終話 念いの果てに「俺は生きてる」

念いの果てに①

 ――CAFEピチカート――


「死傷者はなし……か。それが事実なら、奇跡だな」

「事実だよ。幸いにも、今のところは、首堂の一件で誰かが死んだっていうのは報告されていないから」

「やったじゃん。あたしのサポート様様ってことだね」

 首堂の洗脳事件を食い止めてから、一日が経った。

 場所は例の喫茶店で、時間は昼下がり。

 加神は、ようやく落ち着いたときを見計らって、食事をセッティングしたのだった。

 二日前にひなたと交わした約束。三人で食事に行こう――それを果たすために。

 間宮は、好物のチョコレートケーキとコーヒーを食しながら、冷たい目を向けた。

「ていうか、なんでひなたがいるの?」

「うん~? あたしも結構貢献したと思うんだけど。報酬はたんまり貰うからね」

 と言って、タラコパスタをフォークに多めに巻いている。

「Ⅴチューバーとして、チャンネル登録者も右肩上がりなんでしょ。いるの?」

「それとこれとは別だから! いやむしろ、ガワまで利用してやったんだから、その分の費用を貰わないと!」

 ビシィと。ひなたがフォークを突き付ける。

「勘弁してよ……。ただでさえ最近は、日本支部を出入りしまくっているのに」

「まあ、あれだけ騒ぎになったんじゃ、完全に鎮静化するには時間が掛かりそうだな」

「……と言っても、あとは処理班に任せてあるから、私がやることはないんだけど……。鞠那シティに限って言えば、しばらくすれば、この件は完全になかったことになるよ」

「そうか……」

 加神は息を吐くと、オレンジジュースを一口含んだ。

 喫茶店の中を、長閑な時間が流れている。

 ひなたは、むしゃむしゃと、パスタで頬を膨らませながら言った。

「そう言えば、首堂自身はどうなったの?」

「どうもこうも、処遇は同じだよ。ひなたの所にいきなりやって来るってことはないから安心して」

「おー良かった良かった。仕返しでもされたら、堪ったもんじゃないもんね」

「ひなた。デリカシーのない発言は控えたらどう?」

「……気にするな。あいつとは元々、小学校以来会っていなかったんだ。異端脳力者だったときの記憶が消えたからって、親友であることには変わりはないよ」

 加神は明るい調子で言ってみたのだが、三人の間に、得も言われぬ空気が流れた。

 ……いや本当に気にしなくても良いのに。

 そんなことを気にしていたら、最初から首堂を捕まえようとはしない。

 間宮は、フォークを静かに皿に置くと、真剣な表情を向けてきた。

「……それで、トライオリジンを捕まえるっていう話は本気なの?」

 首堂と最後に交わした約束。

 それについては、もちろん相棒の間宮にも話しておいた。

「あぁ。やっぱり間宮も、詳しいことは知らないのか?」

「言ったでしょ。あれはもはや宗教みたいなものなの。そういう事実が伝えられているってだけで、私も本人を見たことはないし……」

「トライオリジンって何?」

 好奇心旺盛なひなたが首を突っ込んでくる。

「話してないのか?」

「聞かれてもないのに、わざわざ話す必要はないでしょ。それに何度も言うけど、何の信憑性もないんだから。ひなたが知りたいなら、教えてあげれば?」

 部外者に情報が筒抜けなのは良くない気もするが。

 ……まあその辺は、間宮が上手くフォローしてくれるだろう。

 加神は端的に【未来予知】【死者蘇生】【破壊】の、最初の三人の脳力者の話を伝えた。

「――ふーん。それを調査することは、組織的には問題ないわけ?」

「別に禁止されていることでもないしね。正体が明らかになる分には、組織にとっても利益になるはずだよ。最悪、私の権力でねじ込むから」

 と言いながら、チョコレートケーキをブスリと突き刺す。

 意外にも、間宮が協力的で加神は安心する。

 そんな無茶なことは許可できない等と言われたら、どうしようかと思っていた。

 加神は深呼吸をすると、声色を低くした。

「行きたいところがあるんだ。そのための鍵は、首堂から託されてる」


 ――噴水の中で、処理班の到着を待つまでの僅かな間。

 加神と首堂はそれぞれの思い出を語り合っていた。

 そのうち、話の方向は、直前のトライオリジンの話へと戻った。

『……お前にこれを渡しておく』

『これは?』

 首堂から渡されたものは、親指サイズのUSBメモリだった。

『平和を謳う鞠那シティの中でも、オービタル社に厳重な警備があるのは知ってるだろ。こいつには、その警備システムを、妨害するためのプログラムが構築されてる』

『どういうことだ?』

『トライオリジンの正体を暴くんだろ』

『俺にオービタル社に行けってか?』

 CIPはアンリミッターを有する脳力者の集まりであり、アンリミッターにはマクスヴェルが搭載されている。

 そしてオービタル社はマクスヴェルの普及を担っている企業だ。

 装置を中継に、二つの組織は間接的につながっていることになる。

『ちょっと違うな。侵入だよ、侵入。正面切っても中には入れないだろ』

 首堂は無邪気な様子で、悪巧みを披露するように言った。

『俺はこれでも、現役は評価されているエージェントだったんだ。その甲斐もあって、重役の黒い話を耳にすることも少なくなかった。言い訳をするなら、それも組織を抜けた一因になるのかな。轟支部長は、度々オービタル社を出入りすることがある。トライオリジンのことを知りたければ、そこに行くことが近道になるはずだ』


 間宮は、加神から事情を聞くと、呆れ混じりのため息を吐いた。

「オービタル社……。なるほどね。あいつ、こんなものを作ってたんだ。で、肝心の首堂の方はビビって確かめようとはしなかったと」

「そうじゃない。オービタル社のシステムを無力化するには【操縦】の脳力だけじゃ足りないらしいんだ。このプログラムを、オービタル社のシステムに流し込む必要がある」

 加神はUSBメモリを、頼れる仲間の前に置いた。

「ひなた。できるか?}

「……え。いやぁ、そんな重大な仕事、あたしには荷が重すぎるよ」

 ひなたはパスタを口に運ぶ手を止めると、そっぽを向いた。

「あいつが言うには、首堂の脳力じゃ、隔離されたシステムに介入することはできないんだよ。けどひなたなら、システムの中枢に〝触れなくとも〟その中に侵入することはできるだろ」

「そう言われてもなぁ……これ以上危ない山に突っ込みたくはないんだよね」

「そこを頼むよ。あいつもひなたの腕は認めているみたいだった。これができるのはひなたしかいないんだ……!」

 加神の真剣な目つきが、ひなたにのみ、一点になって注がれる。

 ひなたは逃げるように間宮にフォローを仰いだが、当人は判断を任せることにしたのか、肩をすくめて返事をするだけだった。

「……追加報酬。約束してよね」

「引き受けてくれるんだな!?」

「乗り掛かった舟だし、この状況でノーとは言えないでしょ」

「大丈夫。報酬は加神の分から差し引いてひなたに回すから」

「あぁ、それで良いよ」

 良いんだ……。間宮とひなたの呟きは、加神には届いていなかった。

 ひなたはバッグからノートパソコンを取り出して起動させると、USBメモリを差し込み、キーボードを叩き始めた。

「それじゃ、さっさと行きなよ。あとのことはここからでもできるから」

「よし、頼んだ。行こう、間宮」

「あ、ちょっと待って……」

 間宮は残ったチョコレートケーキとコーヒーを、一口で胃に流し込んだ。


 二人は会計を終え、連れ立ってピチカートを後にする。

 週末ということもあり、近くの交差点では大勢が行き交っていた。

 ギラついた太陽は汗を滲ませ、それを爽やかな風が乾かしていく。

 立体ホログラム街頭ビジョンでは、おなじみの若いニュースキャスターが、こんな原稿を読み上げていた。


『――と、いうわけで……ジャジャン! 昨日の犯罪件数もバッチリゼロ件だそうです!大きな事故も確認されておりません。それでは午後のお天気、行ってみましょう!』


 犯罪もなく、事故もない。これがCIPの――加神たちが守り抜いた平和。

 その事実に、加神は表情を綻ばせた。

 ふと横を向くと、間宮も似たように、愉しげにビジョンを見上げていた。

「私、ニュースを見て、こう感じるのは初めてかもしれない。いいね、こういうの」

「おかしなことを言う奴だな。それが普通だよ」

 加神はヘルメットとゴーグルを付けると、乗り慣れたバイクに跨った。

 それに気づいた間宮も同じようにして、背中にピッタリと密着して跨る。

「まあ、今は感傷に浸っている場合じゃないよね」

「急ごう」


 ――オービタル社――


 F10に存在する、コーポレートカラーの白黒で構成された鉄塊の城。

 外観に歴史などは一切感じさせず、あたかも今日出来上がったかのような、無機質なオーラを放っていた。

 門は〝O〟の形を模しており、その上に掲げられているのは、オービタル社の立体文字。

 警備員の姿はなく、代わりに偵察用のドローンが滞空していた。

 加神はバイクから下りると、端末機でひなたに進捗を尋ねた。

「――調子はどうだ?」

『ねぇねぇ、このプログラムマジでヤバいんだけど!』

 開口一番、跳ね上がった声が耳を貫いてくる。

 キーボードの打鍵音を微かに響かせながら、ひなたは調子が良さそうに続けた。

『いやぁ、チートツールってこんな気分なんだね~。強固なセキュリティが子犬のように道を開けてくれてさ。いやホントにぃ、笑いが止まらないんだけど!』

「で、入っても平気なのか?」

 門には鉄格子が下りており、Oの口を塞いでいる。

 間宮は、その向こうを睨むように見つめていた。

『今開ける』

 ひなたが言うと、エンターキーのような、どっしりとした小気味の良い音が聞こえた。

 それに応じて、今度は加神たちの目の前の格子が、音もなく口を開けていく。

 ドローンは魂を抜かれたかのように機能を停止し、カラランと発して地面に転がった。

 お膳立てが整うと、間宮が先導して、物音一つ立てずに進んでいく。

「……誰もいないね」

 エントランスホールにも人影は一切なく、センサーにより人を感知した照明が、仄かに照らされているだけだった。

「オービタル社は基本的にAIで管理されてるって話だ。出入りは最小限に抑えられてる。過去に起業された当時は多くの社員がいたらしいんだけどな」

 加神は事前に調べた情報を伝えた。

 無限のエネルギーを生み出した企業の考えそうなやり方だ。マクスヴェルを管理するシステムさえ完成すれば、あとはお任せで構わないということだ。

「……人がいないし、手当たり次第に資料でも探してみる?」

「いや、それだと途方もない時間が掛かるぞ……」

 これだけ大きな建物なのだ。

 砂浜に落としたコンタクトレンズを探すなんて賢いとは思えない。

 加神は端末機を耳に添えた。

「ひなた。オービタル社の出社状況がわかったりしないか?」

『ちょっと待って、すぐに確認する……。うん。ここ数日は誰も出社してはいないみたい。ただ、社内に常駐している人間が一人だけいるみたいだよ』

「常駐か……。そいつは誰なんだ?」

 ひなたの息を吞む音が聞こえる。

『……最高責任者』


 ひなたの手厚いサポートを受け、オービタル社の最上階を目指す。

 建物内の構造を一通り見たひなたによると、最上階は隠れ家的ペントハウスになっており、誰かが住んでいるとのことだった。

 その主こそが、オービタル社の最高責任者らしい。

 エレベーターの扉が開くと、真っ白な通路が奥へと一直線に続いていた。

 左右には等間隔で黒い扉が設置されている。

 加神たちは周囲を警戒しながら、吸い寄せられるように一番奥の部屋へと入った。

 扉が自動で開かれると、最初に目に付いたのは、キングサイズのベッドだった。

 そしてそこに――人が居た。

 多くの皺が刻まれた、白髪頭の、死神のような老人が横たわっている。

 首元に僅かに見えるタトゥーは、呼吸の動きに合わせて伸縮していた。

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