四分五裂④
……それにしても、E7か。
案外近いところにいたものである。
鞠那シティは、番地によって特色がわかりやすい街だ。
1~10番地までは、ベッドタウンであり、生活に必要な施設が点在する。
11~14番地までは、中心地と呼ばれ、大手企業のビルが林立する。
そして15番地以降は、スラムと化しており、パドルと揶揄される側面がある。
B5とE7であれば、直線距離的にはそんなに遠くはなかったということだ。
しびれを切らしたように、間宮は大声を張り上げた。
「ハイウェイに乗って」
加神は素直にそれに従い、ゲートの方向へハンドルを向ける。
間宮のしがみつく力が、ぎゅっと、僅かに強くなる。
何か覚悟を決めたような、そんな意志が感じられた。
徐行しながら緩やかな坂を上っていく。
「もう少し飛ばせる?」
「わかったよ」
加神は、ぎゅっと、アクセルをふかした。
――ネイピアビルディング・802号室――
火鳥は回転椅子に腰かけ、パソコンの前で悶えていた。
『森羅アルト』と呼ばれるVチューバーが、定期雑談配信を行っている。
「うっほぉ~。マジアルちゃんかっこかわいい~。一度でいいから会ってみたいなぁ~」
火鳥の後ろでは、不動がソファに寝そべってヤンキー漫画を読んでいた。
鼻で笑いながら、ページを捲る。
「どうせ眼鏡をしたデブスだろ。こっちのヒロインの方が圧倒的に可愛いね」
「黙れ。アルちゃんをただの二次元と比べんな。それに、デブはこんなに可愛い声じゃねーから。ブヒブヒ言うだけの生き物が、何本もヒット曲出せるわけねーだろ」
「オレでも良い声くらい出せるぜぇ? ガキの頃は、のど自慢大会でみんなを沸かせたもんだよ……」
「はいはい。身内しかいない寒いノリだったわけね」
首堂は、いつでも外に出られるように、円形ソファに腰を浅く着けていた。
「御託はいい。火鳥、そのアルトとやらの配信はまだ終わらないのか?」
冷静さを乗せて口を挟む。
彼らにはやるべきことがあるのだ。
それにもかかわらず、火鳥は自分勝手な行動で、計画を先送りにしていた。
「まだ。もうちょい掛かるかもね~。この辺からは、その場のノリで決まるから」
「…………」
「あ、そうだ! 首堂って、機械系の脳力だったよね? ちょっと私の頼みを聞いてくれない?」
「何だ」
首堂は呆れた様子で、重い頭を上げた。
「投げ銭がしたいの! 他のリスナーも結構ヒートアップしててさ、中々私の声が届かないのよね。ちゃちゃっとハッキングして、五万円くらい投げ銭できないの?」
「俺の脳力は【操縦】だ。ハッキングじゃない。それに、俺は私利私欲のためには使わないようにしているんだ。一般人には手を出さない。それが俺たちのルールだったはずだ」
「別に良いじゃない。人生は有限なのよ。ひと思いに楽しませてよ」
自然な流れで、死に際のような台詞を吐く火鳥に、首堂は押し黙ってしまった。
静寂が室内を満たす中、森羅アルトの雑談内容が、否応なしに響き渡っていく。
『――あたしは鞠那シティに住んでるんだけどさ、今でもシティにやって来る部外者って多いよね。はぁ? 住所なんて教えるわけないでしょ。意味のないコメントしないでね~』
少年のようなショートカットで、中性的な見た目をしているが、声色は完全に女のもの。
パーカーを被っている衣装が表現するのは、彼女が秘めている内向的な性格なのだろう。
基本的には元気溌剌で、随所に女の子らしさを感じられる仕草も見受けられる。
森羅アルトはそこから、シティに住む人々について話題を広げた。
『――たしかに! ブラインドパークとか、夜になるとヤバい人多いよね。ホームレスって言うの? なんでここに来るんだよって感じだよね。外の世界で生きられなかった人間がさ、ここで職を手に入れられる訳がないっての。不幸な人間には、不幸になるだけの理由があるんだよ。まったく……鞠那シティに希望を抱いた愚鈍な人間だよね』
言葉は強いが、言っていることは事実だった。
鞠那シティは、マクスヴェルによって驚異的な発展を遂げた街だ。
世界を変えるほどの進化の速度に、付いていけなかった人間は多くいる。
「結構毒舌なんだな」
首堂はポツリと呟いた。
「今はブラック強めになってるかもね。けど、そういうところもアルちゃんの良さなのよ」
「お前もそう思うのか?」
今度は不動が問いかけた。
「うーん、近いところは行ってるかな。私の居場所(せかい)に余所者は必要ないから」
「遠回しにオレたちを馬鹿にしてんな。火鳥って、意識してないところで棘があるよな」
「そんなつもりはないけど……ねぇ、不動もアルちゃんに興味持った感じ?」
え……と。不動は漫画を読む手を止めていた。
「だったら一緒に配信を見ようよ。アルちゃんの良いところをもっと教えてあげるわよ」
「……?? なんか今のお前、らしくねーな。ちょっとキモいぞ……って、あ」
勢い余って思ったままの感想が口を衝いてしまう。
火鳥が激高するのではないかと身構えたが、意外な反応が返ってきた。
「……そう? じゃ、キモいと思われないようにこれからは改めるわよ。それでどう?」
自然な風に小首を傾げた上に、朗らかな笑みを向けている。
その態度に、不動は絶句していた。
火鳥は好きなものに夢中なとき、気色悪いくらいに機嫌が良くなることがあるのだが、今回はそれらを逸しているように感じた。
まさかとは思うが、偽物とすり替わっているわけでもあるまい。
「……まあ、長年の相棒のわがままくらい、聞いてやるか」
二人のやり取りを受けて、首堂が重い腰を上げる。
ある存在に従い、行動理念を同じとしていることを、危うく失念するところだった。
「その代わり、さっさと切り上げてくれよ」
「そうね……うん! アルちゃんが私一色になったら切り上げてあげる!」
「わかった……。どけ、すぐに済ませてやるよ」
首堂は、回転椅子を交替して浅く座ると、パソコン本体とルーターに手を添えた。
たかが一機のパソコンから、情報を命とするIT企業のセキュリティを突破することは不可能だ。よほどの手練れのハッカーでなければ、個から個へ侵入することは難しい。
だが【操縦】の脳力を以てすれば、機械を介して、それと紐づけられたネットワークに接続することは可能だった。その辺に転がっているプラットフォームやウェブサイトに潜り込み、チャンネルやユーザーを改竄するくらいなら朝飯前なのだ。
ましてや動画共有サービスのプロテクトに隙間を作るくらい、造作もない。
首堂は精神を研ぎ澄まし、ネットワークの深いところに潜っていった。
左眼を鶯色に輝かせ、暗い電子の海に落ちていく。
しかしながら、ある違和感がそれを阻害した。
首堂がやむなく作業を止めると、火鳥が画面を覗き込んだ。
「どうしたの、首堂? 固まって」
「このパソコン。外部から接続された形跡がある……」
首堂は警戒するように囁いた。誰を警戒したのか。それはこの場ではなく、ネットワークの向こうにいる誰かに対してだ。
「外部? けど、配信上は特に問題はなかったわよ」
つまり言い換えれば、脳力を以てしてでなければ気付かないほどに、その誰かは完璧な仕事をこなしたということだ。それが示すことは何か。
「マズイな……。他の脳力者が干渉したのかもしれない。下手したら、CIPに居場所がバレた可能性がある」
首堂は脳力を使って、パソコンのネットワーク機能を破壊し、外部との繋がりを絶った。
「ここは放棄する。不動、外までのルートを計算してくれ」
「え、えっ。何の話? 急にどうした?」
漫画を読んでいた不動は、名残惜しそうにページに指を挟んでいた。
「CIPに捕まりたいのか? いいから早くしろ」
「本当にCIPがここに来るの?」
ようやく真剣な雰囲気を感じ取ったのは火鳥だ。
「限りなくその可能性は高い。ネットワークを経由して他人のカメラを嗅ぎまわるなんて、目的があるとしか思えないだろ。CIPが俺たちを捜してるんだ」
首堂は歩いてドアの方に向かうと、それを乱暴に開け放した。
まるで冷静さと焦りが入り混じったような態度だ。
「火鳥は廊下を燃やし尽くしてくれ。少しは時間稼ぎになるはずだ」
「えぇ! わかったわ!」
【燃焼】を発動し、廊下を深紅に染め上げる。炎の柱が幾重にも連なった。
最後に、この部屋唯一のドアも、炎の板として様変わりさせる。
「首堂、準備ができた。さっさと出よう」
「あぁ」
首堂と不動が肩を組むと、そこへ火鳥が口を挟んだ。
「待ってよ。レディファーストでしょ」
「んなこと言ってる場合かよ」
「すぐに戻る」
火鳥を802号室に残し、二人は【転移】で跳躍する。
不動の脳力は、主に自分自身に影響する。小物程度であれば、持ちながら跳躍することで問題ないが、他者を跳躍させる場合は、一人ずつしかできないのだ。
二人はネイピアビルディング裏の広場に跳躍した。
「とりあえず、ここまで来れば安全だろ。オレは一旦戻るよ」
「急いでくれ。CIPがいつ来てもおかしくない」
「わーってるって。早く火鳥を迎えに行かねーとな」
不動は〝802号室からこの広場までの道のり〟を逆算する。
そうすることで、火鳥のいる部屋に戻れるのだ。
左眼が紺色に輝き、戻りの跳躍は難なく行われた。
「――よし、火鳥も移動を……」
不動が802号室に戻ってきた直後、視界に会いたくない人物の姿が飛び込んできた。
「おかえり」
左眼を紅く、右眼を碧く輝かせるエージェント。
圧倒的な脳力を保有する脳力者。
不動もCIPのエージェントであった過去があるから知っている。
異色義眼(オッドアイ)の脳力者。間宮凛だった。
そして、驚きの声を上げる暇もなかった。
不動の両眼は、見えない力で切り裂かれていた。
「あああああああああああああああああああぁっ!」
一瞬にして左眼が見えなくなる。
当然だ。生の両眼を切り裂かれたのだ。血がどくどくと流れ出している。
右眼の傷は浅く済んだのだが、左眼のアンリミッターは完全に機能を失っていた。
不動は苦悶し、痛みをどうにかして抑えようと床をのたうち回った。
「……なん、でだ? 脳力が使えない。脳力でアンリミッターは破壊できないはずだ……」
不動の言う通りだった。
マクスヴェルは密度の高いエネルギーを保有している。
脳力で干渉しようとしたところで、大抵の場合、エネルギーを吸収されるだけだ。
「私に訊かないでよ。まさか、逃げることしか考えてないの?」
「不動、しっかりして!」
火鳥が大声を張って駆け寄ってくる。
――ドアが脳力で切り裂かれている。
この部屋に駆けつけるにしては、あまりにも早すぎだ。
紛れもなく、首堂の危惧していた通りだったのだ。
「……ま、みや……。なんでお前が……」
「あんたたちを捕まえに来たの。久しぶり、裏切り者」
間宮は無垢な笑みを向けていた。
この状況でどうしてそんな顔ができるのだろうか。
不動と火鳥はたちまち恐怖に支配されていった。
「そう身構えないで。昔は仲間だったんだからさ。……火鳥も両眼を切られたい?」
火鳥は歯をきつく食いしばった。
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