④蛍雪高校

 加神が次に目を覚ましたのは、三年C組の自分の机だった。

 ……見知った女子生徒が、顔を覗き込んでいる。

「あ、起きた。珍しいね、加神君が居眠りだなんて」

「……幟?」

「次、移動教室だよ。時間遅れないようにね」

 変な体勢で寝ていたのだろうか、体もそうだが、頭がまともに動いてくれない。

 教室には、二人以外に誰も残っていなかった。

 視界が段々とクリアになり、黒髪ロングの、幟なつめの姿がはっきりになった。

「……一緒に行かないのか? いつも一緒に移動するのに」

「えぇっと、そうだったっけ? あたしたち、そんなに仲良しな感じだった? ……あ、違うの! 嫌だってわけじゃないの! むしろ嬉しいくらいなんだけど……。いや、そうじゃなくて!」

 表情をコロコロ変えながら、大げさに手を振って一人漫才を始めている。

「それなら、ほら! 加神君、早く準備してよ!」

「あぁ、そうだな……」

 幟に急かされるままに、加神は自分の鞄に手を突っ込んだ。

 テキストを片手に抱え、二人並んで教室を出て行く。

 最後にパチンと、電気のスイッチをオフにした。


 廊下を歩きながら、他愛のない会話をする。

 直前の授業について復習したり、今日の学校での面白かった出来事を話したり。

 それはいつもやっていることのはずなのだが、妙な感覚が頭をもたげた。

 ……なんだろう。何か変だ。まるで幟と初めて会ったときのような。

 ……待て、そもそも初めて会ったときとはどういうことだ?

 加神は、頭の中で自問自答を繰り返していた。

 そのときだった。幟が頭を押さえて膝を折った。

「うっ……ぐっ……!」

「……ん? おい? どうした、幟!」

「頭が……痛い……っ!」

 床に縮こまって震えている。

 加神は、幟が何に苦しんでいるのか、その原因がわからなかった。

 これでは、助けてやろうにも手を出すことができない。

「しっかりしろ! とにかく、保健室に行こう!」

「あ、あああああああ」

 幟は、腹の中から絞り出すように、声にならない呻き声を漏らしていた。

 眼の奥にある頭が痛いのか、必死に両手で抑えている。

 その隙間から、赤黒い何かが溢れてきた。

「……何これ?」

 幟がそっと手を離すと、赤黒い何かがまるで生き物のように、根を這わせるように、手の平に広がっていた。

「……あたし、どうなってるの?」

 泣声になりながら、幟の顔がこちらに振り向く。

 その左眼は、鬱金色に輝いていた。

 そしてそこから、赤黒い何かがなおも溢れている。

 液体のような個体のような、正体の掴めない物体が全身を覆っていく。

 ……これってもしかして『イリウム』?

 加神の頭の中に、そんな考えが過った。

 そうだ! イリウムだ! アンリミッターにはマクスヴェルが搭載されているはず! ということはもちろん、イリウムをエネルギーに使っていて……。

 しかしながら、その正体を掴んだところで、もう手遅れだった。

 全身に赤黒い模様を付けた幟は、左眼以外、ヒトとしての輝きを失っていた。

「……加神君」

「……え?」

 呆然とする加神の手を、幟は赤黒くなった両手で握ってきた。

 不思議な感覚だった。たしかに握られたはずなのだが、それは視覚による情報だけだ。握られたこと以外、体温も何も感じなかったのだ。

「『あたしの友達になって?』」

「俺たちは、もう友達だろ……」

「それだけじゃない。『彼女になって?』『結婚して?』『あたしと家庭を作って?』」

 幟は堰を切ったように念いの丈をぶちまけていた。

 それに呼応して、左眼の輝きが増していく。

「子供は何人がいいかな?」

 言いながら、嬉しそうに表情を崩している。

 ……訳がわからない。幟が何を訊いているのか、意図は何なのか、理解できなかった。

 そもそも目の前の〝コレ〟は幟なのだろうか。

 幟は無垢な笑みを向けていた。

 そしてその表情に、幟ではない誰かの顔が重なって見えた。

「……っ!」


 ――続け様にフラッシュバックする。

 ネイピアビルディングに放置された二つの死体。

 間宮が殺した、不動と火鳥の死体だ。


 無垢な笑み。その向こうから声がする……。

 男も女もいる。子供も大人もいる。日本人も外国人も。

 たくさんの、誰かの、悲鳴だった。

「助けてくれ!」

「やめて、殺さないで!」

「助けて!」「助けて!」「助けて!」「助けて!」

「たすけて!!」

 声が鮮明に聞こえるにつれて、周囲が白く輝き始めた。

 ハッとして窓の方に振り返ると、青空を埋め尽くすほどの閃光が、上空で輝きを放っていた。

 そのとき加神が感じたのは『終焉』の二文字だった。

 ……核兵器が、空で爆発している。直感的に、そう思った。

 白い輝きは加神の視界を覆い尽くし、見えるものすべてを白に染め上げた。

 体が焼ける。景色がジリジリと燃えていく。

 ……そうして世界が、すべてが、一瞬にして終わりを告げた。


 ……気付いたときには、加神の体は再生していた。

 目の前には一つの扉。

 光だらけの世界の中に、見覚えのある倉庫の扉がある。

 加神は不思議な力に吸い寄せられるように、その扉を開いていた。

 そこに広がっていたのは、赤と黒に染まった世界だった。

 地上は焼け野原となり、鞠那シティにあった数々のビルが倒壊している。

 鉄骨は剥き出し、ガラスは溶けて形を変え、それらが散乱した地面は捲れあがっていた。

 大量の煤は落ち切る気配を見せずに、宙を漂い、太陽の光を遮断していた。

 昼なのか夜なのかわからない空の下で、加神はおもむろに歩き始めた。

「…………」

 そしてすぐに、爪先に柔らかい感触を認める。

 これも何かの残骸か? そう思って正体を確かめようとする。

 ……それは死体だった。焼け焦げた人間の死体だ。

 顔面は爛れて誰だか判別が難しくなっているが、その服装には覚えがあった。

 死体は、蛍雪高校の制服を着ていたのだ。

 そう考えると、この死体は、クラスメイトの一人に似ている気がする。

 改めて周囲を見渡してみる。

 ただの残骸だと思っていた黒い物体は、すべて人間の死体だった。

 その死体の中に、またもや、見覚えのある服装をしているものがある。

 幟……不動……火鳥……首堂……。さらには、ひなたの死体もあった。

 蛍雪高校の友人。今まで接してきた鞠那シティの人々。

 みんな、核兵器で死んだのだろうか。

 熱で渇いてしまったのか、不思議と涙は出て来なった。


「あはははははははははは」


 狂ったように笑う女の声が聞こえて、加神は視線をそちらに向けた。

 白黒の服に身を包んだ誰かが、両手を広げて、舞うようにその場で回っている。


「死んだ死んだ! みんな死んだ! これでもう、『異端脳力者はいない』!」


 女の両眼はそれぞれ色が違かった。

 左眼は紅く、右眼は碧い。

 そして、幟と同じように、イリウムが根を伸ばして模様を作っていた。

「……お前がやったのか?」

「お前じゃない。私は間宮凛だよ。私は何もしていないよ」

 間宮は無垢な笑みを向けていた。

「みんなが勝手に殺し合ったの。人類は滅んだんだよ」

 そのまま表情を崩さずに空を見上げ、煤の雨を全身で受け止める。

「これでやっと報われる……。これで、やっと……」

「あ、おい! 間宮っ!」

 力尽きた間宮は、牌のように背中から倒れた。

 加神はすかさず駆け寄った。

「間宮っ! 間宮っ! 起きてくれよ! 何なんだよこれっ!」

 体を揺さぶっても、一切の反応を示してくれない。

 イリウムの根は、息を引き取るように失くなっていた。

 みんなが勝手に殺し合った?

 それでこんな風になったって言うのか?

 それならどうして、〝俺だけ〟が生きているんだよ?

 悲哀の感情で今にも押し潰されそうなはずなのに、涙は一滴も流れない。

 ……すると、間宮の制服に赤黒い何かが垂れてきた。

それは、加神の左眼から溢れているようだった。

「……あぁ、そうか、そういうことか。はは……俺はこれを望んだんだもんな……」

 〝生きた証を残す〟ことを――。

 これが自分の本物の感情なのか、それとも何かに惑わされた結果なのかはわからない。

 加神は、喜怒哀楽がグチャグチャになりながら、赤黒い涙を流していた。

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