四分五裂⑤
一方的な状況に、二人は何もできなかった。
「……ひどり……」
「……不動! 平気なの!?」
「逃げ、よう……」
不動は朦朧とする意識の中、血塗れの手を伸ばし、火鳥の手にそっと触れた。
間宮に聞こえないように、素早く作戦を伝える。
「くっ――!」
次に攻撃を仕掛けたのは火鳥だった。間宮に火炎放射を浴びせていく。
「加神は下がって。火傷じゃ済まないから」
間宮は余裕の様子で、加神という名の一人の男に、背後に隠れるように言った。
訳もわからず、あたふたしているようだが、どうやら新しい相棒のようだ。
放った火炎は一切間宮に触れることがない。
【障壁】の脳力を使っているのだ。
「効かないよ、その程度。大人しく諦めたら……」
火の波が引き切ったとき、部屋に二人の異端脳力者の姿はなかった。
二人は、ネイピアビルディング八階の通路まで移動していた。
火鳥が放った火炎を隠れ蓑にする作戦は成功だった。
「肩を貸してくれ……。これ以上、まともに歩くことはできない……」
不動は血を垂れ流す左眼を押さえて、激痛にこらえる。
右眼はまだ見えることができている。
エレベーターのボタンを押すと、運良くこの階に留まっていたようで、すぐに扉が開かれた。
「しっかりして……」
今日の火鳥は、相変わらず自分に優しくしてくれている。
不動はそんな不思議な状態に笑いながらも、エレベーターの中に歩を進めた。
――だが、そのときだった。
「っっっっっっクッソォッ!」
不動の左足が見えない力に切られたのだ。
体勢を崩した不動はエレベーター内に転がり込む。
火鳥は不動の左足を回収すると、閉のボタンを連打し、一階を押した。
【斬撃】の脳力――間宮は容赦しないようだ。
「痛ってェなぁ、あぁチクショー! なんで間宮が来るんだよぉっ!」
「落ち着いて、出血が激しくなるから……。ちょっとだけ我慢して」
火鳥は不動の左足を断面にあてがうと、脳力で境目を焼き、切れた部位を繋ぎ止める。
それでも足が正常に動くことはない。
痛みで動かせないのか、神経を繋げないとならないのか、火鳥にはわからなかった。
「足手まといになるだけだ……。一階に着いたら、オレは置いていけ……」
「弱気なこと言わないで。みんなは一緒。そうでしょ? 私たち仲間じゃない」
「なら……早く、首堂と合流しねーと……」
「大丈夫よ。首堂は頭が良いから、一人でも上手く切り抜けるはず……!」
「だからだよ……。このままじゃオレたち、置いてかれる……」
「…………」
最悪の状況を受け入れたくなくて、二人はただただ、沈黙するだけだった。
――ネイピアビルディング・八階通路――
加神は間宮に付いて行くのに精一杯で、状況を理解するにはもう少し時間が必要だった。
少なくともわかったのは、異端脳力者に逃げられたということだ。
間宮は閉ざされたエレベーターの前で嘆息した。
「さすがにやり過ぎじゃないか」
「何が?」
「一方的に痛めつけるなんて、あんまりだろ……」
「加神は優しいんだね。けど、その甘さは命取りになるよ」
「…………」
「とにかく。このままじゃ逃げられる。何としてでも捕まえないと!」
「……エレベーターは使えないのか?」
「ボタンが反応しない」
加神は、異端脳力者が乗っていったエレベーターとは、別のエレベーターのランプが、消灯していることを確認した。
立体駐車場のときと同じだ。誰かが手を加えている。
さしずめ、エレベーターの制御盤にでも、介入しているのだろう。
「首堂が足止めしてるんだろう。……仕方ねぇ、走るぞ!」
「それしかないみたいだね……」
二人は足を弾くと、階段を転がるように駆け下りて行った。
ネイピアビルディング一階のエントランスまで下りてくる。
火鳥は、不動に肩を貸して歩いていた。
一歩ずつ、一歩ずつ。光が差す方へ進んでいく。
加神たちの足音に気付いたのか、火鳥は顧みると、空いている左手を突き出した。
「しつけーんだよ、テメーら!」
直線バーナーのような、一点に集中した放火。
しかしながらその攻撃は、その場しのぎにしか過ぎなかった。
炎は間宮に触れる直前に、見えない壁に阻まれると、その壁を覆うように広がった。
当たらないのだ。火鳥の攻撃は、間宮に一切触れることがない。
脳力のぶつかり合いが繰り広げられるさなか。
加神は、光の先を辿ってみた。
アイドリング中の車が留まっている。
運転席に座っているのは、仲間を待つ首堂だった。
これもエレベーターと同じように、脳力を使って、手頃な車でも奪ったのだろう。
加神と首堂の目が合ったとき、首堂は一方的にそれを逸らした。
まるで、加神と向き合うことを避けるように、ハンドルに目を落とした。
そしてその動揺の仕様が、加神に確信を与えてしまった。
あそこにいる首堂は……やはりあの首堂なのだ、と。
それはきっと、首堂の方も同じなのだろう。
立体駐車場にいたコート男――すなわち首堂は、加神のことを知っていたのだから。
「――ああっ、不動っ!」
火鳥の悲痛に満ちた声が耳に届く。
見ると、不動の背中に大きな切り傷ができており、赤く染めながら崩れ落ちていた。
間宮は異端脳力者相手に、慈悲を見せるつもりはないようだ。
それを見て首堂は諦めたのか、仲間を切り捨て、アクセルを踏んで走り去っていく。
「そんな……待ちなさいよ! 首堂!」
「火鳥……オレのことは、もういいから……」
「駄目よ! 不動も一緒に行くの!」
不動はズタズタになった体で手を伸ばすと、火鳥の頬に優しく触れた。
「強気じゃねーなんて、お前らしくねーなぁ。お前もアンニュイになってんのか……」
「不動……私は……っ」
「お前が……こんな風に涙を流すくらいなら、あいつの言う通り、脳力者は根絶するべきなんだろうな……」
脳力者の根絶……?
加神は首堂の企みに考えを巡らせるが、その余裕を鋭い言葉が一蹴する。
「友情ごっこに興味はないの。どの道逃がすわけがないでしょう?」
間宮が異端脳力者にトドメを刺そうとする。
なんでだよ、首堂……。なんで仲間を見捨てるんだよ……。
――あのとき俺を助けてくれたお前が、なんでこんなことを……?
加神は力強く拳を握り締めていた。
そして次の瞬間、体が反射的に、間宮の前に割って入っていた。
「そこまでだ、間宮。もういいだろ」
手を大きく広げて立ちはだかる。
間宮に、〝それ〟をさせないために。
「……どいて。どかないと、加神も一緒に切るよ……?」
「どうしちまったんだ、間宮。お前はそんな奴じゃないだろ」
「わかったように言わないでよ。あんたは未熟だから知らないんだ。異端脳力者に人権なんてない。生殺与奪の権利はこちら側にあるの」
間宮の左眼が、紅く――煌々と、光り輝く。
「だから。そこをどいて」
二人が静かに睨み合い、それからどれだけの時が経っただろう。
均衡が崩れたのは、思いがけない展開からだった。
「――いいから行けっつってんだよ!」
「――っ!」
火鳥が、倒れた不動を置きざりにして、出口から逃げてしまったのだ。
なおも血を流す仲間をそのままにして。
「ほらね。だからこうなるんだよ」
「クソッ!」
加神はまたもや反射的な行動を取った。
「ここは間宮に任せる! 俺は火鳥を追う!」
「……ったく、やってくれるよね……」
間宮の独り言は、もう加神の耳には届いていなかった。
――E7・大通り――
脇目も振らずに逃げ出した――火鳥の逃げ様はそういう風には見えなかった。
加神の目に一瞬見えたのは、火鳥が仲間を置いていくことを、悔やんでいるような顔だった。
性善説。性悪説。そのような概念を説くつもりはない。
異端脳力者は悪人だ。
幟を傷つけている事実がある以上、間宮の言うことが、間違っているとも思えない。
だが、それでも解せないことがある。
異端脳力者の根本的な思想は何なのか?
首堂たちは何をゴールにしているのか?
加神は純粋に、それが知りたかった。
ここで一方的に殺戮を行っていたら、それこそ異端脳力者と同類になってしまう。
様々な考えが脳内を飛び交いながらも、加神は必死に、足を前に踏み込んでいった。
「…………っぐ、く!」
走っても走っても、中々距離が縮まらない。
体力には自信がある方だったが、火鳥の体力も相当なものだった。
「はっ、はっ、はっ――」
間もなくして、火鳥はとある施設の中に舵を切った。
「おい……ここって……」
それは、E9にある総合病院――鞠那中央医療センターだった。
加神は動揺して足を止めたが、気持ちを切り替えて中に駆け込んだ。
病院内のエントランスホール。
青やベージュの寝衣を着こんだ患者や、白衣を着こんだ看護師が往来している。
火鳥は観念したように走ることを止めると、加神の方に振り返った。
不敵な笑みを浮かべている。張り付いた汗を流しながら。
「ホント、しつこいわよね、CIPって……。けど、一人で全員が救えるかしら?」
「……おい、まさか、お前……」
火鳥は球を丸めるように、両手を胸の前で組み合わせた。
その中心が太陽のように発光する。
熱と光を増大させながら……徐々に大きく膨らんでいく。
「愚かよね。平和に自惚れてるなんて……」
「逃げろぉおおおおお!」
加神の慟哭が間に合うわけもなく。
エントランスホールで、大爆発が引き起こされた。
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