四分五裂⑥

 ――ネイピアビルディング・エントランスホール――


 ほど近いところから爆発音のようなものが聞こえて、間宮は眉間に皺をよせた。

 加神のことは気になるが、ここを離れるわけにも行かない。

 不動は壁に背中を預け、小さな呼吸を紡いでいた。

 膝を畳んで顔を覗き込み、問いかける。

「格好付けてるつもり?」

「一度言ってみたかった台詞があるんだよな……。お前だけでも、逃げろってな……」

「それで、気分は良かったの?」

 不動は流血を少しでも止めるために左目を閉じながら、間宮を見上げた。

「あぁ……最高だね……。信頼が力をくれんだよ――っぐ、あぁああああ!」

 その面が気に入らなかった間宮は、すかさず喉元を切り裂いた。

「私さ、あんたのそういうところ、昔から嫌いなんだよね。この期に及んで格好付ける意味があるの?」

「…………」

「死にたくないでしょ。だったら全部話してよ。さっき『脳力者の根絶』って言ったよね。あんたたちは何を企んでるの? 首堂は何処に行ったの?」

「…………」

 仲間を売るつもりはない。そんな固い意志が、沈黙からは見て取れた。

 となれば、間宮がすべきことは一つに限られてくる。

 間宮は、不動の左手の小指を切り落とした。

「一分につき一本。手が終わったら足の指を切り落とす。二十分経ったら、そのときはどうしようか……。まあ、そのとき考えれば良いよね」

「…………」

「うん、いいね。こういうの、私、好きだよ。生きてるって感じがする。それじゃ、耐久戦と行こうか」

 耐久戦もとい、拷問の開始を宣言する間宮。

 そこへ、第三者の声が入った。

「君たち、こんなところで何をしているんだ?」

 出入り口を振り返ると、紺色のスーツを着た若い男が、怪訝そうにこちらを見ていた。

 スーツには皺もなく、ネクタイは艶々で、見るからに若造という体を為している。

「何でもないですよ。気にしないで下さい」

「そうは見えないけれど……。おい、血を流しているじゃないか!」

 不動の全身に目を留めている。

 正義感があることは結構だ。時と場合を考えてくれれば、だが。

「あなたには何もできませんよ。通報しようなんて、余計なことは考えないで下さいね」

「君は何を言って――」

 間宮は斬撃で、男のすぐそばのガラスを乱暴に割った。

 無様に尻もちを着いている。恐怖を与えるのであれば、これで十分だ。

「邪魔しないでと、言っているんです……。殺しますよ?」

「…………っ!」

 男は足を絡ませながらも、エレベーターホールに姿を消した。

 処理班の仕事が増えそうだ、とため息を吐く。

 これ以上人目に触れる前に、コトを済ませなければならない。

 左手の薬指を切り落とすと、不動は小さく反応した。

「まるで……殺人鬼だな……」

「どういう意味……?」

「……そんなんで、よくもエージェントが務まるなぁってな……」

「私は一般人には手を出さない。けど、あんたらは別だよ」

「……ははは、首堂と大差ねーなぁ。……お前には【破壊】の冠の方がお似合いだよ」

 その言葉が、間宮の逆鱗に触れてしまった。

 不動の右腕が、肩から切り落とされる。

「クズと一緒にしないで……。私は脳力者そのものを敵視しているわけじゃないの。異端脳力者が憎い……。私利私欲のために、独善的な行動を取るあんたらのことが、この上なく憎い……。ただそれだけ」

「…………」

「あんた、なんでエージェントになろうと思ったの?」

 痛みという痛みに支配されているからか、不動は蚊の鳴くようなか細い声で呟いた。

「誰もが羨む強い男になりたかった……」

「……そう。五分短縮。その念いは実りそうにないかもね」

 間宮は無垢な笑みを注いでいた。


 ――鞠那中央医療センター――


 俺がここまで生きてきたのは、きっとこのときのためだ……。

 加神は自分にそう言い聞かせながら、火の海の中を突き進んでいく。

 一歩前に進むごとに、熱い空気と煙が体内に流れ込んでくる。

 床に垂れた汗の滴は、すぐに乾いて消え失せる。

 背中におぶった患者服の老人は、濡らしたタオルの合間から、呼吸を繋ぎ止めていた。

「……もう少しです。もう少し、踏ん張って下さい……」

 老人の微かな呼吸が、今の問いかけに対して、頷いているような感覚を覚える。

 火鳥が引き起こした爆発のせいで、病院内は瞬く間に蹂躙された。

 熱と光と爆風で、瞬間的に意識が飛び、気付いた頃には、辺りは地獄と化していた。

 体力のある者は先導し、病院内の人間を避難させたが、全員の無事が確認されたわけではなかった。

 もう……幟のときのようにはならない。

 広がりゆく炎よりも、加神の心は、猛々しく燃えていたのだった。


 ようやく外まで出て来られる。

 これで病院内を三往復だ。救助できたのもすなわち三人目。

 まだ取り残されている人はいるのだろうか。

 疲れ果てた加神がアスファルトに膝を着くと、レスキュー隊員が数名駆け寄ってくる。

 駆け付けるのが早いことは褒めるべき点だが、これを機に、防火対策くらいするべきだろうと心の中でぼやいた。

「勇敢な少年だな。あとのことはおれたちに任せるんだ」

 レスキュー隊は老人を担架に乗せると、救急車が留められた敷地外へと運んでいく。

 もちろん消防車も到着している。

 鎮火に時間は掛かるだろうが、加神はホッと胸を撫で下ろした。

「俺は一人でも大丈夫なんで……」

 と言って、それとなくあしらうと、時間を食っている場合ではないと判断したのだろう、残ったレスキュー隊は火事の病院内へと入っていった。

 大きなため息を吐く。

 ひとまず、最悪の事態にはならなさそうだ。

 ――しかしながら、安堵している場合ではなかった。

 不意に、誰かの悲鳴が轟いたのだ。

 助けて! 誰かがそう叫んでいる。

 まさか、倒れている人でもいるのか?

 加神は残った体力を振り絞って、声のする方へと体を運んでいった。


 駐車場のスペースを通り抜け、病院の裏に回っていく。

 風で流れてきた黒い煙の向こう。

 そこで待っていたのは、火鳥だった。

「~~~!!」

 人質を取っていたようで、中学生くらいの少女の口を押さえて、盾にしている。

 ということはつまり、先の悲鳴は、少女のものだったのだ。

「やるじゃない。さすがCIP。敵じゃなきゃ、ちょっと惚れていたかもね」

「やり方が姑息だな……」

 火鳥は少女をさらに抱き寄せて、開き直った。

「適応しているって言って欲しいわね。これでも元エージェントなの。間宮ほどじゃないけど、成果は出しているし、何人もの人を助けてきたわ。経験が違うのよ」

「だったら関係ない人を巻き込むなよ!」

「……私ね。これでも結構むかついてるのよ。大事な配信は逃すし、首堂は逃げるし、不動には思いを伝えることもできなかったし……。だから、仕返しをしようと思ってね」

「……仕返し?」

「エージェントってことは、脳力者なのよね? なら、問題ないわ」

 火鳥は勝手に納得したように頷くと、手の平を加神へと向けた。

 その瞬間、拘束が緩くなった隙を突いて、少女が逃れようとする。

 火鳥は咄嗟に、狙いを少女の方へ変えたようだった。

 瞬く間に、目の前が業火で埋め尽くされる。

「――――くぅううっ!」

 直線状に入り込み、両手で身を守ろうとするが、意味は持たない。

 火鳥の火炎放射をもろに食らってしまい、加神は崩れ落ちた。

 全身が熱い。息が苦しい。今にも死にそうだと、心が叫んでいる。

「無様ね。間宮がいなきゃ、何もできないくせに」

 ギラついた目線を火鳥に向けるが、そこで加神は、あることに気付いた。

 …………あれ?

 体が言うことを聞いてくれない。

 それどころか、意識が徐々に薄れていく。

「…………な、ぜ」

 先ほどまでは気にしていなかったが、相当ダメージが溜まっていたようだ。

 ……アドレナリンが底を尽きた。

 加神は気力で立ち回っていたに過ぎなかったのだ。

 俺の体力を奪うために、病院に火を放ったってことか……!

 遠くから、消防車と救急車のサイレンの混ざったものが聞こえてくる。

 加神を助けてくれる者など、ここにはいない。

「エージェントのくせに、脳力で抵抗してこないの? ……あぁ、まだ使えないんだ」

 脳力……。

 そうだ。俺はまだ、死ぬわけには行かないのに……。

「先輩が教育してあげるわ。全力で突っ走っているだけじゃ、脳力は発現しないのよ」

「…………」

「その人間を人間たらしめる原理。心から強く感じている〝念い〟。アンリミッターがその衝動を解放することで、脳力として発現するの。まさに火事場の馬鹿力ってね。けど、その程度の念いじゃ、私の念いには到底かなわない」

 ……いや、そんなことはない。

 加神は胸に力を込めて、可能な限りの呼吸を続けた。

 俺の念いだってたしかなはずだ……。だからここまで生きて来られたっていうのに……。

 エージェントになろうと決意したのは間違いだったと言うのか。

「私の居場所を壊したのはそっちが先なんだし……だから、ここで殺してあげる」

 火鳥は手の平を加神の頭に置いた。

 狂気にまみれた左眼が、真っ赤に輝いている。

 殺す……? 俺は死ぬのか……? ここでこいつに殺されるのか……?


 ――――本当に?


 抵抗しようにも、指一本動かすことができず、加神は為されるがままだった。

「いずれ『トライオリジン』は世界を救う。これは救済のための一手よ」

 トライオリジン……?

 そして、加神の疑問が――声が、口から発せられることもなく。

 左眼の輝きは増幅し、手から感じる熱が全身へと伝播する。

 加神の体中の、穴という穴から火炎が噴き出す。

 内臓は焼き尽くされ、肌は見る見るうちに焦げていく。


 生きなくちゃ……。

 生きなくちゃ…………。

 生き……なくちゃ…………。


 命という灯は燃え尽き。

 命という残り香すらもかき消され。

 焼け焦げた躯から、義眼(アンリミッター)が零れ落ちた。

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