念いの果てに②
「誰だ、君たちは……。わたしの部屋に他人が入り込むとはな……。我が社の警備に綻びがあったということか……」
「その割には落ち着いているんですね」
加神は苦笑いをした。
部屋の一辺には、黒板のようなテレビが設置されており、老人はそのテレビで、森羅アルトの実況動画を鑑賞していた。
動画を楽しんでいるのか、この状況を楽しんでいるのか、老人は口元の皺を多くする。
「感受性などとうの昔に捨て置いたさ。老いぼれに過剰な反応を求めるものではないよ。それとも君たちは、テロリストか何かなのか? わたしをここで殺そうとでも?」
「いえ、そのような気は全くありません」
間宮は毅然とした態度で言い切っている。
老人は天井の一角をチラリと一瞥する。
輪っか状の線が刻まれており、天井に何かが収納されているようだった。
「ふむ、なるほどな。侵入者排除システムが機能していないのか……。まあ、湯上りに人間がズタズタになっている姿を見ても、気分が悪くなるだけだ」
……取り乱している様子はない。
加神は遠慮することなく、いよいよ本題に入った。
「あなたが、オービタル社の最高責任者ということで間違いありませんか」
「そんなものはただの肩書だよ……。わたしは基盤を作っただけ。わたしは生まれてから一度も鞠那シティを出たことがない、故郷を愛する人間さ。……だが、いつしか我が社は、制御の行き届かない域まで放たれてしまった」
喜怒哀楽。僅かな機微を表情に投影しながら、老人は続ける。
「今のわたしに、過去のような大いなる権限などない。言っただろう? わたしはただの老いぼれだ。ゆっくりと、ただ死を待つだけのな……」
「『トライオリジン』という言葉に心当たりは?」
しびれを切らしたのか、間宮がやや険のある声色で問う。
「懐かしいな。その名前を今になって聞くことになるとはな」
すると老人は、大層面白そうにカラカラと声を上げた。
「そうか。君たちがかの『脳力者』というわけだ。世間を騒がせた『カウントダウン動画』の首謀者。それと同じ性質を持った人間ということだ」
「違います。僕たちに悪意はありません」
「むしろ私たちは、彼らの計画を阻止したんです。同じだなんて、そんな言い方はやめてください」
「くくく……」
老人は加神と間宮の顔を見つめると、両眼を左右に行き来させる。
「何がおかしいんですか?」
間宮はその様子が気に入らなかったようだ。
「悪意ある脳力者を成敗する、秩序の番人と言ったところか。それにしては少々やり方が強引だと思ってね。システムを破壊し、わたしに会いに来たのだから……」
「話を戻させて下さい。あなたは、トライオリジンについて知っているんですね?」
加神はすかさず場の空気を整えた。
「ああ、知っているよ。起原の三人……最初に生まれた三人の脳力者のことだろう?」
「そうです」
「それについて話すのは構わないが……それには前置きが必要だ」
「前置き?」
間宮がまた食って掛かろうとするので、加神は割り込むように言った。
「わかりました。聞かせて下さい」
「少し長くなるぞ……?」
「構いません。今回はカウントダウンなんて野暮なものはないんですから」
加神が冷静に返すと、老人はゆっくりと〝真実〟を語り始めた。
「発端は、一人の天才の好奇心から来るものだった。
彼は生まれながらにして、物事を憶えるという才能に長けていた。
彼にとって勉強という概念は存在せず、息をするように知識を蓄えていく。
物知りな彼を周囲の人間は褒め称え、それがさらに、彼に刺激を与えていった。
世の中のありとあらゆるものに興味を示し……そして追求し、すべてを脳内のストレージに記録していく。
知識を蓄えることこそが人間の本質。
その真意に従った彼が、科学者を志すことは、ある意味当然の摂理だったのだろう。
世間ではイリウムの存在が確認され、彼はやがてあることにのめり込むようになった。
それがマクスヴェルの開発だ。
無限のエネルギーを生み出し、世の中の科学技術を大きく飛躍させる。
それはまさしく人類の夢……ともすれば、多くの科学者が、開発に携わることになった。
オービタル社開発部の主任に名乗りを上げた彼は、十年の時を経て、見事にマクスヴェルを完成させた。
だが、彼はそのエネルギーを、初めから別のことに応用しようと考えていたのだ。
大きく目を見開いて展望を語る彼は、何処か遠いところを見ているようだった。
『――本気で言っているのか? そんなことをして何の意味がある?』
『父さん。あらゆるものを知り尽くした僕が、次にすべきことは何だと思う? 人智を超えた力を、人間のカラダに受け入れることだよ。そう、人類は神の力を手に入れるんだ。これほど素晴らしいことはないだろう?』
マクスヴェルを使って、人間の脳の力を解放する……。
そうすることで、人類は、階段を大きく上ることができる……。
彼がマクスヴェルの開発を始めた理由は、その頂上を目指すために過ぎなかった。
『脳力』の開発には、彼の信用する二人の部下が、助手として着任した。
多くの科学者を率いることで、彼らは僅か一年で、その素体を作り上げるに至った。
そうして誕生したのが、『起原の三人(トライオリジン)』……最初の三人の脳力者というわけだ」
「では、トライオリジンというのはもしかして……?」
老人の話を聞き終えた加神は、真っ先にその質問を投げかけた。
「開発に関わった主任と部下の二人……そのものだよ」
「名前を教えて下さい」
「すまないね。脳力の開発は極秘でね。彼の独断で行われたものなんだ。詳しいことは、わたしには聞かされていない。今話したことがすべてだよ」
要領を得ない物言いを受けて、然しもの間宮も話に入ってくる。
「勿体ぶった言い方はやめて下さい。要はあなたの息子さんがマクスヴェルの開発を行い、脳力を生み出した張本人ということでしょう?」
「ああ、そうだ。何を躍起になる必要がある? わたしの息子と、既に君たちは出会っているだろう」
それってどういう……? 二人は同時に疑問符を浮かべた。
そしてそれと同時に、嫌な感情が込み上げてくるのを感じた。
なんだろう……。自分の記憶のタンスを、勝手にこじ開けられた気分だった。
「おっと。そう言えば自己紹介をしていなかったな。わたしはオービタル社の最高責任者、轟信玄(しんげん)という」
「轟……」
そうして突き付けられたもの。
その名前に、加神は覚えがあった。
「君たちが所属する組織の長を務めるのが、轟彩人(さいと)。わたしの一人息子であり、トライオリジンの一人ということだ」
二人は絶句していた。
あの轟支部長がトライオリジンの一人……?
にわかには信じられない。
しかし、この老人が――父親が、嘘を吐いているようには見えなかった。
「わたしには、彩人が何を宣っているのか、今まで理解ができなかった。だがこれで合点が行った。すべて奴の思惑通りになったわけだ」
老人はうわ言のように呟くと、大きく深呼吸をしてから、重々しく口を開く。
「言伝は預かっている。『同窓会の続きは、始まりの場所で』……だそうだ」
……同窓会。
その妙な表現の仕方にも、やはり加神は憶えがあった。
間宮の顔つきは、覚悟を決めたものに変わっていた。
「ご協力ありがとうございました。では、失礼しました」
そう言い残して、先立って部屋を出て行く。
加神は、なおも一人でテレビ鑑賞をする老人を一瞥する。
老人はこちらを見向きもせずに言い放った。
「二度と来ないでくれ」
オービタル社の外。バイクのところまで戻ってきたところで、加神の抑圧された感情は今にも爆発しそうだった。
「初めて会ったときから、あいつは胡散臭いと思ってたんだ」
「あまり悪い言い方をするものじゃないよ。きっと何か理由があるんだよ」
間宮は長年世話になっているからか、まだ轟支部長を疑い切れていないようだった。
……少し話をしただけなのに、体が重くなっている。
加神はバイクに手を突いて振り返った。
「トライオリジンは自分たちから姿を眩ましたんだろ。自分の正体を隠した上で、組織のトップを担っていたんだ。良い理由とは思えないけどな」
「それも含めて、本人から聞けば良いだけだよ」
間宮はヘルメットとゴーグルを付けると、バイクの後ろに跨った。
なるほど。真相を知りたい気持ちは加神と同じらしい。
落ち着き払った態度とは裏腹に、その奥に強い意志を感じる。
その意欲には、加神も肯定的だった。
……だいぶ馬が合ってきたのかもしれないな。
「ほら、CIPに戻ろう。言葉通りなら、轟支部長はそこに居るはずだよ」
加神はバイクシートに身を沈めた。
「飛ばすぞ」
「お構いなく!」
――CAFEピチカート――
ひなたは、テーブルに愛用のノートパソコンとスマホを並べて、いつ連絡が来ても大丈夫なように構えていた。
しかしながら、加神と間宮を最高責任者の部屋まで案内した後、二人から連絡が来る気配はない。
たらこパスタは完食した。
やることがないのであれば、帰ってゲーム配信でもしていたいところだが。
……と、出入り口の方からドアベルの音が聞こえる。
店に入ってきた男女は、何やら弾んだ会話をしていた。
「やっぱりイカした男っつーのは、こういうシャレた店を選ぶわけよ」
「はいはい。口に出したらもう台無しなんけどね」
オタクのようなチェック柄のシャツを着た男と、利発そうな雰囲気を感じる女の二人組。
思いがけない二人に、ひなたは呼吸をすることすら忘れていた。
不動と火鳥……? いや、まさか。そんなことがあるわけない。
「…………ゲームしよ」
ひなたは自分に言い聞かせると、パソコンに集中し、当てもなくキーボードを叩いた。
――CIP日本支部――
エレベーターの箱が、加神と間宮を乗せて、静かに下降していく。
エントランスには、前のようなコンシェルジュの姿はなく、異様な静寂が支配していた。
それはエレベーターの中も同じだった。
「覚悟は決まった?」
緊張した空気を和ませようと思ったのか、間宮が冗談っぽく訊いてくる。
「決まってないって言えば帰らせてくれんのかよ」
「ふふ、駄目だよ。一人じゃ心細いもん」
「俺だって同じだ」
素直な言葉を発すると、間宮は面食らって大人しくなった。
「……逃げないでよね」
「一人にすると、お前は危なっかしいからな。俺は絶対に、間宮の傍からいなくなったりしないよ」
数日前に交わした約束。間宮の念いを一緒に背負うというもの。
それは無期限で、今でも有効だった。
「…………」
それにしても、前回よりもエレベーターの到着が長いように感じる。
どれだけ深く潜っているのだろう。
そう思ったのも束の間、ようやくランプが消え、扉が開かれると、予想外の物体が目に飛び込んだ。
「おい、なんだよ、これ……」
照明のない、漆黒で覆われた〝空間〟の中にあったものは、白金に輝くスフィアのような物体だった。上下に円錐台の機構があり、その二つが緑色の半透明の膜を発生させ、内部にスフィアを保有している。
美しさ。禍々しさ。神秘的なエネルギーが周囲に溢れている物体に、加神は思わず見惚れてしまった。
背後でエレベーターの扉が閉まる。
これで引き返せなくなったが、元よりそのつもりはなかった。
しばらくして、下部の機構の物陰から、上下白いスーツを纏った人物が現れる。
彼は、加神たちの到着を待っていたように言った。
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