約の情報を保安局に登録することが義務付けられていた。保安局長の許可なしにビースト化すれば厳罰に処される。


「――いいだろう、許可する」

『承知しました!』

「だからそれを通達したら早く帰るんだぞ、本当ならパパも一緒に帰ってやりたいが、」

『結構です、それでは!』


 一方的に切れた通話にしょんぼりとした様子のサタンは、摘まんでいた受話器を戻した。


「いい加減アメリア嬢ばなれせぃ、さぁたん」

「妻もよくそんなことを言うんだ。まったく、薄情だと思わないか? 愛する娘を二十四時間三百六十五日見守ることの何が悪いんだ」

「全部じゃよ」


 ベルは最恐の悪魔に常時見守られる……いや、監視される年頃のアメリアが不憫に思えてきた。これじゃあ恋の一つもできないに決まっている。この時ばかりは『カノウ会長、よくぞ言ってくれました!』と心の中で涙のスタンディングオベーションを送る。


「ところで……この獣人族の青年は何というオオカミなんじゃ?」


 リアルタイム映像が流れる隣のモニターに表示された契約者のヒューマと獣人族のデータを見て、ヒフミが問いかける。

 シティに獣人族は数いれど、ウルフ系は珍しい。彼らの群れは主にシティの外にある。騒がしい街での暮らしが合わなかったのだろう。もしくは女帝に跪くことを毛嫌いしたか。

 クニミの軍隊でも見たことがないウルフ系獣人族に、年甲斐もなく興味をそそられた。それに、権力者であるヒフミを前に恐怖を理解できないとつぶやいた、あの底知れぬ少年にも。


 鳶色とびいろの髪に新緑の瞳。どこかで見た面影だが、ヒフミは確証が持てない。しかもモニターに表示された彼のデータには、ヒューマ伝統の苗字ラストネームがなかった。戸籍に手を加えられるのはシティの中枢組織である主要四局のみ。ますますそのバックボーンに惹きつけられる。


 悪魔にすら見透かせないほど幾重にも包んだもう片方の関心をひた隠し、ヒフミはしわくちゃの顔に笑みを浮かべた。


「ほれ、イヌにも種類があるじゃろう? シェパードやドーベルマンとか」

「ああ、そうだな、たしか――」






◇◆-------------------------------------------------◆◇



<用語解説>


血縛けつばく

 サタンのような強大な力を持つ存在に十二神が施した血の呪縛。定められた限度を超えた力を行使しようとすると、その全てが己の身に跳ね返ってダメージを食らう。

 血縛けつばくが施行された背景には、破壊王をニードルで滅してもらう代わりに十二神と交わした不戦の盟約がある。神々は一人の特別な強者による支配が戦争の火種を生むと考え、その力を制限することで均衡を保ち、平和を共に模索していくことを盟約させた。その盟約の下に築かれたシティで暮らしていくためには、強者は血縛けつばくを受け入れる必要がある。

 血縛けつばくを付与されたサタンは黎明期に比べ明らかに弱体化したが、その強さはそれでも余りあるものだ。

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