③間宮宅

 バイクに端末機をセットし、ひなたに貰ったデータを元にナビを設定。

 指示通りにバイクを走らせていくと、一軒の民家に辿り着いた。

 鞠那シティでもごく一般的な、四角い入れ物に蓋をしたような格好の家だ。

 門前の表札には〝間宮〟と書かれている。

 ……ここで間違いない。加神は息を呑んだ。

 早速インターホンを押してみる。

 反応はない。ひなたが言うには、自宅にいる可能性が高いとのことだが。

 視線をずらしてみると、リビングであろう大きな窓が付いた一室に、灯りが点いていた。

 間違いなく人はいる。

 思い切ってドアノブに手を掛けてみると、鍵は閉まっていなかった。

 玄関を上がり、空き巣のごとく、フローリングを滑るように進んでいく。

 リビングのソファに、間宮は浅く腰かけていた。

「……何しに来たの?」

 無機質な眼が、ぎょろりと振り向いた。

「何って……相棒の様子を見に来たんだよ。そう身構えるなって」

「普通に不法侵入だよ」

「だったら鍵はちゃんと閉めるべきだな。強盗でも入ったらどうするんだ」

「鞠那シティは〝平和な街〟だからね。閉めなくても平気でしょ」

「…………」

「ちょっとは笑ってよ。加神、顔怖いよ?」

 そういう気持ちにはなれなかった。

 大方、万が一強盗が来たとしても、返り討ちにすれば良いと思っているのだろう。

 つまりは強盗ホイホイである。間宮がそれを言うと、冗談には聞こえないのだ。

「となり、いいか?」

「…………」

 間宮は答えないが、否定をするわけでもない。

 ここはポジティブに肯定と捉え、加神はソファに腰を下ろした。

 リビングを見渡してみる。

 間宮を理解できそうな何かがあるのではと思ったのだが、目ぼしいものは特になかった。

 家族の写真。思い出の品。そういったものは何もない。

 ……ただ、そのおかげで、間宮がこの家の下で、たった独りで半生を過ごしてきたことだけは理解できた。

 加神の人生は、崩れた家庭環境の中にあった。

 暗闇から救ってくれたのは首堂で、彼のおかげで、ありふれた日常を送ることができた。

 加神は、言葉を選ぶなどと余計なことは考えずに、正直な気持ちを吐き出していた。

「……俺はお前の気持ちはわからない。家族愛とか、そんなものは幻だったと思っているくらいなんだ」

「不幸自慢でもする気……?」

 嫌味のように、二人の間に壁を作ってくる。

 二人の境遇は似ているようで違う。

 加神は暗闇の箱から出ているが、間宮はそうではない。

 自分を助けてくれた【障壁】のエージェントと共に――その左眼と共に、暗闇の中を生き続けているのだろう。

 そして今の加神に、扉を開けられる資格はなかった。

「……けどさ、やろうとしていることは一緒なはずだ。一緒に首堂を〝捕まえる〟。そうだろう?」

 断じて、殺すのではなく――。

 そういう意味を込めて、加神はアクセントを置いた。

「捕まえて……異端脳力者を日常に戻すの? 悪い奴らがのうのうと生きてるなんて、そんなのおかしいよ……」

「誰かの日常を壊すってことは、それに関わっている人間の日常を壊すことにも繋がるんだ」

 加神はきっぱりと言い切った。

 ……そうだ。母親が家を出て行ったことで、加神の日常が崩れてしまったように。

「不動や火鳥の両親が健在だったら? 兄や姉はどうか? それとも、弟か妹か? 友人だって何人かはいるだろう」

「…………」

「不動が思いを馳せる女性がいたかもしれない。火鳥に対して思いを馳せる男がいたかもしれない。二人がいなくなったことで、その人たち全員の日常が変わってしまうんだよ」

 記憶の消去と一口に言っても、CIPが何処まで手を回しているかわからないが、全員が存在を忘れるということはないはずだ。

「負のサイクルは止めなくちゃいけない。CIPは、みんなを守る組織なんだ」

「そう……かもしれないね」

 間宮は声色を弱めた。

 自ら進んで暗闇の中で生きている間宮が、内側から扉を開けてくれたように感じた。

「けど……誰かを救う度に、あの日のことを思い出すの。それと同時に、抑えようのない怒りを覚えてしまう。生かしたままにすることが、両親に対する冒涜のようにも感じるの」

「殺人の欲求、か……」

 ――加神は考えた。

「だったら少しずつ元に戻していくっていうのはどうだ? 異端脳力者を殺めずとも、自分を律するようになれば良いんだ」

「……それができれば、私は苦しんだりしない」

「俺が受け止めるよ」

 ――そうして、自分でも荒唐無稽なことを呟いていた。

「痛いことには慣れてる。それで間宮の気が済むんなら、俺はそれでもいいよ」

 加神は優しく微笑みかけた。

 そうでなくとも、間宮には一度殺されている。二度も三度も誤差の範囲だ。

 何よりも、この問題を乗り越えるには、もっと長い時間が必要だと思ったのだ。

「えっと……加神さ、自分が何言ってるのか、わかってるの? 禁酒や禁煙とは違うんだよ。代わりに殺したからって……」

「間宮の傷が癒えるわけじゃない。それはわかってる。けど俺は間宮の相棒だ。これだけは言わせてくれ。俺は間宮の傍から、絶対にいなくなったりしないよ」

 間宮は見上げるように加神を見つめていた。

 その不安を払しょくするために、至極当然なことを言ってやる。

「俺は死なない」

「何それ……。一回私に殺されたくせに……」

 間宮は、珍しく自然な形で表情を緩めた。


 暗闇から外に出すのが難しいのなら、自分も一緒に暗闇の中を進もう。

 それが茨の道でも、そこに道がある以上は、その手助けをできるのは自分しかいない。

 〝生きた証を残す〟――。

 そのために、身近な相棒のために命を張れないようでは、男として失格だと思った。


 間宮はそっと、加神の体を抱き締めた。

 その存在を確認するように。

 死してなお寄り添ってくれる存在を慈しむように。

 予想外の反応に戸惑ってしまう。

 加神は逡巡したが、間宮と同じように手を回した。

「でも、ありがとう。私、加神を選んで良かったって心から思うよ」

「それは人としてか? それとも脳力としてか?」

「両方、かな……」

 そこで間宮は、そばだてるように、加神のにおいを嗅いできた。

「……? 加神、何か良い匂いがするんだけど……。喫茶店では酷い臭いだったのに……。一度家に帰ったの?」

 探知犬のように全身を嗅ぐと、首を傾げて両眼で見つめてくる。

 濁りのない表情を目の前で見せられて、加神はみっともなくしどろもどろになった。

「ま、まさか! 間宮を追いかけるのに必死なのに……わざわざ帰るわけがないだろ。これはひなたの――」

「ひなたの……何? 家に行ったの?」

 途端に訝しむような目つきを向けてくる。

 なおさら加神は、隙だらけになっていた。

「あぁ……行ったよ。間宮の居場所に心当たりがないかと思ってさ」

「あんなゴミ屋敷を経由して、なんで良い匂いになってるの? まさか、あんた……」

「待て待て、変な妄想はするなよ! 普通に風呂を借りただけだ!」

 そうだ、やらしいことは断じてしていない! 高校生同士で、そんなことをするわけがないだろう!

 加神はそういう意味のつもりで、先回りして正直に話していた。

 しかしながら、それが良くなかった。

「女の家の風呂を借りることの、どこが普通なの?」

「……ぐ」

 先刻までの空気は何処に行ったのか、全身に殺気のようなオーラを帯びている。

 今まで対峙してきた異端脳力者は、これを間近に見ていたのだろうか。

 間宮は、見たことのある無垢な笑みを向けてきた。 

「加神? 好きなときに殺しても良いって話だったよね?」

「え? そんな話だったっけ?」

 愛想笑いで誤魔化そうとするが、死刑宣告を逃れることはできず。

 プツリ。

 テレビの電源を落とすように、加神の視界は真っ暗になった。

「この……変態」

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