③ブラインドパーク

 野球ができるほどに、だだっ広いだけの広場エリア。それと同じほどの面積の中に、大小様々な遊具が設置された遊具エリア。ブラインドパークは二つのエリアから成り立っており、その周囲を囲うようにトラックが整備されている。

 広場エリアの一角に設えられた木造りのベンチ。

 そこに、昨日加神と話した少女が腰かけていた。

 加神は、少女に抱く警戒心から、反対側の端に座を下ろした。

「間宮凛(まみやりん)って言うの。そっちの名前は?」

「加神生絃。いつもその格好なのか。似合ってんね」

「お互い様でしょ。それに、私の方は仕事着だから。この格好の方がやりやすいの」

 間宮という名前の少女は、昨日と同じく白黒の制服を身に着けていた。

 そして一方の加神の方も、放課後ということもあり、蛍雪高校の制服のままである。

 初対面ではないからか、砕けた喋り方になっている。

 この程度の会話は、天気について話すくらいのジャブのようなものだ。

 間宮はしばらく目を泳がせると、覚悟を決めたように口を開いた。

「マクスヴェルについては知っているでしょ。あれが開発されてから、それを元手に超常的な力を持った人間を生み出そうっていう研究が始まったの。世界中の名だたる科学者が集まってね。そうして完成したのが、この『アンリミッター』」

 と言って、自分の目元を指で示す。

「見た目はただの義眼だけど、マクスヴェルを搭載しているんだ。それを眼窩に嵌め込み、ナノケーブルで脳に直接作用することで、嵌めた人間の潜在脳力を解放する仕組みだよ。人間の脳は数パーセントの力しか使われていないって、聞いたことあるでしょ。まさにそのリミッターを外す装置なんだ」

「なるほど、それを使っているから脳力者ってわけだ」

 加神は話を追えているという意味で相槌を打つ。

 間宮はそれを受けて、さらに話を広げた。

「その脳力者が集まっている組織が、私も所属している組織『機密対策機構』なの。私たちはConfidential Information the Protectionの頭文字を取って〝CIP〟って呼んでる。十八年前に創立された、世界各地に支部がある大きな組織だよ。元々は脳力を用いて治安維持を行う組織だったんだけど、組織が創立されてからしばらくして、そうも行かなくなった。それが『異端脳力者』が現れたことなんだ」

「幟が戦っていた三人のことだな」

「要は脳力の持ち逃げだよ。私利私欲のために行動する最低な奴らなんだ。可愛く例えるなら、お年玉をたくさん貰って何でもできると思った小学生。ファンタジーっぽく表現するなら、神様からスキルを授かった異世界転生者。端的に言うなら、銃を手に入れた犯罪者。そういう自制心のなくなった脳力者は、組織から姿を晦まして、自身の思うがままに生きようとしている」

 目の前の広場で、小学生くらいの男の子たちが、泥だらけのサッカーボールで遊んでいる。

 遊具エリアに目を向けると、若い母親が手を叩いて、歩く赤ん坊を応援していた。

 通りを走るトラックの運転手は汗を流し、ビルの窓際でキーボードを打つサラリーマンはパソコンと睨めっこしている。

「みんなはその存在を知らないで生きてるんだよ。〝日本一平和な街〟? 馬鹿馬鹿しい。組織の存在も、異端脳力者の存在も、CIPはそれらを秘匿した上で、みんなの日常を守ってるんだ」

 だから異端脳力者は確保されると、脳力をはく奪され、記憶の消去まで行われるというわけか。幟がそれの成りかけであったのならば、同じ処遇を下した判断も、理解できない範疇ではない。

 加神は小さく頷いていた。

 組織の人間としていられなくなった以上、仕方のないことだったというわけだ。

 CIPが脳力者を生み出し、その過程で異端脳力者が生まれた――か。

 一見すると、すべての責任はCIPにあるようにも思えるが、現実はそうではない。

 かのアルフレッド・ノーベルが発明したダイナマイトだってそうだ。彼は何も戦争がしたくて、ダイナマイトを発明したわけではない。あくまで工業を発展させるためだ。兵器として利用した人間が悪いのであって――同様に加神は、CIP自体を責める気にはなれなかった。

「信じる信じないはあんたの自由だけど……。それが真相だよ」

「お前の脳力をここで見せてもらうことはできるか?」

「私の脳力?」

「正直、馬鹿馬鹿しいって思う気持ちは未だに残ってる。だからお前が、ここで脳力の存在を改めて見せてくれたら、今の話を信じられると思うんだ」

 間宮は逡巡するように考え込んだが、

「わかった。やってみるよ」

 人差し指を伸ばして何かを示す。

 どうやら、サッカーボールで遊んでいる子供たちに何かをするようだ。

「あのサッカーボールを見てて」

 言われた通りに注視する加神。

 すると、その何かはすぐに訪れた。

 バシュゥ! とサッカーボールに亀裂が入り、破裂したのだ。

 いや、〝ボールが切れた〟と表現しても良いのかもしれない。

 子供たちは思いがけない展開にゲラゲラと笑っている。サッカーボールの寿命が来たと解釈したのか、相当盛り上がっているようだ。

「今の、お前がやったのか?」

「そうだよ。あと、〝お前〟って言うの、止めてくれる? 自己紹介したんだから名前で呼んで」

「じゃあそっちも名前で呼べよ」

「……努力する……。それとあっち」

 間宮が再び人差し指を伸ばす。

 ブラインドパークに隣接するところに、建設現場が敷かれていた。

 鞠那シティは今もなお発展し続けている。公園の近くにマンションでも建てるのだろう。

 間宮が差しているのはその袂、クレーン車の近くだった。

 立入禁止の看板に気付いていない老人が、建設現場の中に踏み込んでいる。

 しかもタイミングが悪いことに、運転士は動転して、操作を誤ってしまったようだ。

「おい! 危ねぇって!」

「大丈夫、そうはならないから」

 骨組みに使われる極太の鉄骨が二本、クレーンから外れて落下する。

 ドガァッ!

 だが次の瞬間、鉄骨は見えない壁に弾かれるように、老人を避けて、地面に転がっていた。いや、完全に見えなかったわけではない。鉄骨が老人にぶつかる寸前、半透明のドーム状のものが見えた。それが老人を守ったのだ。

「今のも……間宮がやったんだな?」

「これで信じてくれた?」

「事故を仕込んだ――ってのは考え過ぎか。やっぱり信じるしかないみたいだな……」

 そうでなくとも、すでに瞬間移動やら火炎放射やらは目撃しているのだから。

「じゃあ、ここからが本題だね」

 間宮はベンチに座り直すと、深呼吸してから口を開いた。

「いい? これから加神は私たちの仲間になるの。今みたいに誰かを助けたり、時には異端脳力者と戦ったり。誰かのためにエージェントとして生きていくの」

 これは間宮の提案だ――加神は、この展開をなんとなく予想していた。

 組織や脳力について秘匿しているというのに、加神は記憶の消去を行われていない。

「アンリミッターって奴はどうやって嵌める? 目玉を抉り出す手術でもすんのかよ」

「その必要はないでしょ。だってその左眼、すでに空いてるじゃん」

 間宮がこちらを見てニヤリと笑う。

 もしや、立体駐車場から連れて来る折に確認していたのか。

 ――そう、加神の左眼は、正真正銘加神のものではなかった。

 加神は過去にあったある一件で左眼を失明、その後速やかに摘出しており、以降、一般的な義眼を嵌めて、日常生活を送っていた。無機質な瞳でヒトに怖がられたくない――どうせ何も見えないんだし――。左眼を前髪で隠していたのは、それが理由だった。

 加神は、髪の上から左眼を押さえた。

「眼は見えるようになるのか?」

「なるよ。脳力を手に入れる代償が大きすぎるでしょ。カメラの役割もあるから、人間の眼のように、そこに見える景色を認識できるようになるよ」

「そうか……」

「ただ、命の安全は保障できない。ケガで済めば治療はできるけど、命が完全に潰えれば、そこで終わり。死を取り消すことはできないの。その危険は付き纏うことになるね」

「…………」

「やりがい。生きがい。それはあると私が保証する。これ、渡しておくね。一晩ゆっくり考えてみて」

 間宮は立ち上がって、加神の手にメモを握らせると、そのまま歩き出してしまった。

 住所のようなものが書いてある。

 やる気があるなら、ここに来いということだろう。加神の判断に任せることにしたのだ。

「一人でエージェントをやれるか不安なんだけど……」

「私が一緒だよ。大丈夫、給料だってちゃんと出るから!」

 と去り際に、聞いてもいないメリットまで、間宮は笑いながら言ってきた。

 緊張を解すため。理由はそんなところだろう。


 間宮と別れてから、加神はベンチに座り込んだまま考えていた。

 CIPなる組織に所属し、エージェントとして生きていくとは、どういうものなのか。

 加神は幼い頃から、警察官になりたいと夢を抱いていた。

 ただの憧れではなく、それ以外に自分の人生はないと、本気で思っているくらいだ。

 ――誰かの役に立ちたい。生きた証を残したい。

 その想いを十二分に果たすのであれば、警察官以外に考えられなかった。

 ただ、そればかりが先行して、命を落とすのもどうかと思う。


 太陽は西の彼方に沈んでいき、夕陽で広場はオレンジ色に染め上がる。

 子供たちや親子は続々と公園を去って行き、建設現場の作業員も一時撤収。

 残ったのは加神と、公園を徘徊する職のない浮浪者だけになった。

 

 首を捻り、時には体勢を変えながら。浮浪者に話しかけられても無視しながら。

 頭の中だけですべてを考えていく。

 今までのこと――。これからのことを――。


 帰宅し。夕食を摂り。風呂に入り。寝室に入ってからも考えは未だに纏まらなかった。

 夜空に満月が昇る時間。時計の短針と長針と秒針が重なる時間。

 加神はようやく、自分の未来を選択した。

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