オッド アイ②

 ――生絃。あなたは素敵な子。私はあなたを愛しているわ。だから元気に生きるのよ。

 ――いや、そういうんじゃない。強いて言うなら、友情かな。それだけさ。

 加神の頭の中では、二人の言葉が反響していた。

 …………元気に生きる。

 そうだ、生きなくちゃ……。

 俺は、生きるんだ……。

 命の残り香のようなものが、心の中で、それだけをずっと呟き続けていた。

 喉は渇き、腹には何も入っていない状態。

 倒れた状態で目を瞑る力も残っていない加神は、小さな呼吸だけを繰り返していた。

 生きなくちゃ……。

 生きなくちゃ…………。

 生き……なくちゃ…………。


 外では三日の時が経った頃。

 前触れもなく、目の奥に光が差し込んだ。

『――加神! しっかりしろ!』

 ……誰? 声に出したかった加神だが、それは到底叶わなかった。

 その代わりに、胸が微かに動いていることを感じた。

 声の主が、口の中に何かを流し込んできた。

 水だった。

『……うっ、ぶはっ。かはっ!』

『あぁ! 悪い! こういうとき、どうすれば良いかわかんなくて!』

 加神は思わずむせて、水を吐き出してしまった。

 それが顔面に満遍なく掛かり、目に潤いが満たされると、右眼が正常な光を感じた。

 だが、左眼は潰れており、何も見えないまま。

 加神を助け出してくれたのは、唯一の親友、首堂だった。

『お前そのケガ、どうしたんだよ! とにかく病院に行こう! 今日は親父が家に居るんだ。頼めば連れてってくれるはずだ!』

『ありがとう……首堂』

『……ったく、もっと早く来るべきだったな……。全然来ないから心配したんだぜ……』

 この出来事を皮切りに、事態は明るみに晒されることになった。

 首堂の両親の助力により、ようやく警察が介入し。

 病院での入院生活が終わる頃には、加神の今後が決定されるに至った。

 ブラインドパークの水遊広場。柵に座りながら、二人は話した。

『叔父さんが引き取ってくれるんだってさ。優しそうな人だった。少なくとも、今までよりは良い生活ができると思う。卒業まで今の学校に通わせてくれるって。俺を気遣ってるんだろうな。中学からは別々になっちまうけどな』

『そうか……。けどま、それならそれで、たくさん思い出を作ろうぜ。またウチに遊びに来いよ。歓迎するよ』

 首堂は明るく振舞うと、ちらりと加神を一瞥した。

 加神の左眼が、陽の光を冷たい光にして反射していた。

『義眼って言うんだよ。痛みとかはないけど、空っぽにするのも良くないからな。ケガをしてから時間が掛かり過ぎたんだ。まあ、しょうがねぇよ……』

 それはわかりやすい作り笑いだった。

 首堂は肩を寄せて、手の平で優しく叩いた。

『右眼が見えれば儲けモンだろ。それに俺は、こうしてお前の元気な顔が見れて嬉しいよ』

『あぁ、俺もそう思うよ』

『……なぁ加神、お前って、将来の夢とかあるのか?』

『何だよ急に……。そういう首堂はどうなんだよ。そっちが教えてくれたら、俺も教えてやるぜ』

 にわかに花を咲かせた話題に、二人は無邪気に笑っていた。

『俺は宇宙飛行士になる。メカニックになって宇宙に飛び出してやる。みんなが知らない発見をしてやるぜ! 世界に名前を轟かしてやるよ!』

『轟かすって……。背伸びして難しい言葉を使うなって』

『宇宙には無限の可能性があるんだ! 背伸びしても、足りないくらいだろ! ……で、結局加神はどうなんだよ?』

『俺は……俺は、そうだな……。幸せな人生を送ることができれば、それで良いかな』

『お前こそ、カッコ付けたこと言ってんじゃねーよ。もっとこう……デカい夢はないのかよ。〝宇宙に行く〟みたいな、スケールのデカい夢を持とうぜ』

『デカい、なぁ……。じゃあ俺は、〝生きたっていう証を残したい〟かな……』

『なんだそりゃ? なんつーか、ざっくりしてんな』

『そうか? 教科者に残るような偉大なことをしたい……。そんな感じだ。十分スケールはデカいだろ。ていうか、首堂の夢と大差ないだろ』

『いやいや! 俺は宇宙飛行士だから! 俺は世界に名前を轟かすんだぞ! 絶対にいま考えた奴だろ、それ』

『そんなことはない。俺は本気だ。俺は必ず〝生きた証を残す〟。それまでは死ぬつもりはないね。俺は生きてる。それを最大限利用できることをするよ』

『ふぅん……まあ、お前がそこまで言うなら、それでいいや』

『あぁ』

 そう言って加神は、一念発起の思いで夕陽を仰いだ。

 その両眼は、熱く燃えているようだった。

『いいな、その感じ。生きている顔って感じだ』

『今度は何だよ』

『いいや。お前なら、本当に何かやれそうだなって思っただけさ』


 ――生きた証を残す。

 そのために加神は、誰かのために全力で生きてきた。

 毎日勉強して、毎日筋トレして――。子供の戯言かと思われるかもしれないが、加神は本気で、目標を達成するために努力を重ねた。

 それが、生きられたことに対する、自分なりの回答だと思ったからだ。

 人生の階段が見えたような感覚があった。

 天まで続く果てしない階段だ。

 子供の頃は、それがはっきりと見えていないようだった。

 目の前に存在するのか、存在しないのか、曖昧な感覚だった。

 ブラインドパークで間宮から、CIPや脳力者の存在を説明してもらった夜。

 その階段は鮮明なものになった。

 CIPに入ることこそが、自分の進むべき道。この階段に挑む以外に人生はない。

 命を賭けるだけの意味は十分にあった。

 夜空に満月が昇る時間。時計の短針と長針と秒針が重なる時間。

 だからこそ加神は、固く決心したのだ。

 〝生きた証を残すために、CIPになる〟――と。


 ――鞠那中央医療センター――


「……いい気味。どうせ計画の最後にはみんな死ぬんだし……文句ないよね」

 動かなくなった加神を見下ろして、火鳥は悲しそうに呟いた。

「さてと、それじゃ首堂と合流しないと……」

 死体となったエージェントを背にして、呑気に体を解している。

 死んだ肉体。焼け焦げた肉体。

 その肉体に宿る魂は、篝火のように小さな火を、徐々に大きくしていった。


 生に対する、異常なほどに強い念い。

 加神の念いは、それを脳力として発現させていた。


 焼けた体から溢れた体液が、元の場所に戻っていくように、加神の体内に収まっていく。

 それと同時に、ぼろぼろになった暗緑色の制服は、繊維を元の形に縫い直していく。

 まるで逆再生するように、加神という存在が、〝再生〟していった。

 体液は肌を伝って左の眼窩の奥に収まり、蓋をするように、新しい左眼が構築された。


「待てよ。こっちは訊きたいことがあるんだ」


 五体満足になった加神は、落ちていたアンリミッターを拾い、火鳥の背中に声を掛けた。

 びくっと体を震わせて、異端脳力者が振り返る。

「……え、なんで? なんで、生きてるの……? たしかに焼き尽くしたはずなのに……」

「焼き尽くした……?」

 火鳥に言われて、加神の意識と記憶が、正常な形を取り戻していく。

 そうだ……俺はたしかに殺されたはずだ。

 加神は気になって左眼にそっと触れてみた。

 眼がある。左眼が見えている。

 そして自身の右手には、おそらく自分自身のアンリミッターが握られていた。

 自分でも恐ろしいほどに、脳の回路が答えを導き出す。

 〝生きた証を残す〟ために、何が起きたのか。

 考えうる可能性の一つとして、一番納得できるのはこれだった。

「そうか、俺の脳力は【再生】ってことか……。だから俺は立っているんだな……」

「【再生】……? 何よ、それ……」

 火鳥は驚くが、加神は素直に嬉しかった。

 これほどまでに、自分が欲していた力はない。

 死んでも元通りに再生する脳力。

 そこに加神が努力して鍛えた知恵と体力があれば、きっとどんなことでも成せるはずだ。

「だったら、これは要らないな……」

 加神はナマの左眼に手を突っ込むと、それを鷲掴みにして引っ張り出した。

 もう、こんな眼は必要ない。過去に囚われる必要はない。

 今の自分に必要なものは未来だ。

 アンリミッターがあれば、自分の脳力があれば、それで十分なのだ。

 加神は空いた左の眼窩にアンリミッターを嵌め込んだ。

 左眼が深緑に輝き、損傷した細胞は脳力を以て元に戻る。

 やっぱり――【再生】だ。それは間違っていないようだ。

 あとに残ったのは、無意味に再生したナマの左眼。

 捨てるのも勿体ないと思った加神は、それを丸飲みした。

 ちょっとおどけたつもりだったのだが、火鳥はその様子を見て、金切り声を上げた。

「急にキモいことしないでよぉっ!!」

 青ざめながらも、再び火炎放射を放ってくる。

 チリチリと焼けつく痛みが全身を襲う。

 だが、あの頃の苦しみに比べれば、これくらい、どうと言うことはなかった。

「へへっ! まあ、そう言うなって!」

 感情が昂る。

 加神は構わずに火の中を突き進み、火鳥の懐に潜り込んだ。

 渾身のアッパーカットを、顎に叩き込む。

 筋トレの折にそれとなく覚えた体術が、ここで披露されようとは思わなかった。

 火鳥は一撃でノックダウンすると、以降、反撃しては来なかった。

「…………うっ、さいあく」

「おい、寝るな。お前には訊きたいことがあるって言ったろ」

 倒れた火鳥の横にしゃがみ込み、加神はホッとした気持ちで声を掛けた。

「『トライオリジン』ってなんだ? お前さっき、そう言ったよな。それは組織か? それとも何かの名前か?」

「何よ……。あっは。あぁ、新人なんだ。だから、そんなことも知らないんだ……」

「そうだ。だから教えろ」

「いいよ……。私は優しいから少しだけ教えてあげる。『いずれ人類は終焉を迎える。世界が闇に飲まれたとき、我々が再興の道へと導こう。そして今よりも、より良い世界と、秩序ある世界が待っている』――」

「宗教的な言葉だな。誰が言った? 集団か? 個人なのか?」

「はは……何言ってんだか。レディを殴っておいて質問攻めとか止めてよ……」

 火鳥が瞼を閉じていく。疲労が溜まっているのだろう。

 このままでは何も聞き出せなくなる。

 火鳥はそれを笑い飛ばすように言った。

「そんなに気になるなら、相棒に訊けば……? これは私の……仕返し……よ……」

「おいおいおい! 待て! ……待て!」

 加神は胸倉を掴んで揺さぶるが、必死の叫びも空しく、火鳥はオチてしまった。

 呑気なものだ。心地良さそうに眠っている。

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