②ハイツフェルマータ_1

 端末機に設定されたナビの通りにバイクを走らせ、目的地に到着する。

 着いたのは鞠那シティの端にある、寂れたアパートだった。

 昨今の科学の進歩に後れを取ったように、木造建築の二階建てである。

 せめて壊れた柵くらいは修理しても良い気がするが、大家がよほどケチなのだろう。

 二階の突き当たり、角部屋の前で、間宮が足を止めた。

「ここか?」

「そう」と言って、間宮が呼び鈴を押す。

 今時珍しい、ジャラジャラと鳴るタイプだった。

 手持ち無沙汰になった加神は、何となしに周囲を見渡してみる。

 この部屋の主は防犯対策でもしているのか、ドアの前を監視するようにカメラが取り付けられていた。他の部屋の前には、そういう類のものはない。

 と、不意に、ドアの向こうで機械的な音がする。

 オートロックを解除したような、木造建築には相応しくない音だった。


「開けたから入っていいよ」


 部屋の中から、女のものと思われる声がする。

 おそらく、カメラで誰が来たのかを確認したのだろう。

 そして、すぐに開錠してくれたということは、間宮に心を許している人物だということ。

 しかしながら、間宮はドアノブに手を触れる素振りは見せず、もう一度呼び鈴を押した。

「……入らないのか?」

 間宮は断固として動かない。

 いいから任せてと言わんばかりに、ドアを――いや、ドアの向こうを注視している。


「だから入っていいって!」


 またもや部屋の中から女の声。ダルそうにしているのが、声色から伝わってくる。

 きっと間宮には何か考えがあるのだろうと、加神は大人しく待つことにする。

 そして三度、間宮は凪の様子で呼び鈴を押した。

 観念したのか、部屋の中から足音が近づき、ドアが軋む音を発しながら開かれた。

「勝手に入ってくれると助かるんだけど?」

 一人の女がにゅうっと顔を出す。

 風呂に入っていないのか、髪の毛はぼさぼさで、肌にはまるでツヤがない。

 上にはクタクタのシャツを一枚だけ着ており、下着なのかそういうズボンなのか、丈の短いパンツを履いている。

 彼女も同年代くらいに見えるが、加神のクラスメイトにはいない、負のオーラを全身に纏った女だった。

「たまには陽の光を浴びた方が良いんじゃない?」

 間宮がさらりと煽るように言うと、女は口をへの字に曲げて。

「……ウザ。で、そっちは誰? デート先にはオススメしないんだけど?」

「とりあえず、上がるね」

 カウンターのつもりだったのだろう、女の煽り文句を受け流すと、間宮はずかずかと敷居を跨いだ。

「……とまあ、こう言ってるんで、俺も失礼するわ」

 加神はそれを楯にしながら、腰を低くして後を付いて行った。


 部屋の中は、踏み場を探すのに苦労しそうなほどに、色々なものが散乱していた。

 ゴミ屋敷と言っても良いのかもしれない。

 大小様々な棚をパズルのように組み合わせ、至る所に配置し、その中や上に難しそうなプログラミングの本やら用途不明の機材やらが、ぎゅうぎゅうに押し込まれている。

 整理をしようと努力しているつもりなのだろうが、それでも圧迫感はこの上なかった。

 せめて、いつ食べたのかわからないカップラーメンの容器や、丸めたティッシュくらいは捨てても良いような気がする。

「そこ、十万のパーツ。踏まないでよ」

「あ、悪い。気を付けるよ」

 そんな危ないものを床に置くな、と心中で悪態を付く。

 部屋の奥まで通されると、大きなデスクと、その上に所狭しと並べられた機材が、目に飛び込んだ。

 メインと思われるデスクトップパソコンが一機、中央に鎮座しており、壁にはモニターが三つ吊られている。パソコンの周りには機械の箱が、数えるのも億劫なほどに連なっており、その合間を縫う血管のようにケーブル類が繋がれている。

 灯りは使っていないらしく、機械類が放つ光が、照明替わりだった。

「彼は加神生絃。うちの新しいエージェント。彼女は後廻(うしろまわり)ひなた」

「よろしく。名字は長いから、気楽に名前で呼んで」

「……あぁ、わかった」

 無愛想な自己紹介を済ませながら、ひなたがキーボードを押下する。

 音が鳴ったドアの方を顧みると、ドアノブに小型の機械が接続されていた。

 遠隔でドアの鍵を操作できる装置、といったところだろうか。

「それで、いきなり押しかけて、今回はどんな用?」

「ひなた。あんた〝あの技術〟を誰かに売ったでしょ」

「何の話かわからないんだけど?」

 ひなたは頭を掻きながら、ゲーミングチェアに腰かける。

 モニターの電源を入れ、話から逃げるようにキーボードを叩き始めた。

「あんたは、アンリミッターを他人に移植する技術を持っている。それを売ったんじゃないかって聞いてるの」

「それは本当か?」

「知らないよ。そもそもあたしは、アンタら組織の仲間じゃないし」

「とぼけないで!」

 怒りを露わにした間宮が、デスクを握り拳で叩いた。

「あー壊れる壊れる。壊したら、十五万の弁償だかんねー」

 ひなたはなおもキーボードを弄るだけだ。

「……シラを切るつもり?」

「本当に何も知らないんだもん。ねぇ、アンタの相棒、寝不足なんじゃないの?」

 これは加神に対して言っているのだろう。

「そうやって、中学時代の恩を仇で返すんだ」

「…………」

「……あのさ、とりあえず君は、その……アンリミッターに関して、何かを知っているんだろ?」

「ひなた」

「……ひなた。俺たちはある異端脳力者を捜しててさ、そいつらを捕まえるには、お前の協力が必要なんだ」

 さすがに強引な交渉は穏やかではない。

 加神は助太刀をしたのだが、間宮の態度は鎮まるどころか、さらに怒気を増していった。

「正直に話さないと、この部屋にあるものを壊していく」

「……勝手にすれば?」

 ひなたが交渉を拒絶すると、三つのモニターの内、右側のモニターに亀裂が入った。

 画面が割れ、明らかに壊れたと一目でわかる。

「……別にいいし。そろそろ買い替えようと思っていたから」

 強がったようにひなたが言うと、今度はパソコンの近くに置いてあった本体が破壊された。

 ひなたは一瞬目を見開いたが、何事もなかったかのように取り繕う。

「……こっちに予備があるから、問題はない」

 別の機械の箱のボタンを押す。その本体もモニターと繋がれているようだ。

 ……と、三度目の正直。

 間宮はとうとう堪忍袋の緒が切れたのか、決定的な一手を突き付けてみせた。

 デスクの左側の脚が二本切り倒され、バランスを崩した天板が斜面になる。

 そして、無情な一幕。

 デスクの上に並べられた機材のすべてが、ズルズルと滑り落ちて行った。

 まるで地震があった後のように、ひなたが築いた城が崩れ落ちたのだ。

 ひなたは口をパクパクさせて、声にならない声を発していた。

「……え、何それ……。さすがにそれは酷いよ……。ここまで作るのに、一年も掛かったっていうのに……」

「たった一年でしょ。こっちは未来永劫に関わる問題なの。気が変わったのであれば、話してくれる?」

 ひなたは肩を震わせながら立ち上がり、勢い良くこちらに振り返った。

「うるさいうるさい! 寄りにもよってあたしのお気に入りを壊しやがって! それがCIPのやることなの!?」

「買い替えるんじゃなかったの」

「だまれ黙れ! ねぇ、この人やっぱり疲れてるんだよ! アンタ相棒でしょ!? 少しは止めようとか思わなかったの!?」

「いや……」

 頼むから俺を巻き込むなよ、と加神は目を逸らした。

「そう思うなら、さっさと洗いざらい話して。こっちだって、遊んでいる場合じゃないんだから」

「……クール気取っちゃってさ。あいつの真似でもしてるつもり?」

 〝あいつ〟とは誰のことだろう。加神は意味深な発言に興味を持った。

 二人は中学時代からの知り合いのようだし、それに関することだろうか。

「今はその話は関係ない」

「いや、大アリだね! こっちだってカードを持ってるんだからね! それ以上やるようなら、アンタの秘密、ここで話してやろうか!」

「いい加減にして」

 途端に空気が冷たくなる。

 さっきまでの賑やかさが嘘のように、例えるなら昼休みに誤って教室の電気を消してしまったときのような変わり身の早さで、間宮は冷ややかな視線を向けた。

「いくらあんたが相手でも、私の邪魔をするなら殺すよ?」

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