天から地へ④

『――生絃。呑気に観光してる場合じゃないよ。エレベーターからの景色はどう?』

 藁にも縋る思いで電話に出ると、開口一番茶化してくる。

 相手はひなただった。

「そう思うのか? お前、何処から見てるんだよ」

 加神は、エレベーターの隅に取り付けられた防犯カメラに目をやった。

 こちらの居場所を把握しているということは、ネットワークを介して、今の状況を見ているに違いない。

『プロトライフにいるよ。二人の手伝いをしようと思って。感謝してよ。今、首堂の足止めをしてる』

 端末機の向こうから、せわしなくキーボードを叩く音が聞こえてくる。

『だけど、首堂相手じゃ、その場しのぎにしかならない……あっ! 突破された! とにかく急いでよ! 物理的にあいつを止めないと!』

 加神は端末機を耳元から下ろすと、頭上を仰いだ。

「間宮、天井だ!」

「……天井?」

「ここから出る! 立往生している暇はない!」

 間宮は深く頷くと、【斬撃】の脳力を以て、天井に人が通れる穴を空けた。

 乗客の悲鳴が加速するが、気にしている場合ではない。

 加神は、腰を落とした体勢で構えた。

「先に行け!」

 助走を付けた間宮の右足を、両手で支え、押し上げる形で天井裏に登らせる。

「手を出して!」

 すかさず間宮が手を伸ばしてくる。

 加神はそれを掴むと、穴に手を掛けて体勢を安定させ、自身も天井裏に登った。

 アドリブで見せた鮮やかなコンビネーションに、乗客は呆然としていた。

 加神たちは、鉄骨を乗り越えると、点検用の階段に両足を着けた。 

「……上を急がないとな」

「どうやって上まで行くの?」

「階段を上って行く。体力には自信がないのか?」

「本気で言ってるの……」

 一旦気持ちを落ち着ける二人。

 しかしながら、この状況でそう易々と休息が取れるわけもなかった。

「……何の音だ?」

 空を切り裂くような何かの音が、加神の耳を掠めたのだ。

 その音は次第に膨らんでいき、スカイランドタワーに近づいてくる。

「どいて加神っ!」

 間宮は石火の如く身を構えると、タワーの外側に向かって手を突き出した。

 ……青空の彼方に黒点が見える。

 それは見る見るうちに大きくなり――正体が何なのか気付いたときには、間宮が生成した【障壁】にめり込んでいた。

 全長二メートルほどの、黒いミサイル。

 それがスカイランドタワーを襲ったのだ。

 加神はタワーから落ちないように、手すりを力強く握り締めて踏ん張った。

「……くっ、うぐっ! 何これっ! どれだけ打ち込んでくるつもりなの!」

 しかも数は一発だけには留まらない。

 矢継ぎ早に、同じタイプのミサイルがタワーに突っ込んでくる。

 間宮はそれらすべてに脳力で対応しながら、息を切らしつつも叫んだ。

「ここは私に任せて……! 攻撃が止んだら乗客の避難もするから……!」

「間宮一人で大丈夫なのか?」

「私たちはみんなを守る……っ! そう言ったのは加神でしょ!」

 間宮の頬を、一筋の汗が滴り落ちる。

 そこにあったのは、〝他者を守りたい〟念いを全うするエージェントの後ろ姿だった。

 ……………………。

 エレベーター内に残る乗客たちも、その姿に圧倒されている。

「あぁ……そうだ。そうだったな!」

 加神は手すりから手を離すと、覚悟を決めて足を弾いた。

 目指すは天望デッキ。今度こそ、首堂を捕まえてみせる。


 5/9


 プロトライフの駐車場。その一角のちょっとした段差。

 キメキメの格好をしたひなたは、膝に乗せたノートパソコンの画面を睨み付けていた。

「くっそ! せっかく天望デッキのサーバーに侵入したのに!」

 綺麗な見た目には似つかわしくない、汚い言葉ばかりが飛び出てくる。

 だが、これがひなたなりの、自身を鼓舞する処世術だった。

「何なの、この強引なプロンプト!」

 スマホの如く、バッグに携帯している愛用のノートパソコン。

 そのキーボードを、凄まじい勢いで打鍵する。

 先刻、天望デッキのシステムに介入し、エスカレーターを遠隔操作したのだが、あっさりとそれを無力化されてしまった。

 首堂の対応速度は異常だった。

 天望デッキの照明。テレビモニターの音量。配膳ロボットの誤作動誘因。

 さらには防火シャッターの封鎖――と。

 手当たり次第に妨害をしてみるが、脳力者の前では数秒しか持たなかった。

 加神が言うには、首堂は『脳力者すべてを洗脳』しようとしているらしい。

 ……あたしの友達が、友達でなくなるなんて。

 唾をまき散らす勢いで、ひなたは叫んだ。

「アンタなんかに、二人を狂わせてたまるかってのっ!」

 防犯カメラに映っている首堂は、従業員専用通路の扉に手を触れていた。

 ここが最後の砦だ。

 首堂は屋上に向かおうとしている。それを何としてでも阻止しなければならない。

 脳力者相手にそれが無謀だったとしても、できる限りの時間を稼ぐこと。

 それがひなたにできる、最大限の助力だった。

 首堂が防犯カメラに振り向くと、その手には、ひなたが渡したクマのキーホルダーが握られていた。口角を僅かに上げながら、わざとらしく踏みつけている。

「……く、こいつっ! むかつくっ!」


 6/9


 加神は一歩一歩を踏みしめながら、着実に階段を駆け上がっていく。

 いつまで登り続ければいいんだ。

 鉄骨の隙間から見える外の街並みは、全く変わっていないように見えた。

 ……胸が苦しい。

 ……足が痛い。

 ……頭が熱くなっている。

 加神は膝に手を突いて、息を整えた。

 強引に精神と肉体の調子をすり合わせていくような、乱雑な呼吸の仕方をする。

 それに追い打ちを掛けるように、また空の向こうから、黒い物体が爆撃を仕掛けてくる。

 しかもその大きさは、先ほどまでの比ではなく、目視でも五メートル近くはあった。

 これも、首堂が脳力で打ち込んでいるのか……?

 次の瞬間、ミサイルは見えない壁に阻まれ爆散していた。

 爆風も、熱波も、衝撃も、花火のように咲く、その何もかもが。

 タワーには届かないようにシャットアウトされる。

 間宮はなおも脳力の発動を続けているようだ。

 つまり、自分の為すべきことのために全力を尽くしている。

 俺も進まないと……! ここで立ち止まっている場合じゃねーよな!

「待ってろよ、首堂……!」

 加神は足を引き摺るように、再び屋上を目指した。


 7/9


 下らない邪魔は何度も入った。

 だが天望デッキの屋上に、最初に辿り着いたのは首堂だった。

 従業員専用通路を抜け、少しばかりの階段を上った先に、開けた丸い空間があった。

 地上から何百メートルも高い位置。体を攫うほどの風が、吹き荒んでいる。

 屋上の中心には、屋上の半分ほどの大きさの、円柱状の機構があった。

 これこそが首堂の狙い。

 円柱の袂に設置された直方体の箱に触れる。電子ロックされた電波塔の制御装置だが、【操縦】の傘下に落ちてしまえば、その防御力も意味を成さなくなる。

 首堂は【操縦】を以て制御装置の箱を開くと、繊細な手つきで、その基盤に触れた。

 左手は基盤に触れながら、右手に自身のスマホを構える。

 ――これで準備は完了だ。

 あとは首堂の肉体をケーブルとして、それぞれの〝機械を繋げればいい〟。

 電波ジャックを成功させた首堂は、鞠那シティのすべてのテレビにリアルタイムの映像を繋ぎ、動画サイトにも同様のモノを配信させた。

 スマホの右上に、現在の時刻〝11:59〟と表示されている。

 そして、カウントダウンが今――ゼロになった。


 8/9


 住宅。店頭、あるいは店内。学校や病院といった公的施設。

 普段はニュースが流れている立体ホログラム街頭ビジョンも、すべて同じ。

 流れた映像は、モッズコートを着た男が、淡々と何かを語る内容だった。

 左眼を鶯色、右眼を鬱金色に輝かせた彼の言葉は、あらゆる人間に降り注いだ。


『鞠那シティは日本一平和な街。

 事故や事件なんて起こらない、理想の街と言われています。

 でも、それは違う。

 世界の秩序を保つことは簡単じゃない。

 昨日まで生きていた人間が死に、優しい人間が損をする。

 自分勝手な人間が、幅を利かしている。

 世界はそういう風にできているんです。

 ――そしてそれを、隠している存在がある。

 それが人智を超えた力を発現させた人間――脳力者です。


 信じられないという人は信じなくても構いません。

 かくいう僕は、その脳力者。

 僕は今、脳力者に対して言葉を発しています。

 脳力者がいるせいで、世界の秩序は乱れてしまう。

 そして遠くない未来に、人類は終わりを告げます。

 そんなことはさせない。

 だから、この言葉を脳力者に対して贈ります』


 男は一際右眼を輝かせると、抑揚のない話し方で言った。

『世界の未来のために、今ここで、死んでください』


 ある住宅街の一軒家。

 昼食を作るためにキッチンに立っていた住人は、居間で流していたニュースをラジオ感覚で眺めていた。

 朝から厄介なデモ隊で気分を害され、たまには豪勢な食事でも作ろうかと張り切っていたところだ。

「母さん、何やってるの!」

 だが、コート男が演説を終えた直後、住人は手にした包丁を自分の腹部に突き立てた。

 ある学校の教室。

 週末にもかかわらず登校していた生徒は、部活動の合間に、教室で友人と仲良くランチを楽しんでいた。

 顧問の悪口や、最近のマイブームなど、他愛のない話に花を咲かせていたのだが、ある友人の提案から、最後の『カウントダウン動画』を見ようということになった。

 動画はいつものテストパターン放送のようなカラフルなものではなく、一人の男が淡々と演説をするものだった。

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