Act.7 Wake a Beast

守護狼の遠吠え(1)

 突如出現したワイバーンの報告を局長室で聞いていたサタンの前で、不安定なジェンガのタワーが揺れる。

 逆さまの五芒星を額に刻んだ山羊の頭に生えた、禍々しい二本角。それが天井にぶつかりそうなほどの巨体を小さくして特注のソファに座る悪魔の向かいには、ゴールデンナンバーズ社の会長、カノウ・ヒフミがほくそ笑んでいた。悪魔の黒く鋭い爪が中央の積み木を押し出すのを楽しそうに眺めているのだ。


「ヒフミィ、ニヤニヤするな。気が散るだろう」

「すまんのぅ。こんな小さな玩具に苦戦するさぁたんが微笑ましくて、つい」


 ヒフミィとは言わずもがな、ヒフミの愛称だ。その名で呼ぶのはシティ広しと言えど悪魔しかいないが。


「お前の孫の金ピカロボットといい、悪趣味なことだ。未認可の兵器で破壊した分は補償の対象外だからな。罰金と併せてきっちり請求させてもらうぞ」

「いやはや、耳が痛い。功を急くゴローの気持ちもわからんことはないが、あれはたしかに悪手じゃ。しっかり請求しておくれ」

「また社長職に戻ったらどうだ」

「こんな老いぼれをまだこき使おうなど、さすがさぁたんは最恐の悪魔じゃな」


 軽口を叩きながらトントン、と爪で叩いていた積み木が押し出され、ローテーブルの上に落ちる。支点が抜けた衝撃でぐらついた危ういタワーは、そのまま子気味良い音を立ててバラバラと崩れ去った。

 その様子をにんまりと見ていた老翁が、悪魔を前にしわだらけの手を叩く。


「これで儂の二十三勝目じゃ」

「手先が器用なお前に合わせてやってるんだ。通算で言えば我の九十九勝は揺るがない」

「儂の九十八勝もな」


 顔を合わせる度に、二人は子どもが家で遊ぶような簡単なゲームを繰り返してきた。そんなやり取りでなければ、悪魔とヒューマの勝敗は簡単についてしまう。これが二人なりの日課であり、友情だった。


 そんな二人を横目に、サタンの副官であるベルがバットから受信した映像に目を通した。

 しゃんと伸びた背中には、光を透き通すような美しい白の片翼が広がる。上級天使だった彼女の翼は、かつての戦いで悪魔の軍勢に切り落とされた。それは彼らを束ねていたサタンの命令だったかもしれないし、現場の独断だったのかもしれない。とにかく当時の戦いは混迷を極めていた。

 だがもう、彼女に憎しみはない。あるとすればシティが築き上げた危うい平和を揺るがす者への怒りだけ。この積み木のように、秩序がなければ街は簡単に悪意に飲み込まれる。


「ゴロー社長の他にワイバーンに接触するシティガードを確認しました。映像出します」

「クニミ警備保障か? ハーピー部隊が遠征している最悪なタイミングだが、彼らならどうにか事態を収拾してくれるだろう」


 サタンは当然のようにその名を上げる。それだけ三ツ星への信頼は厚い。

 だが大型モニターへ転送されたバットの映像に映ったのは、大槍を片手に宙を舞う銀の飄風ひょうふうだった。


「七英雄の一人、銀槍ぎんそうのスピアライトです。現在は一ツ星のオフィシャルシティガード、SCSに所属しています」

「ほう、奴らか」


 昼間の時間帯に面談した勝気そうな女社長を思い出し、サタンは顎に指を当てて微笑んだ。


「SCS……はて、聞かぬ名じゃのぅ?」

「今日星を授与したばかりだ。お前が来る直前にな」

「もしや、その中にはヒューマの子どもとオオカミの獣人族も?」

「ああ。何だ、知ってるじゃないか」


 興味深そうに言うと、額に深く刻まれた逆さ星が怪しく光った。ヒフミも無言で微笑み返す。多くを語るつもりはないらしい。


 ワイバーンの長い首を駆け下りながら目まぐるしく放たれる銀の残光。三日月を叩きつけたような強烈な薙ぎ払いに、首が大きくしなる。だが矛先が鋼鉄の鱗に阻まれて、決定打にはならないようだ。大きく首をひねりスピアライトへ向けて牙を剥くが、何かに引っ張られたようにぎこちなく動きを止める。煙が舞う足元で、マリオネットが不可視の糸を絡め、巨体を引き止めていた。


隠遁いんとんの民であるエルフ族が銀槍ぎんそうに加えてもう一名と、交配禁種のパペット族、それにビースト契約済みのウルフ系獣人族。ヒューマとリザードマンはともかく、戦力だけ見れば他社とは一線を画すでしょう。まぁ、あくまでですが」


 ベルは暗に「下がらせますか?」とサタンへ問うている。どれだけの実力があろうと、三ツ星に任せた方が遥かに早く方が付くからだ。クニミ警備保障も色々とトラブルがあったようだが、依然現場へ向かっている最中だ。あの未認可の大型アーティファクトロボットは気がかりだが、三ツ星二社が揃えばSCSはお払い箱になる。無駄に命をすり減らすことはない。

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