オッド アイ③
このままここに放っておくわけにも行かない。
加神は間宮と合流するため、行動を起こした。
「仕方ねぇな……」
脇の下と膝の下に手を差し入れて、横抱きの要領で持ち上げる。
ネイピアビルディングはそこまで離れているわけではない。
女を抱きかかえたまま移動するのは少々憚られるが。
「……軽いな」
こんなか弱い女に殺されたのか――と。
初めてのお姫様抱っこの感想が、ポツリと零れ落ちた。
――ネイピアビルディング・エントランスホール――
太陽は西の彼方に沈みだし、空からは、はらはらと雨が降り出してきた。
この天候なら、病院も直に鎮火できるだろう。
「間宮! 火鳥は何とか捕まえたぞ! そっちはどうだ?」
加神は、眠っている火鳥を抱きながら、得意な気分で声を掛ける。
間宮はしゃがみ込んで、ぶつぶつと何かを呟いていた。
不動と話しているのかと思ったが、どうやら様子がおかしいことに気付いた。
二人の周囲に赤い水溜まりが広がっている。
むせるような鉄の匂いがここまで漂ってくる。
間違いない……血だ。
間宮は、不動が流している血を人差し指で掬い、口に運んでいた。
「お前……何やってんだよ……」
「……話を割れなかった。首堂の居場所を聞き出したかったんだけど。裏切り者のくせに、根性はあるんだね。最後までこいつは仲間を売ろうとしなかったよ」
淡々とした口調で言ってのける。
目の前に重傷者がいるにもかかわらず、だ。
「そっちはどうだった?」
「不動は生きてるのか?」
「死んだよ。言ったでしょ。話を割れなかったって」
「……死んだ? 間宮いま、死んだって言ったのか? まさか、お前が殺したのか?」
沈黙が肯定の空気を作る。
「なんで、そんな酷いことを……」
「火鳥をこっちに寄こして。今度はそいつから聞き出すことにするよ。不動があんまりウザいから加減を間違えちゃったみたい。次は上手くやるからさ」
「駄目だ。そう言ってまた殺すんだろ」
「拷問するだけ。火鳥の態度によっては殺さないであげる」
死神の仮面を張り付けて、間宮が静かに歩み寄る。
加神は火鳥を庇うように、小さな体を抱き締めた。
「ほら、放してよ。加神の服が汚れちゃうよ。こうやって……ツーっと線を引いてさ……」
それでも間宮は態度を変えることなく、火鳥の頬に浅い切り傷を作った。
小動物を解剖するように、狂気じみた笑みを浮かべている。
「やめろっ!」
「……あっ!」
ゴロン……と。嫌な音が足元から伝わってくる。
加神が視線を向けるまでもなかった。
火鳥の頭は、マネキンのようにもげていた。
「あーあ。加神が急に動かしたりするから、勢い余って殺しちゃったじゃん。けどまあ、こういうのも、悪くないよね」
……? ……こいつは何を言っているんだ?
加神は状況を理解するのに精一杯だった。
CIPは平和を守る組織のはずだ。
いくら異端脳力者が敵だからと言って、モノのように殺すことが赦されるのか。
加神は、首無し死体を取り落としていた。
「……間宮?」
「ふふっ、顔面蒼白だね。安心して、今のは冗談だよ。本当は普通に私が殺したんだ。だから加神が気を病むことはないよ」
「お前! 自分が何をやってるか、わかってんのか!?」
間宮の胸倉に掴み掛かるが、当人はけろりとしていた。
「怒らないでよ。私の中ではこれが普通なの。あんただってそのうち慣れるよ」
「慣れるとかの問題じゃない! こんなんじゃまるで……まるで……」
「まるで自慰行為だって?」
そこで初めて、間宮は侮辱するような笑みを浮かべた。
それは加神に対してではなく、命を落とした者たちに向けてのようだった。
「……お前っ! あぁ、そうだよ……! 異端脳力者だろうと一人の人間だろ! どうしてそんな風に平気で殺せるんだよ!」
「それに関しては、さっきも言ったはずだけど? 異端脳力者に人権なんてない、って。火鳥に対して何も思わなかったの? 殺されて当然なんだよ」
理解不能だ。意味不明だ。まるで話が通じない。
「クズが二人いなくなっただけ。それも〝最初からいなかった〟ことになるんだ」
「…………」
「ごめんね。加神は優しいんだもんね。近くにお勧めの喫茶店があるの。そこで、落ち着いて話すのはどうかな」
「わかった。それでいい……」
雨量が加速度的に増していく。
二人の間に漂う空気が、否応なしに冷えていった。
『――間宮です。E7、ネイピアビルディングで異端脳力者を二人始末した……』
端末機で誰かと連絡を取っている。
きっと、例の処理班というやつに対応を頼んでいるんだろう。
……死んだ二人は、静かに横たわっている。
「行こう、加神」
名前を呼ばれて、加神の意識は引き戻された。
あれだけ凄惨な現場を潜り抜けたというのに、間宮の服は一切汚れていなかった。
――CAFEピチカート――
雨の降る夜。帳が降りていく。
冷たい雫は窓を叩き、周囲のビルから漏れた灯りが、粒を煌めかせていた。
喫茶店の客入りはまばらで、加神たちは周囲に他人がいない席に案内された。
「チョコレートケーキとコーヒーを下さい。……加神は?」
「俺は大丈夫です……」
「食べられるときに食べた方が良いよ。世の中には食べられない人だっているんだからさ」
「……だったらその人に恵んでやれば良いだろ」
店員はお手前の姿勢でお辞儀をすると、脱兎の如く厨房に姿を消した。
間宮は、アンティーク調のテーブルに肘を突いた。
「……雨、強くなってきたね。間に合って良かったよ。アンリミッターは水が弱点なんだ。軽く濡れる程度なら平気だけど、浸水するとナノケーブルが機能しなくなるから」
さっきから、どうでもいい話題で茶を濁してくる。
しばらくして、店員がコーヒーを持ってくると、それをブラックのまま口に含んだ。
余裕綽々といった様子。舌で転がして嚥下している。
「このセット、私の好物なんだ。加神の好きな食べ物は何なの? 相棒のことは、よく知っておいた方が良いと思うんだ」
……幾分か自分の気持ちも落ち着いた。
加神はようやく本題に入った。
「ずっと気になっていたことがあるんだ。間宮は左右の眼の色が違うよな。脳力に関しても、二つを使い分けている感じだった」
不意打ちの質問に腕が止まる間宮だったが、すぐに観念したように息を吐いた。
「……ま、気付かれても仕方ないか。そう、私は異色義眼(オッドアイ)なの。随分前に、ひなたに頼んで移植してもらったんだ。死んだ相棒のアンリミッターをね」
ひなたが言っていた間宮の秘密とは、おそらくこのことなのだろう。
アンリミッターを移植する行為は、ある意味〝反則技〟だったはずだ。
ひなたに無理を言ってそれをやらせた光景が目に浮かぶ。
死んだ相棒――か。
「……だから、異端脳力者を恨んでるのか?」
「たしかに、それも理由の一つではあるよ。けれど私はそれよりも前から、異端脳力者を全員、消したくて堪らなかった」
間宮は逡巡するように目を泳がせたが、覚悟を決めたのか、スッと両眼をこちらに向けた。作り物の両眼には、感情なんて乗っていなかった。
「ちょっとだけ昔話をしてあげるよ。私が小学校を卒業したばかりだった。私は待ち切れなくて、中学校の制服に袖を通したりして浮かれていたの。そんなとき、ある二人組の男女が私の家にやって来たんだ」
それが異端脳力者だった――。
間宮は誤魔化しきれない憎悪を含めて、言葉を吐き出していた。
「当時の私は、不思議な力を使う二人が、何をしているのか理解できなかったの。目的もまるで意味不明。強盗とか、そんな生易しいものじゃない。自分の力を、周りに振りまきたいだけの異常者だったよ。両親は必死に抗議したんだよ? 頼むから出て行ってくれ。娘には手を出さないでくれって。でも二人は、まともに聞き入れてくれなかった。
私はロープで縛られて、両親がされた酷い仕打ちを目の前で見させられた。二人の欲望が満たされるまで、その捌け口として、両親の体が使われたの。何をさせられたか、最初から最後まで鮮明に覚えてるよ。何なら、丁寧に説明してあげようか?」
「……いいよ。言わなくても想像はできる……」
「そう……。あいつらホント最低でさ。私が泣いても、叫んでも、それを止めようとはしなかった。むしろ悲鳴を聞くとヒートアップしたようにもっと酷いことをするんだ。なんで私たちがこんな目に遭わされなくちゃいけないのか、まるで意味がわからなかったよ。
気付いたときには、両親は死んでいた。お母さんは裸で全身痣だらけで、お父さんはバラバラにされて私よりも小さくなってた。それで目の前に、男の人が立ってたんだ。助けるのが遅くなって、ごめんよ。彼はそんなことを言ってた」
そこで間宮は、吹っ切れたように声色を変えた。
「それからだよ。私はCIPに入って、彼の仲間になったんだ」
「もう一つのアンリミッターはその男の物なんだな」
「そう。片方が【障壁】で、もう片方が【斬撃】。攻防一体の素晴らしいコンビ、なんて言われたこともあったんだけどね……」
「間宮の脳力はどっちなんだ? お前はどういう念いを秘めていたんだ?」
――〝他者を守りたい〟のか。それとも、〝他者を殺めたい〟のか。
相反する二つの脳力の内、間宮を象徴するのはどちらなのか。
「異端脳力者を全員消したい。私の念いは、それだけだよ」
「…………」
「それでも、まだ加神は、私の考え方が間違っているって言うの?」
「……だとしても、もっと良い方法があるはずだ。殺せばそれで良いってわけじゃない。勘違いするな、異端脳力者を擁護しているんじゃない。けれど、罪を償うってのはそういうことだろ」
加神は慎重に言葉を選んだつもりだった。
しかしながら、間宮が秘めていた負の感情はそれ以上だった。
「……わかったように言わないでよ!」
頬に小さな切り傷ができる。斬撃の脳力を使ったのだろう。
切り傷は、再生の脳力ですぐさま口を閉じた。
「生涯に付いた汚点は、どれだけ白い絵の具を加えようと元には戻らないの。それは黒を薄めているだけ。過去を変えることはできないの。いくら罪を償っても、決してね。だったら、キャンバスそのものを変えるしかない。そうしなくちゃ、私の両親が浮かばれない」
「それで間宮が同じようになっても良いのか?」
「私は白黒でいい。その生き方を享受したから。……加神はそうはならないでね」
白黒の制服に身を包んだ女子高校生は、そう言って俯いてしまった。
……いや、そもそも高校生なのかも疑わしい。中学生を前にしてエージェントになる決意をした間宮が、普通の日常を送れたとは思えなかった。
「狂ってるんだよ、私は……」
経験してきたものが丸きり違う。
加神はなんて言葉を返せば良いのかわからなかった。
「私、首堂の居場所を突き止めないと。何か情報があったら連絡するから……。じゃあね」
間宮は千円札をテーブルに置いて、一足先に店を出て行った。
いつの間にか雨は止んでいる。
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