⑤鞠那中央医療センター

 俺がここまで生きてきたのは、きっとこのときのためだ……。

 加神は自分にそう言い聞かせながら、火の海の中を突き進んでいく。

 一歩前に進むごとに、熱い空気と煙が体内に流れ込んでくる。

 床に垂れた汗の滴は、すぐに乾いて消え失せる。

 背中におぶった患者服の老人は、濡らしたタオルの合間から、呼吸を繋ぎ止めていた。

「……もう少しです。もう少し、踏ん張って下さい……」

 老人の微かな呼吸が、今の問いかけに対して、頷いているような感覚を覚える。

 火鳥が引き起こした爆発のせいで、病院内は瞬く間に蹂躙された。

 熱と光と爆風で、瞬間的に意識が飛び、気付いた頃には、辺りは地獄と化していた。

 体力のある者は先導し、病院内の人間を避難させたが、全員の無事が確認されたわけではなかった。

 加神が憧れる警察官なら、きっと迷わずに火の中に飛び込んでいくはず。

 広がりゆく炎よりも、加神の心は、猛々しく燃えていたのだった。


 ようやく外まで出て来られる。

 これで病院内を三往復だ。救助できたのもすなわち三人目。

 まだ取り残されている人はいるのだろうか。

 疲れ果てた加神がアスファルトに膝を着くと、レスキュー隊員が数名駆け寄ってくる。

 駆け付けるのが早いことは褒めるべき点だが、これを機に、防火対策くらいするべきだろうと心の中でぼやいた。

「勇敢な少年だな。あとのことはおれたちに任せるんだ」

 レスキュー隊は老人を担架に乗せると、救急車が留められた敷地外へと運んでいく。

 もちろん消防車も到着している。

 鎮火に時間は掛かるだろうが、加神はホッと胸を撫で下ろした。

「俺は一人でも大丈夫なんで……」

 と言って、それとなくあしらうと、時間を食っている暇ではないと判断したのだろう、残ったレスキュー隊は火事の病院内へと入っていった。

 大きなため息を吐く。

 ひとまず、最悪の事態にはならなさそうだ。

 ――しかしながら、安堵している場合ではなかった。

 不意に、誰かの悲鳴が轟いたのだ。

 助けて! 誰かがそう叫んでいる。

 まさか、倒れている人でもいるのか?

 加神は残った体力を振り絞って、声のする方へと体を運んでいった。


 駐車場のスペースを通り抜け、病院の裏に回っていく。

 そこで待っていたのは、火鳥だった。

 風で流れてきた黒い煙の向こうで、平気そうに佇んでいる。

 ということはつまり、先の悲鳴は、火鳥の演技だったのだ。

「やるじゃない。さすがCIP。敵じゃなきゃ、ちょっと惚れていたかもね」

「逃げたんじゃなかったのか……」

「……逃げる? これでも結構ムカついてるのよ。アルト君の配信は逃すし、首堂は逃げるし、不動はやられるし。だから、仕返しをしようと思ってね」

「……仕返し?」

「エージェントってことは、脳力者なのよね? なら、問題ないわね」

 火鳥は勝手に納得したように頷いた。

 そして瞬く間に、目の前が業火で埋め尽くされる。

「――――くぅううっ!」

 咄嗟に両手で顔を守ろうとするが、意味は持たない。

 火鳥の火炎放射をもろに食らってしまい、加神は崩れ落ちた。

 全身が熱い。息が苦しい。今にも死にそうだと、心が叫んでいる。

「無様ね。間宮がいなきゃ、何もできないくせに」

 ギラついた目線を火鳥に向けるが、そこで加神は、あることに気付いた。

 …………あれ?

 体が言うことを聞いてくれない。

 それどころか、意識が徐々に薄れていく。

「…………な、ぜ」

 先ほどまでは気にしていなかったが、相当ダメージが溜まっていたようだ。

 ……アドレナリンが底を尽きた。

 加神は気力で立ち回っていたに過ぎなかったのだ。

 俺の体力を奪うために、病院に火を放ったってことか……!

 遠くから、消防車と救急車のサイレンの混ざったものが聞こえてくる。

 加神を助けてくれる者など、ここにはいない。

「どうせ計画の最後にはみんな死ぬんだし……だったら、ここで殺してあげるわ」

 火鳥は手の平を加神の頭に置いた。

 狂気にまみれた左眼が、真っ赤に輝いている。

 死ぬ……? 俺は死ぬのか……? ここでこいつに殺されるのか……?


 ――――本当に?


 抵抗しようにも、指一本動かすことができず、加神は為されるがままだった。

「トライオリジンは世界を救う。これは救済のための一手よ」

 『トライオリジン』……?

 そして、加神の疑問が――声が、口から発せられることもなく。

 左眼の輝きは増幅し、手から感じる熱が全身へと伝播する。

 加神の体中の、穴という穴から火炎が噴き出す。

 内臓は焼き尽くされ、肌は見る見るうちに焦げていく。


 俺はまだ、死ぬわけには行かないのに……。

 生きなくちゃ……。

 生きなくちゃ…………。

 生き……なくちゃ…………。


 命という灯は燃え尽き。

 命という残り香すらもかき消され。

 焼け焦げた躯から――義眼(アンリミッター)が零れ落ちた。

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