オッド アイ⑤
やはりアレと正面から向き合うしかないということか。
……いや、何を身構える必要がある。
どの道このまま放って置くことなど、加神にはできなかった。
「わかった、教えてくれ」
「……マーリンはね、正しい愛の形を知らないんだ」
「愛の形……?」
「本人はそんなことないって言うんだけどね。マーリンのお母さんから聞いたことがあるんだ。マーリンは生まれつき、脳に機能障害を患っているの。脳下垂体に異常があって、オキシトシンって言う物質が、正常に分泌されない体質なんだってさ」
オキシトシンというものについては、加神も聞いたことがあった。
日頃の勉強をしていく過程で、保健からわき道に逸れたときに、何かの本でそんな単語を見た記憶がある。
俗に幸せホルモン、愛情ホルモンと呼ばれる脳内物質で、主に『他者を思いやり、他者を感謝する』ことで分泌が促されるものらしい。
「……これがどういうことかわかる?」
「間宮は今まで、真の意味で愛することも、愛されることも感じられなかったってことか? だから正しい愛の形を知らないと……」
ひなたは憐れんだ目で、眉尻を下げた。
「そういうこと。ただ、その代わりと言っては何なんだけど、マーリンにはそれを補うことができる、別の回路が備わっていたの。マーリンはあることを実感することで、脳内に大量の快楽物質が分泌されるらしいんだ」
「それは何なんだ……?」
「一言で纏めるなら『破壊』だよ」
破壊……か。
やけに抽象的な表現だったが、その意味はすぐにひなたから説明された。
「実際あたしは見たことがあるの。小さい頃のマーリンは、工作の時間に作った作品や、自分が育てた花壇の植物、そういったものをわざと壊して、快感や多幸感を得る一面があった。それが自分自身に近いものであるほど、心の底から嬉しそうにしてたよ」
「…………」
「前の相棒が、両親を殺された直後のマーリンを保護したことは知ってるんでしょ」
「あぁ……」
「そのときのマーリン、笑ってたらしいんだ。一切の翳りのない、無垢な笑みを向けてさ」
おそらくひなたは、前の相棒とは何度か会ったことがあるのだろう。
「きっとマーリンはそのとき、人生で一番の愛を感じたんだよ。考えてみればおかしいよね。強盗の仲間かもしれないのに、目の前に現れた男に付いて行ったんだからさ。
そしてその日から、マーリンの箍は外れた。相棒が亡くなってからは特にね。まあ、さすがにマーリンが相棒を手に掛けたとは思えないけど」
「……それを俺に話すってことは、俺に警告してくれてるのか」
「あたしはただ、マーリンの相棒として、生絃を認めたってだけだよ。きっと、マーリンの念いを受け止められるのは生絃しかいない」
「そりゃ、責任重大だな……」
加神は遠いところを見つめて、自分の考えを纏めた。
……すると、モニターに表示された時計が目に留まった。
「『森羅アルト』の配信、止めなくても良かったな」
「……あー。たはは、目ざといね、生絃は。今日はもうそんな気分じゃないかな」
「俺はそろそろお暇するよ」
「もう行くの?」
「これ以上邪魔するわけにも行かないしな」
「そっか、ちょっと残念」
それはある種の社交辞令のようなもの。
そう考えた加神だったが、ドアの前で振り返ると、ひなたは表情に影を落としていた。
なんというか……らしくなかった。何も今生の別れでもないというのに。
「それじゃ。ありがとな、ひなた」
わざと手を振って、明るい気分を取り戻そうとする。
「この件が片付いたら、部屋を元に戻すの手伝うよ」
「いいよ別に。明日には機材を買い直しに行くから」
「そっか……。じゃあ、三人で飯でも食いに行こうぜ」
「うん……良いね。あたしは賛成しとく」
これは約束でもあり――必ず事件を解決する誓いでもあった。
名残惜しそうに、ドアの染みをジーッと見つめるひなた。
「行っちゃった。もうちょっと居てくれても良かったのに……」
彼女の独り言は、加神にはもう聞こえなかった。
――間宮宅――
バイクに端末機をセットし、ひなたに貰ったデータを元にナビを設定。
指示通りにバイクを走らせていくと、一軒の民家に辿り着いた。
鞠那シティでもごく一般的な、四角い入れ物に蓋をしたような格好の家だ。
門前の表札には〝間宮〟と書かれている。
……ここで間違いない。加神は息を呑んだ。
早速インターホンを押してみる。
反応はない。ひなたが言うには、自宅にいる可能性が高いとのことだが。
視線をずらしてみると、リビングであろう大きな窓が付いた一室に、灯りが点いていた。
間違いなく人はいる。
思い切ってドアノブに手を掛けてみると、鍵は閉まっていなかった。
玄関を上がり、空き巣のごとく、フローリングを滑るように進んでいく。
リビングのソファに、間宮は浅く腰かけていた。
「……何しに来たの?」
無機質な眼が、ぎょろりと振り向いた。
「何って……相棒の様子を見に来たんだよ。そう身構えるなって」
「普通に不法侵入だよ」
「だったら鍵はちゃんと閉めるべきだな。強盗でも入ったらどうするんだ」
「鞠那シティは〝平和な街〟だからね。閉めなくても平気でしょ」
「…………」
「ちょっとは笑ってよ。加神、顔怖いよ?」
そういう気持ちにはなれなかった。
大方、万が一強盗が来たとしても、返り討ちにすれば良いと思っているのだろう。
「となり、いいか?」
「…………」
間宮は答えないが、否定をするわけでもない。
ここはポジティブに肯定と捉え、加神はソファに腰を下ろした。
リビングを見渡してみる。
間宮を理解できそうな何かがあるのではと思ったのだが、目ぼしいものは特になかった。
家族の写真。思い出の品。そういったものは何もない。
……ただ、そのおかげで、間宮がこの家の下で、たった独りで半生を過ごしてきたことだけは理解できた。
加神の人生は、崩れた家庭環境の中にあった。
暗闇から救ってくれたのは首堂で、彼のおかげで、ありふれた日常を送ることができた。加神は、言葉を選ぶなどと余計なことは考えずに、正直な気持ちを吐き出していた。
「……俺はお前の気持ちはわからない。家族愛とか、そんなものは幻だったと思っているくらいなんだ」
「不幸自慢でもする気……?」
嫌味のように、二人の間に壁を作ってくる。
二人の境遇は似ているようで違う。
加神は暗闇の箱から出ているが、間宮はそうではない。
自分を助けてくれた【障壁】のエージェントと共に――その左眼と共に、暗闇の中を生き続けているのだろう。
そして今の加神に、扉を開けられる資格はなかった。
「……けどさ、やろうとしていることは一緒なはずだ。一緒に首堂を〝捕まえる〟。そうだろう?」
断じて、殺すのではなく――。
そういう意味を込めて、加神はアクセントを置いた。
「捕まえて……異端脳力者を日常に戻すの? 悪い奴らがのうのうと生きてるなんて、そんなのおかしいよ……」
「誰かの日常を壊すってことは、それに関わっている人間の日常を壊すことにもなるんだ」
加神はきっぱりと言い切った。
……そうだ。母親が家を出て行ったことで、加神の日常が崩れてしまったように。
「不動や火鳥の両親が健在だったら? 兄や姉はどうか? それとも、弟か妹か? 友人だって何人かはいるだろう」
「…………」
「不動が思いを馳せる女性がいたかもしれない。火鳥に対して思いを馳せる男がいたかもしれない。二人がいなくなったことで、その人たち全員の日常が変わってしまうんだよ」
記憶の消去と一口に言っても、CIPが何処まで手を回しているかわからないが、全員が存在を忘れるということはないはずだ。
「負のサイクルは止めなくちゃいけない。CIPは、みんなを守る組織なんだ」
「そう……かもしれないね」
間宮は声色を弱めた。
自ら進んで暗闇の中で生きている間宮が、内側から扉を開けてくれたように感じた。
「けど……誰かを救う度に、あの日のことを思い出すの。それと同時に、抑えようのない怒りを覚えてしまう。生かしたままにすることが、両親に対する冒涜のようにも感じるの」
悲痛に満ちた声色で、間宮は顔を伏せた。
――そのときのマーリン、笑ってたらしいんだ。
当時の間宮がどんな気持ちだったのか、それが加神にわかるわけもない。
だが、今の間宮が偽りではないことは、傍に居る自分自身が理解しているつもりだった。
間宮は迷っている。
二つの念いに揺れている。
そのどちらが正解なのかを決めるのは早計だが、加神にできることは一つしかなかった。
「だったら俺が一緒に考えるよ」
「加神が……一緒に?」
「今の俺に、間宮の傷を癒すことができないのはわかってる。けど俺は間宮の相棒だ。これだけは言わせてくれ。俺は間宮の傍から、絶対にいなくなったりしないよ」
間宮は見上げるように加神を見つめていた。
その不安を払しょくするために、至極当然なことを言ってやる。
「俺は生きてる。だから一緒に、間宮の念いを背負わせてくれ」
「何それ……。一回私に殺されたくせに……」
暗闇から外に出すのが難しいのなら、自分も一緒に暗闇の中を進もう。
それが茨の道でも、そこに道がある以上は、その手助けをできるのは自分しかいない。
生きた証を残す――。
そのために、身近な相棒のために命を張れないようでは、男として失格だと思った。
間宮はそっと、加神の体を抱き締めた。
その存在を確認するように。
死してなお寄り添ってくれる存在を慈しむように。
予想外の反応に戸惑ってしまう。
加神は逡巡したが、間宮と同じように手を回した。
「でも、ありがとう。今のはちょっと響いたよ」
「……おう。この展開は考えてなかったけどな……」
「ごめん。こうすると落ち着くんだ。もうちょっとだけこうさせて?」
「あぁ……」
そこで間宮は、そばだてるように、加神のにおいを嗅いできた。
「……? 加神、何か良い匂いがするんだけど……。喫茶店では酷い臭いだったのに……。一度家に帰ったの?」
探知犬のように全身を嗅ぐと、首を傾げて両眼で見つめてくる。
濁りのない表情を目の前で見せられて、加神はみっともなくしどろもどろになった。
「ま、まさか! 間宮を追いかけるのに必死なのに……わざわざ帰るわけがないだろ。これはひなたの――」
「ひなたの……何? 家に行ったの?」
途端に訝しむような目つきを向けてくる。
なおさら加神は、隙だらけになっていた。
「あぁ……行ったよ。間宮の居場所に心当たりがないかと思ってさ」
「あんなゴミ屋敷を経由して、なんで良い匂いになってるの? まさか、あんた……」
「待て待て、変な妄想はするなよ! 普通に風呂を借りただけだ!」
そうだ、やらしいことは断じてしていない! そもそも高校生同士なんだぞ!
加神はそういう意味のつもりで、先回りして正直に話していた。
しかしながら、それが良くなかった。
「女の家の風呂を借りることの、どこが普通なの?」
「……ぐ」
先刻までの空気は何処に行ったのか、全身に殺気のようなオーラを帯びている。
今まで対峙してきた異端脳力者は、これを間近に見ていたのだろうか。
間宮は、見たことのある無垢な笑みを向けてきた。
「加神? 好きなときに殺しても良いって話だったよね?」
「え? そんな話だったっけ?」
愛想笑いで誤魔化そうとするが、死刑宣告を逃れることはできず。
プツリ。テレビの電源を落とすように、加神の視界は真っ暗になった。
「この……変態」
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