⑤間宮宅

「マクスヴェルは世界の癌だ!」


 肺中の空気をひっくり返すような、騒々しい声が聞こえてきて、加神は深い眠りから目を覚ました。

 いつの間にか、ソファでオチてしまったらしい。

 カーテンの隙間から差した朝の陽の光が、リビングの一角を照らしている。


「わたしたちは仕事を奪われた!」


 換気のためか、窓が少しだけ開かれている。

 ……いったい何を叫んでいるんだろう。

 外を確認してみると、発声源は一人ではなかった。


「行き過ぎた科学は、世界を破滅に追い込むだろう!」

「そうだ、今こそ! むしろ人類は退化するべきなのだ!」


 そうだ! そうだ! そうだ!


 老若男女、様々な人たちが、マジックペンで思いを認めた段ボールの切れ端を掲げ、住宅街の中央を闊歩している。

 『反マクスヴェル』のデモ隊だ。まさかこんなところで出くわすとは思わなかった。

 せっかく爽やかな朝を迎えたと思ったのだが、途端に廃油が混ざった気分になる。

 しばらく眺めていると、近所の住人が顔を出した。

 二階の窓を開けて、落ちそうな勢いで乗り出している。


「朝っぱらからうるさいんだよ! 他所でやっておくれ!」

「マクスヴェルを推進する悪しき企業! ここは、そんな奴らが開発を進めたエリアだ!」

「あなたは理解していない! 今に後悔することになるぞ!」

「下らないねぇ……! それ以上騒ぐと、通報するよ!」


 住人は、相手にならないと判断すると、怒りを込めた勢いで、窓とカーテンを閉めた。

 ……まあ、勘弁はして欲しいよな。


 脂の匂いが鼻を撫で、加神は匂いに誘われるままに、キッチンへと足を進めた。

 間宮は花柄のエプロンを着け、機嫌が良さそうに頭を揺らしながら、フライパンでベーコンエッグを焼いていた。

 加神の気配を感じたのか、チラリとこちらを一瞥する。

「おはよう。本当に再生するんだね。掃除をせずに済んで助かったよ」

「…………」

「良く眠れた?」

「……寝覚めは最悪だな」

「さっきのデモ隊ね……。最近になって、こっちまで勢力を広げているみたいなんだ」

 やれやれといった感じで、フライ返しを上に向けている。

「ちなみに、加神はどう思う? マクスヴェルは必要ないと思う? それって、私たち脳力者の存在を否定することにもなるけど」

「嫌な訊き方だな。答えは決まってるようなもんじゃないか」

「……うーん、そうなのかな」

 間宮のとなりに立って、料理をする彼女を間近で観察してみる。

 無駄がない。

 今度は鼻歌交じりにフライパンを振っている。

 まるで、ドラマのワンシーンを切り取ったかのような優雅さだった。

「……変な夢を見たんだ」

「どんな夢だったの?」

 邪険にされる可能性を考えていたが、間宮は嫌がることなく、話に付き合ってくれた。

「アンリミッターからイリウムが零れて脳力者を覆い尽くして……。それで、その脳力者の念いが暴走して……。空では、大爆発が起こるんだ」

 加神は、その夢が如何に異様だったのか、ジェスチャーを交えて説明していく。

「……んで気が付いたら、辺りが焼け野原になってるんだ。たくさんの死体も転がってた」

「……ふぅん」

「間宮は何とも思わないのか?」

「思わないことはないけど……。まあ、こういう仕事をやってたら、そういう夢を見ることもあるんじゃない?」

 それだけで済ませてはいけない気もするが。

 加神は夢の内容を反芻した。

 あれは、夢という言葉で片付けるには、あまりにもリアリティがあり過ぎた。

 焼けつくにおい。死体の触感。そして自分の壊れた感情。

 すべてが本物のように感じたのだ。

「加神は、朝食はご飯とパン、どっちが良い?」

 間宮はこちらの様子を気にすることもなく、せっせと朝食を作っていく。

 ……加神の話に興味はないようだ。

「手間が掛かるし、パンで良いよ」

「わかった」

 良い匂いに浮かされた加神は、正直に答えていた。

 ひなたの部屋で食べた、手製のオムライスの味を思い出してしまったのだ。


 ダイニングの椅子に腰を下ろし、改めて夢の内容を振り返ってみる。

 終焉。あの夢には、その二文字が相応しかった。

 そのとき、ある言葉が脳裏を過った。

『いずれ人類は終焉を迎える。世界が闇に飲まれたとき、我々が再興の道へと導こう。そして今よりも、より良い世界と、秩序ある世界が待っている』

 鞠那中央医療センターで、火鳥が気を失う前に、呟いていた言葉だ。

 加神を惑わすための戯言だと考えられなくもないが……。

 念には念を入れて、火鳥の言う通り、相棒に訊いてみても良いのかもしれない。

 

 間宮が二人分の朝食をテーブルに置く。

 いただきますと呟き、流れるようにベーコンエッグトーストを折り畳んでかぶりつく。

 美味しそうに食べる姿に気が引けたが、様子を見てから、加神は切り出した。

「間宮は、『トライオリジン』って知ってるか?」

「……んー? そんなの聞いてどうするの。朝からするような話じゃないよ」

「火鳥たちはトライオリジンのために、今回の計画を仕組んだそうなんだ。……それを思い出してさ。知ってんなら、何なのか教えてくれよ」

 間宮は一旦思案するように、牛乳の注がれたコップを高めに煽った。

「……そういうことね。あいつも『信者』だったわけだ。納得したよ。あんなものを本当に信じてるなんてね。馬鹿馬鹿しい……」

 言いながら、トーストを少ない回数で噛んで嚥下していく。

「『起原の三人(トライオリジン)』は、CIPが最初に生み出したと言われる、三人の脳力者のことだよ。【未来予知】【死者蘇生】【破壊】――それぞれが、その脳力を発現させている。世界の天秤を保つ上で、必要な脳力を持っていたんだってね」

「世界の天秤を保つ、か……。むしろ、そんな三人が居たら壊れそうだけどな」

 まるで聖典に出てくる三柱の神のような響きだ。

 脳力の名称を聞いただけでも、途方もない力を秘めているように感じる。

「ある意味では当たってるよ。だって、異端脳力者が生まれた原因には、トライオリジンも関わっているんだから」

「詳しく訊いても良いか?」

「……発端は十九年前――CIPの創立からは一年前だね。未来予知の脳力者が先導して、トライオリジンが姿を眩ましたの。〝世界の終焉を見た〟――。そんな言葉を残してね。

 以来、脳力者の間で、トライオリジンの存在は宗教化した。世界の終焉の前に、人生を謳歌したい者や、自分勝手な大義のために行動する者が現れたってわけ」

 なるほど……? いや、本当にそうなのだろうか。

「……待てよ。なんか時系列がおかしくないか? CIPが出来たのは十八年前だろう? そうなると、脳力者が産まれたのも、当然その後のはずだ」

「……ああ、ごめん。この前はその方がわかりやすいと思って、説明を端折っただけなんだ。つまりはね、この世に誕生したのは、トライオリジンが先なんだよ。

 CIPは、そのときの技術を流用して創立された組織。言うなれば、私たち脳力者は、トライオリジンの子孫みたいなものなんだ」

 それが事実だとすれば。

 脳力者は、トライオリジンを元に産まれたのなら。

「じゃあ、俺が見た夢の正体は……」

 その正体に、答えを出せそうな気がしてくる。

「さっき言ってた変な夢のこと? 私は多分、その夢を見たことがないんだよね」

「これは可能性の話だけどさ……。俺たち脳力者は、アンリミッターを通じて、トライオリジンと繋がっているとは考えられないか?」

 電子機器で言うところの、親機子機の関係だ。

 あり得ない話ではないはずだ。

「そしてあるとき――天啓を得る。それがあの夢なんだ。そうやって、異端脳力者が生まれていく……。俺が脳力を発現したから、あんな夢を見たのかもしれない」

「ふふっ、本当に加神は、面白い仮説を立てるよね。それが本当なら、この瞬間から加神は私の敵になるけど?」

「…………」

 テーブルに乗り出し、顔を近づけながら、冗談交じりに言う間宮だが。

 その発言は、どこか加神を試しているようにも感じた。

「それはないな。俺の念いは変わらないよ。俺は……世界の終焉なんて認めないよ。異端脳力者を捕まえるって、昨日格好付けたばかりだもんな」

「うん、そうだったね」

 間宮は嬉しそうに口元を緩めると、残ったトーストを一口で食べ切った。

 自分で作った料理に惚れ惚れしている。

「加神は食べないの?」

「……あ、あぁ。手が止まってたな、頂くよ……。うん! やっぱり間宮の作る料理は美味いな!」

「やっぱり良いよね……こういうの。なんだか、懐かしいな……」

 間宮が、うっとりした表情で、加神の食べている様子を見守っている。

「ふふ、改めて思うよ。加神を選んで良かったって」

「…………」

「……どうしたの?」

 加神は、思わず手を止めていた。

 デジャヴ。

 意識が途切れる直前にも、似たような会話をした気がするのだ。

 加神は、恐る恐る口を開いた。

「いや、何でもない……」

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