天から地へ⑥
『何でだよぉっ! 生絃が死んだんだよぉっ! マーリンがそこまで感情のないクソ女だとは思わなかったよぉ!』
「クソ……?」
間宮は思わず顔を顰めた。
いくら何でも、感情が振り切り過ぎだ。
どうしてこちらに飛び火してくるのか、訳がわからない。
「とにかく、落ち着いて」
『落ち着けるわけないでしょぉっ! 相棒が死んで何とも思わないの、このアバズレェ!』
「…………」
まともに話し合える状態ではない。
間宮は呆れを通り越して、ため息を吐いていた。
カメラを見ているということは、いずれ加神の脳力について垣間見ることになる。
で、あれば――と。
ひなたの態度に、ちょっとむかついてしまった間宮は、意地悪な言葉を残してみた。
「加神だったら、私、何回か殺してるけどね」
『……はぁあっ! 何それぇっ!』
それは何処か、マウントを取るような意味もあった。
ひなたよりも、自分の方が加神を知っている。
そのことに優越感を覚えながらも、間宮は、相棒に合流するため広場へと急いだ。
――鞠那スカイタウン・広場――
【再生】していく加神を前にして、首堂は足を止めた。
……時間を掛けて、最後に頭が元の形に戻る。
加神はそこに付いた両眼で、首堂を見据えた。
「もう……逃がさねぇぞ……!」
「加神……なんでお前がここに……」
「生きた証を残すって言ったろぉおお!!」
狼狽えている首堂の頬に、うなりを上げた拳を打ち付ける。
正確無比な右ストレート。
首堂は勢い良く吹き飛ばされると、脱力した様子で、地面に倒れ伏した。
「……ちっくしょう……しつけぇ野郎だな……」
頬をさすりながら、手を突いて立ち上がる。
「ガキの頃独りぼっちだったお前を、誰が助けてやったと思ってるんだ……!」
「それには本当に感謝してる。お前とは、今でも親友だと思ってるよ」
「……今回はぶっ飛ばす!」
首堂は前かがみになって足を弾くと、加神に向かって突進を仕掛けた。
互いに思いの丈を叩き込むかのように、なりふり構わず拳を混じり合っていく。
仲違いすることのなかった二人にとって、それは――初めての喧嘩だった。
元エージェントだということもあり、首堂の体術は目を見張るものがあった。
だが、加神も負けじと食らい付いていく。
……このまま首堂と殴り合っている場合ではない。
今もなお【使役】の脳力によって、犠牲者が生まれているはずなのだ。
「あ、おい……っ!」
……一か八か、止めるにはこれしかないか。
加神は、首堂の胸倉を掴むと、近くにあった噴水に放り投げた。
顔面から浅池の中に突っ込んでいく。
「クッソ、加神! 何しやが――は……?」
すぐさま起き上がる首堂だったが、違和感を覚えたのか、その勢いはすぐになくなった。
昨日間宮が言っていたことが本当なら、アンリミッターには弱点がある。
――そう、たしかに間宮は言っていた。
アンリミッターは水に弱く、全体が浸水すると機能しなくなると。
どうやらそれは本当だったようだ。
「前が……見えなくなって……」
首堂の両眼の輝きが失われていく。
それは即ち、脳力の効果が消えていくことを表していた。
だが、まだ可能性がないわけではない。
「くっ、〝邪魔しないでくれよ〟……加神」
「親友だからこそ、その命令は聞けないな……」
首堂は諦めたように息を吐くと、浅池の中に座り込んだ。
【使役】の効果は失くなった。
加神はそのことを再確認すると、親友のとなりに腰を下ろした。
すると首堂は、過去を思い返すように遠くを見つめた。
「……あんなの、ガキの頃の戯言だろ。お前、まだそんなことを言ってんのかよ」
「生きた証を残すって奴か? いいや、俺は本気だよ。首堂はどうなんだよ。宇宙飛行士になるんじゃなかったのか」
「……そんなの訊いて、何になる?」
加神は空を見上げた。
昼の太陽が燦々と輝いている。
あのときはたしか、綺麗な夕陽が輝いていた。
「首堂。お前は言ったよな。宇宙には無限の可能性があるって。俺さ、思うんだよ。それと同じように、未来にも無限の可能性があるってな」
「下らねぇ……ただの言葉遊びじゃねぇか」
「俺……さっきの首堂の話を聞いて、決めたことがあるんだ。トライオリジンを捕まえる。天秤を戻すってのはそういうことじゃないか」
「はは、捕まえるねぇ……。で、それからどうするんだよ?」
「まずは【未来予知】の脳力者を問い質す。それで今後の対策をしっかりと立てたら、【死者蘇生】と【破壊】の番だ。失われたものを元に戻し、この世に存在してはならないものを根絶する。つまり、すべてのアンリミッター――脳力の元凶だけを破壊するんだ」
「そんなことができると思うのかよ……。脳力でアンリミッターは壊せないんだぜ。マクスヴェルのエネルギーが、脳力を吸収しちまうからな」
「そうなのか……。じゃあ仕方ないな。そうなったら、今みたいに水をぶっかけるよ」
加神が面白おかしく言うと、首堂の表情が和らいだ。
その表情は、子供の頃、遊んでいたときに見せてくれた、懐かしい親友の顔だった。
「ここで死んだら、宇宙に行くこともできないんだ。……な? 首堂?」
首堂はそこで、観念したように大きく深呼吸した。
「……あーもう! わかったよ! 俺の負けだ! そもそもこんなスカしたやり方、俺らしくねーもんな。リーダー張るなんて似合わねーんだよ」
「はは、自覚してる部分はあったんだな」
「久しぶりに、のんびり天体観測でもするかな」
「それもスカしてるように見えるけどな」
全身に血と汗を滲ませ、池の汚れた水すらも、心地良く滴らせる二人。
そうやって親友の時間を取り戻そうとする二人の元に、張り詰めた声が近づいてくる。
「……良い雰囲気のところ悪いけど、首堂の身柄は拘束させてもらうから」
顔を上げると、綺麗な白黒制服に赤いリボンを結んだ少女が、険しい表情を向けていた。
「……その声。まさか間宮か!?」
眼が見えていない首堂だが、声色で判別はできるようだ。
「間宮、乗客の避難は済ませたんだな?」
「うん。全員無事だよ」
加神の確認に対し、犠牲者がいない事実を誇るように、声色を緩めている。
首堂はその態度が気に入らなかったらしく、棘のあることを呟いた。
「……俺の仲間を手に掛けたのに?」
途端に、ピリついた空気が周囲を支配していく。
一時の明るい表情を見せた間宮だが、彼女も例外ではなかった。
「何が言いたいの?」
「気になっただけだ。お前はその場の気分で人を殺すのか。なんで俺は殺さない?」
加神は、首堂の発言の裏に、真意を感じ取った。
不動と火鳥のことを思い出しているのか……。
首堂は二人を置いて逃げていたが、仲間を想っていなかったわけではなかったようだ。
「加神と約束したから」
間宮は答えながら、たしかな殺気を首堂に向ける。
二人とも、ネイピアビルディングでの感情を蘇らせているのだろう。
「任務と称して、今まで何人も殺しておいてよく言うぜ」
「なに首堂? あんたもその一人になりたいならそうしてあげるけど? 仲間に会いたいならそう言えばいいんじゃん」
「やめろよ二人とも。首堂。お前の企みは、もう終わったんだ。下手に煽ったりするな」
「加神が語った展望を実現させるなら、間宮を相棒にするのは止した方が良い。俺はそう思っただけだ」
浅池に座り込み、俯きながら淡々と述べる。
首堂は案じてくれているのだ。
親友の傍に、光と闇を持ち合わせた脳力者がいることを。
そしてその闇が、加神の身を滅ぼすことになる可能性を。
「間宮は誰かを思い、命を救うことのできる人間だ」
「加神……」
「その過程で犠牲者が生まれても良いのか?」
「そうはならないよ。お前が自殺覚悟で撃ったミサイル。それを防いだのは間宮なんだぞ」
「知らねーな、ミサイルなんて。俺はそんなモン撃った覚えはねーぞ」
首堂は間宮を煽るように、とぼけた顔をして見上げた。
「首堂! お前なぁ……!」
こいつ……! あれだけのことをして開き直るつもりか。
「良いんだよ、加神。私を庇う必要なんかない。だって私は……」
「間宮は狂ってなんかいない。間宮を取り巻く、周囲の世界が狂ったんだ」
はっきりと言い切る加神を受けて、間宮は言葉を呑んでいた。
「トライオリジンに従っていた首堂と、今までの間宮の行い。そこに差があるようには見えないけどな」
加神は、この押し問答が、首堂のただの嫌がらせだということはわかっていた。
首堂からしてみれば、仲間を奪われ、計画は失敗に終わったのだから。
「はっ、たしかに……。それもそうか……」
だがそれもようやく、首堂の白旗で決着が付く。
「な? 先輩エージェントさんよ。もう少し自分に自信を持っても良いと思うぜ。さっきの間宮、かなり格好良かったよ」
「…………そう、かな?」
それから何を言うでもなく、噴水の音が、静かに空間を覆い尽くす。
「おい……。何をイチャイチャしてんだよ」
静寂を破ったのは、気まずそうにしている首堂だった。
それを受けて、間宮は不愉快そうに瞬きをする。
「別にイチャイチャしてないし……。やっぱりこいつ、殺していい……?」
「どわぁあっ! 止めろって! 首堂も! もう余計なことは言うなよ!」
慌てて加神が二人の間に割って入るが……。
首堂はなおさら上機嫌になった。
「加神。間宮の尻に敷かれてんのか。あんだけ大見得切っておいてダセぇな」
「うるせー! お前は死にたいのかよ!」
「記憶を消される前に、言いたいことくらい全部言わせろ」
「この世で一番下らない遺言だな!」
加神と首堂。びしょ濡れになった二人が、他愛のない言い合いをしているさなか。
そこから少し離れたところで、間宮は端末機を取り出した。
『異端脳力者を一人確保した。場所は鞠那スカイタウンの広場。野次馬が集まってる。処理班をお願い』
……異端脳力者は確保されると、脳力をはく奪され、記憶の消去が行われる。
今しがた首堂は冗談っぽく呟いていたが、言っていることは事実だった。
その処遇が緩和されることはないのだ。
二人の方を顧みる。
部外者の間宮に会話の全貌が掴めることはないが、二人がただ愚直に、楽しそうだということは理解できた。
首堂の行いを赦したわけではない。
だが、そんな二人の時間を、すぐさま奪うのは野暮のようにも感じた。
間宮は表情を綻ばせた。
『……ただ、今回はゆっくり来ても良いから』
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