破滅のキャンディ(3)

 音につられて視線を向けた先にいたのは、若いヒューマの男女二人組。露出の多い衣装で肌を惜しみなく見せつける女を睨む相手の相貌は、鬼気迫るものがあった。だが長いネイルを弄りながら話半分に聞いている女は全く意に介していない。


「本気で、君のことを想っていたのに……!」

「ちょっとぉ、別れ話でヒス起こすとかありえないんですけどぉ~」

「なら貸した五百万ルピ返せよ! 今すぐ!!」

「はぁ? そんなの残ってるわけないじゃん。アホくさ。……あっ、すきぴから着信♡ もしもぉし? うん、明日からの旅行楽しみだね~♡ 塔の町のラグジュアリーホテルとか超テンション上がるぅ♡」


 スワロフスキーでゴテゴテにデコレーションされたパクトで今彼と通話し始めた彼女には、もう目の前の元彼は見えてないようだ。質素な衣服で冴えない容姿をした男が彼女と釣り合っているかと言われたら、どう見ても悪い女に引っかかったとしか思えない。しかも多額の金銭まで搾り取られたようだ。布巾を持って片付けに行った女将も、気の毒そうに男をちらりと見やる。


「病気の弟の治療費に困ってるって言ってたのも、嘘なのか……?」

「あ、ちょっとごめんねぇ。んふっ、あたしもだぁいすき♡ ――……で、何だっけ? 弟ぉ? あはは、ほんとほんと。弟が整形したいっていうからさぁ。顔の骨削るんだって、やばくなぁい?」

「ふざけるな!!」

「きゃあっ!」


 とうとう怒りを抑えきれなくなった男が立ち上がり、女の肩を突き飛ばした。あらゆる血管がはちきれそうになるほど沸点を突き抜けた男は目を血走らせ、椅子ごと倒れた女へ料理の皿や卓上調味料の瓶を投げつける。


「この阿婆擦れ! クズ! ゴミ女!」

「いったぁ~~~い! はぁ!? 最悪なんですけど! どっちがゴミカスだよ底辺野郎! つーかテメェみてぇな勘違いバカに付き合ってやったあたしの身にもなれよ! プレゼントもしょぼいもんばっかだし、こんなしみったれた食堂にしか連れて来れないくせに、彼氏面すんなっつーの! キッッッショ!!」


 倍返し以上の痛烈な罵倒は、周囲の第三者の心にまで突き刺さった。「しみったれた食堂」と流れ弾を食らった女将は寂しそうに苦笑しながら割れた皿を拾っている。居た堪れない。仕方なしにガルガが立ち上がり、今にもテーブルごとひっくり返しそうな肩に手を置いた。


「なぁ、とりあえず一旦外に出ようぜ。これ以上店に迷惑かけんなって」

「ええっ、何このイケメン!? 超あたし好みなんですけどぉ!?」

「あんたは黙っててくれ、マジで」


 これ以上話をややこしくしたくないし、他人の別れ話なんてオオカミでも食わない。なのに空いている方の腕に絡みついた女は、ビスチェからはみ出しそうな豊胸手術済みバストをぐいぐい押し付けてくる。ガルガは気持ち悪くて全身の毛を逆立てた。


「……て、……る…」

「え、何だって?」


 男がぼそりと何かを呟いた。まとわりつく女の猫なで声が邪魔で上手く聞き取れない。聞き返したガルガの前で、男がパーカーのポケットから何かを取り出した。震える手のひらに持っていたのは――キャンディ。目が覚めるような鮮烈な赤の包み紙を見て、ガルガの背筋を冷や汗が伝う。途端に鼻の奥がツンと痺れるような独特の匂いがぶわりと広がった。これは今朝のメタモスライムと同じ、罪を犯す者の匂いだ。


「――ころしてやる」


 底の見えない暗がりのような目でぼそりと言うと、男は両端がねじれた包み紙ごと自分の口へ放り込んだ。パキッ、ガリ、と奥歯でキャンディを砕く小気味良い音が聞こえた次の瞬間。ガルガは強烈な悪寒に襲われ、とっさに女を抱えて店の外へ飛び出した。だが悪寒は追従してくる。背後を振り返ったガルガが目にしたのは、屈んだ男の背中を突き破って広がる大きな翼膜だった。


「んなっ――!」

「きゃぁあああああああああああっ!!」


 抱えた腕の中で女がヒステリックに叫ぶ。男はまるで脱皮したように内側から皮膚が破け、青銅色の鱗がギラリと光った。店内いっぱいに広がった翼膜が薙ぎ払われ、入り口が簡単に吹き飛ぶ。間髪入れずに瓦礫と煙の中から大きな影が突風と共にガルガへ迫り、一瞬のうちに女だけを鉤爪に抱えて飛び上がってしまった。


「ッ、ちくしょう、やられた!」

「ガルガ、無事?」

「ああ、だがあの女が――」


 大破して大騒ぎになっている店内から駆け付けたマホロは、ガルガと同じように頭上を見上げた。

 ネオンライトとホログラムの魚群のはるか上空を飛翔する影は、シティの空を行き来する貨物用飛空艇の大きさを軽く上回った。

 前腕と一体化した幅広の翼膜に、全長の半分を占めるほど長い尾。風切りの役目と言われる一本の大角が示すその生物の名は、一つ。


「――ワイバーン」


 シティの空を我が物顔で翔ける飛竜を見上げ、マホロが呟いた。まるで呼応するようにエレキギターをかき鳴らしたような咆哮が街に響き渡る。


「どうなってやがる、ヒューマがワイバーンになるなんて!」

「詮索はあとで。彼女、このままだと殺されるよ」

「ッ……!」


 どんな悪女だろうと、無条件に殺されていい理由にはならない。それにあの男は気の毒だったが、殺人に手を染めればもっとひどい地獄が待っている。止めなければ。でもどうやって――。

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