四話 天から地へ「まだそんなことを言ってんのかよ」
天から地へ①
――間宮宅――
「マクスヴェルは世界の癌だ!」
肺中の空気をひっくり返すような、騒々しい声が聞こえてきて、加神は深い眠りから目を覚ました。
いつの間にか、ソファでオチてしまったらしい。
カーテンの隙間から差した朝の陽の光が、リビングの一角を照らしている。
「わたしたちは仕事を奪われた!」
換気のためか、窓が少しだけ開かれている。
……いったい何を叫んでいるんだろう。
外を確認してみると、発声源は一人ではなかった。
「行き過ぎた科学は、世界を破滅に追い込むだろう!」
「そうだ、今こそ! むしろ人類は退化するべきなのだ!」
「そうだ!」「そうだ!」「そうだ!」
老若男女、様々な人たちが、マジックペンで思いを認めた段ボールの切れ端を掲げ、住宅街の中央を闊歩している。
『反マクスヴェル』のデモ隊だ。まさかこんなところで出くわすとは思わなかった。
せっかく爽やかな朝を迎えたと思ったのだが、途端に廃油が混ざった気分になる。
しばらく眺めていると、近所の住人が顔を出した。
二階の窓を開けて、落ちそうな勢いで乗り出している。
「朝っぱらからうるさいんだよ! 他所でやっておくれ!」
「オービタル社はマクスヴェルを推進する悪しき企業だ! 奴らが開発を進めたこのエリアには、誤魔化すことのできない瘴気が漂っている!」
「あなたは理解していない! 今に後悔することになるぞ!」
「下らないねぇ……! それ以上騒ぐと、通報するよ!」
住人は、相手にならないと判断すると、怒りを込めた勢いで、窓とカーテンを閉めた。
……まあ、勘弁はして欲しいよな。
脂の匂いが鼻を撫で、加神は匂いに誘われるままに、キッチンへと足を進めた。
間宮は花柄のエプロンを着け、機嫌が良さそうに頭を揺らしながら、フライパンでベーコンエッグを焼いていた。
加神の気配を感じたのか、チラリとこちらを一瞥する。
「おはよう。本当に再生するんだね。掃除をせずに済んで助かったよ」
「…………」
「良く眠れた?」
「……寝覚めは最悪だな」
「さっきのデモ隊ね……。最近になって、こっちまで勢力を広げているみたいなんだ」
やれやれといった感じで、フライ返しを上に向けている。
「マクスヴェルの暗部ばっかりを気にして、その恩恵の大きさを理解していないんだろうね。マクスヴェルを取り入れない国では、内戦が頻発しているくらいなのに」
「テクノフォビアって奴だな」
「ちなみに、加神はどう思う? マクスヴェルは必要ないと思う? それって、私たち脳力者の存在を否定することにもなるけど」
「嫌な訊き方だな。答えは決まってるようなもんじゃないか」
「……うーん、そうなのかな」
間宮のとなりに立って、料理をする彼女を間近で観察してみる。
無駄がない。
今度は鼻歌交じりにフライパンを振っている。
まるで、ドラマのワンシーンを切り取ったかのような優雅さだった。
「……変な夢を見たんだ」
「どんな夢だったの?」
邪険にされる可能性を考えていたが、間宮は嫌がることなく、話に付き合ってくれた。
「アンリミッターからイリウムが零れて脳力者を覆い尽くして……。それで、その脳力者の念いが暴走して……。空では、大爆発が起こるんだ」
加神は、その夢が如何に異様だったのか、ジェスチャーを交えて説明していく。
「……んで気が付いたら、辺りが焼け野原になってるんだ。たくさんの死体も転がってた」
「……ふぅん」
「間宮は何とも思わないのか?」
「思わないことはないけど……。脳力に目覚めると、何故かそういう夢を見る人が多くてさ。まあ、こういう仕事をやってたら、ノイローゼになってもおかしくはないよ」
それだけで済ませてはいけない気もするが。
加神は夢の内容を反芻した。
あれは、夢という言葉で片付けるには、あまりにもリアリティがあり過ぎた。
焼けつくにおい。死体の触感。そして自分の壊れた感情。
すべてが本物のように感じたのだ。
「加神は、朝食はご飯とパン、どっちが良い?」
間宮はこちらの様子を気にすることもなく、せっせと朝食を作っていく。
……加神の話に興味はないようだ。
「手間が掛かるし、パンで良いよ」
「わかった」
良い匂いに浮かされた加神は、正直に答えていた。
ひなたの部屋で食べた、手製のオムライスの味を思い出してしまったのだ。
ダイニングの椅子に腰を下ろし、改めて夢の内容を振り返ってみる。
終焉。あの夢には、その二文字が相応しかった。
そのとき、ある言葉が脳裏を過った。
『いずれ人類は終焉を迎える。世界が闇に飲まれたとき、我々が再興の道へと導こう。そして今よりも、より良い世界と、秩序ある世界が待っている』
鞠那中央医療センターで、火鳥が気を失う前に、呟いていた言葉だ。
そしてそれだけではなく、昨夜の夢の中に現れた人物も、同じ台詞を吐いていた。
加神を惑わすための戯言が、記憶の整理として夢に現れたと考えられなくもないが……。
念には念を入れて、火鳥の言う通り、相棒に訊いてみても良いのかもしれない。
間宮が二人分の朝食をテーブルに置く。
いただきますと呟き、流れるようにベーコンエッグトーストを折り畳んでかぶりつく。
美味しそうに食べる姿に気が引けたが、様子を見てから、加神は切り出した。
「間宮は、『トライオリジン』って知ってるか?」
「……んー? そんなの聞いてどうするの。朝からするような話じゃないよ」
「火鳥たちはトライオリジンのために、今回の計画を仕組んだそうなんだ。……それを思い出してさ。知ってんなら、何なのか教えてくれよ」
間宮は一旦思案するように、牛乳の注がれたコップを高めに煽った。
「……そういうことね。あいつも『信者』だったわけだ。納得したよ。あんなものを本当に信じてるなんてね。馬鹿馬鹿しい……」
言いながら、トーストを少ない回数で噛んで嚥下していく。
「『起原の三人(トライオリジン)』は、CIPが最初に生み出したと言われる、三人の脳力者のことだよ。【未来予知】【死者蘇生】【破壊】――それぞれが、その脳力を発現させている。世界の天秤を保つ上で、必要な脳力を持っていたんだってね」
「世界の天秤を保つ、か……。むしろ、そんな三人が居たら壊れそうだけどな」
まるで聖典に出てくる三柱の神のような響きだ。
脳力の名称を聞いただけでも、途方もない力を秘めているように感じる。
「ある意味では当たってるよ。だって、異端脳力者が生まれた原因には、トライオリジンも関わっているんだから」
「詳しく訊いても良いか?」
「……発端は十九年前――CIPの創立からは一年前だね。未来予知の脳力者が先導して、トライオリジンが姿を眩ましたの。『世界の終焉を見た』――。そんな言葉を残してね。
以来、脳力者の間で、トライオリジンの存在は宗教化した。世界の終焉の前に、人生を謳歌したい者や、自分勝手な大義のために行動する者が現れたってわけ」
なるほど……? いや、本当にそうなのだろうか。
「……待てよ。なんか時系列がおかしくないか? CIPが出来たのは十八年前だろう? そうなると、脳力者が生まれたのも、当然その後のはずだ」
「……ああ、ごめん。この前はその方がわかりやすいと思って、説明を端折っただけなんだ。つまりはね、この世に誕生したのは、トライオリジンが先なんだよ。
CIPは、そのときの技術を流用して創立された組織。言うなれば、私たち脳力者は、トライオリジンの子孫みたいなものなんだ」
それが事実だとすれば。
脳力者は、トライオリジンを元に生まれたのなら。
「じゃあ、俺が見た夢の正体は……」
その正体に、答えを出せそうな気がしてくる。
「さっき言ってた変な夢のこと? 私は多分、その夢を見たことがないんだよね」
「これは可能性の話だけどさ……。俺たち脳力者は、アンリミッターを通じて、トライオリジンと繋がっているとは考えられないか?」
電子機器で言うところの、親機子機の関係だ。
あり得ない話ではないはずだ。
「そしてあるとき――天啓を得る。それがあの夢なんだ。そうやって、異端脳力者が生まれていく……。俺が脳力を発現したから、あんな夢を見たのかもしれない」
「ふふっ、本当に加神は、面白い仮説を立てるよね。それが本当なら、この瞬間から加神は私の敵になるけど?」
テーブルに乗り出し、顔を近づけながら、冗談交じりに言う間宮だが。
その発言は、どこか加神を試しているようにも感じた。
「……それはないな。俺の念いは変わらないよ。俺は……世界の終焉なんて認めないよ。異端脳力者を捕まえるって、昨日格好付けたばかりだもんな」
「うん、そうだったね」
間宮は嬉しそうに口元を緩めると、残ったトーストを一口で食べ切った。
自分で作った料理に惚れ惚れしている。
「加神は食べないの?」
「……あ、あぁ。手が止まってたな……うん! やっぱり間宮の作る料理は美味いな!」
「やっぱり良いよね……こういうの。なんだか、懐かしいな……」
間宮が、うっとりした表情で、加神の食べている様子を見守っている。
「ふふ、私思うんだ。加神を選んで良かったって」
「…………」
「……どうしたの?」
デジャヴを感じた加神は、思わず手を止めていた。
意識が途切れる直前にも、似たような空気が流れた気がするのだ。
加神は、恐る恐る口を開いた。
「いや、何でもない……」
キッチンに並んで、間宮と一緒に後片付けをする。
時計の針は、七時を過ぎたところだった。
しっかり戸締りするように、間宮に促してから、家を後にする。
加神は、ヘルメットとゴーグルを着けて、バイクに跨った。
「『カウントダウン動画』のことを考えるなら、タイムリミットは今日の十二時だ。時間はもう残されていない」
「行く当ては?」
「こうなったら、首堂に関係がありそうな場所を片っ端から調べるしかないな」
「そうだね」
二人の体重を背負ったバイクが、僅かに沈み込む。
加神は、ハンドルを固く握り締め、力強く捻った。
――プロトライフ――
鞠那シティ中心地のほど近いところに、その家電量販店はあった。
昨今のマクスヴェルの普及に抗うかのように、古き良き電化製品をメインに据えている店舗だ。煌々と輝く電光看板は、四六時中それをアピールしている。
外に整備された駐車場。
無造作に留められた車の中で、首堂昂太郎は俯いていた。
左眼を鶯色、右眼を鬱金色にした異色義眼(オッドアイ)。
間宮が攻め入り、あれから一日が経過した今。
首堂にはもう、仲間は残されていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます