《啓示》

《啓示》


 気が付くと、加神は蛍雪高校三年C組の、自分の机に突っ伏していた。

 ……見知った女子生徒が、顔を覗き込んでいる。

「珍しいね、加神君が居眠りだなんて。次、移動教室だよ。時間遅れないようにね」

 変な体勢で寝ていたのだろうか、体もそうだが、頭がまともに動いてくれない。

 視界が段々とクリアになり、黒髪ロングの、幟なつめの姿がはっきりになった。

 教室には、二人以外に誰も残っていなかった。

「……一緒に行かないのか? いつも一緒に移動するのに」

「えぇっと、そうだったっけ? あたしたち、そんなに仲良しな感じだった? ……あ、違うの! 嫌だってわけじゃないの! むしろ嬉しいくらいなんだけど……。いや、そうじゃなくて!」

 表情をコロコロ変えながら、大げさに手を振って一人漫才を始めている。

「それなら、ほら! 加神君、早く準備してよ!」

 幟に急かされるままに、加神は自分の鞄に手を突っ込んだ。

 テキストを片手に抱え、二人並んで教室を出て行く。

 最後にパチンと、電気のスイッチをオフにした。


 廊下を歩きながら、他愛のない会話をする。

 直前の授業について復習したり、今日の学校での面白かった出来事を話したり。

 それはいつもやっていることのはずなのだが、妙な感覚が頭を擡げた。

 そのときだった。幟が頭を押さえて膝を折った。

「うっ……ぐっ……!」

「……ん? おい? どうした、幟!」

「頭が……痛い……っ!」

 床に縮こまって震えている。

 加神は、幟が何に苦しんでいるのか、その原因がわからなかった。

 これでは、助けてやろうにも手を出すことができない。

「しっかりしろ! とにかく、保健室に行こう!」

「あ、あああああああ」

 幟は、腹の中から絞り出すように、声にならない呻き声を漏らした。

 眼の奥にある頭が痛いのか、必死に両手で抑えている。

 その隙間から、赤黒い何かが溢れてきた。

「……何これ?」

 幟が手を離すと、赤黒い何かがまるで生き物のように、手の平に根を這わせていた。

「……あたし、どうなってるの?」

 泣声になりながら、幟の顔がこちらに振り向く。

 その左眼は、鬱金色に輝いていた。

 そしてそこから、赤黒い何かがなおも溢れている。

 液体か個体か、正体の掴めない物体が全身を覆い、靴下の中にまで入り込んでいく。

 ……これってもしかして『イリウム』?

 加神の頭の中に、そんな考えが過った。

 そうだ! イリウムだ! アンリミッターはイリウムをエネルギーに使っているはず!

 しかしながら、その正体を掴んだところで、もう手遅れだった。

 全身に赤黒い模様を付けた幟は、左眼以外、ヒトとしての輝きを失っていた。

「……加神君」

 呆然とする加神の手を、幟は赤黒くなった両手で握ってきた。

 不思議な感覚だった。たしかに握られたはずなのだが、それは視覚による情報だけだ。握られたこと以外、体温も何も感じなかったのだ。

「『あたしの友達になって?』」

「俺たちは、もう友達だろ……」

「それだけじゃない。『彼女になって?』『結婚して?』『あたしと家庭を作って?』」

 幟は堰を切ったように念いの丈をぶちまけていた。

 それに呼応して、左眼の輝きが増していく。

「子供は何人がいいかな?」

 言いながら、嬉しそうに表情を崩している。

 ……訳がわからない。幟が何を訊いているのか、意図は何なのか、理解できなかった。

 そもそも目の前の〝コレ〟は幟なのだろうか。

 幟は無垢な笑みを向けていた。

 そしてその表情に、幟ではない誰かの顔が重なって見えた。

「……っ!」


 ――続け様にフラッシュバックする。

 ネイピアビルディングに放置された二つの死体。

 間宮が殺した、不動と火鳥の死体だ。

 無垢な笑み。その向こうから声がする……。

 男も女もいる。子供も大人もいる。日本人も外国人も。

 たくさんの、誰かの、悲鳴だった。

「助けてくれ!」「やめて、殺さないで!」

「助けて!」「助けて!」「助けて!」「助けて!」

「たすけて!!」

 声が鮮明に聞こえるにつれて、周囲が白く輝き始めた。

 ハッとして窓の方を振り返ると、青空を埋め尽くす閃光が、上空で輝きを放っていた。

 そのとき加神が感じたのは『終焉』の二文字だった。

 ……核兵器が、空で爆発している。直感的に、そう思った。

 白い輝きは加神の視界を覆い尽くし、見えるものすべてを白に染め上げた。

 体が焼ける。景色がジリジリと燃えていく。

 ……そうして世界が、すべてが、一瞬にして終わりを告げた。


 ……気付いたときには、加神の体は再生していた。

 目の前には一つの扉。

 光だらけの世界の中に、見覚えのある倉庫の扉がある。

 加神は不思議な力に吸い寄せられるように、その扉を開いていた。

 そこに広がっていたのは、赤と黒に染まった世界だった。

 地上は焼け野原となり、鞠那シティにあった数々のビルが倒壊している。

 鉄骨は剥き出し、ガラスは溶けて形を変え、それらが散乱した地面は捲れあがっていた。

 大量の煤は落ち切る気配を見せずに、宙を漂い、太陽の光を遮断していた。

 昼なのか夜なのかわからない空の下で、加神は徐に歩き始めた。

「…………」

 そしてすぐに、つま先に柔らかい感触を認める。

 これも何かの残骸か? そう思って正体を確かめようとする。

 ……それは死体だった。焼け焦げた人間の死体だ。

 顔面は爛れて誰だか判別が難しくなっているが、蛍雪高校の制服を着ている。

 そう考えると、この死体は、クラスメイトの一人に似ている気がする。

 改めて周囲を見渡してみる。

 ただの残骸だと思っていた黒い物体は、すべて人間の死体だった。

 その死体の中に、またもや、見覚えのある服装をしているものがある。

 幟……不動……火鳥……首堂……。さらには、ひなたの死体もあった。

 蛍雪高校の友人。今まで接してきた鞠那シティの人々。

 みんな、核兵器で死んだのだろうか。

 熱で渇いてしまったのか、不思議と涙は出て来なった。

「あはははははははははは」

 狂ったように笑う女の声が聞こえて、加神は視線をそちらに向けた。

 白黒の服に身を包んだ誰かが、両手を広げて、舞うようにその場で回っている。

「死んだ死んだ! みんな死んだ! これでもう、『異端脳力者はいない』!」

 女の両眼はオッドアイで、左眼は紅く、右眼は碧かった。

 そして、幟と同じように、イリウムが根を伸ばして模様を作っていた。

「……お前がやったのか?」

「お前じゃない。私は間宮凛だよ。私は何もしていないよ」

 間宮は無垢な笑みを向けていた。

「みんなが勝手に殺し合ったの。人類は滅んだんだよ」

 そのまま表情を崩さずに空を見上げ、煤の雨を全身で受け止める。

「これでやっと報われる……。これで、やっと……」

「あ、おい! 間宮っ!」

 力尽きた間宮は、牌のように背中から倒れた。

 加神はすかさず駆け寄った。

「間宮っ! 間宮っ! 起きてくれよ! 何なんだよこれっ!」

 体を揺さぶっても、一切の反応を示してくれない。

 イリウムの根は、息を引き取るように失くなっていた。

 みんなが勝手に殺し合った?

 それでこんな風になったって言うのか?

 それならどうして、〝俺だけ〟が生きているんだよ?

 加神の問いに答えるように、すぐ傍で二つの影が動く。

「これは決定された未来だ。それを回避するために僕たちが存在する」

「いずれ人類は終焉を迎える。世界が闇に飲まれたとき、我々が再興の道へと導こう。そして今よりも、より良い世界と、秩序ある世界が待っている」

 ……白衣に身を包んだ誰かが、加神を見下ろしている。

 だが、二人の顔には白い靄が掛かっており、人相を確認することはできなかった。

 ない交ぜになった感情で今にも押し潰されそうになる。

 それなのに、涙は一滴も流れないでいる。

 ……すると、間宮の制服に赤黒い何かが垂れてきた。

 それは、加神の左眼から溢れていた。

「……あぁ、そうか、そういうことか。はは……俺はこれを望んだんだもんな……」

 〝生きた証を残す〟ことを――。

 これが自分の本物の感情なのか、それとも何かに惑わされた結果なのかはわからない。

 加神は、喜怒哀楽がグチャグチャになりながら、赤黒い涙を流していた。

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