大切な友人⑥
「眼は見えるようになるのか?」
「なるよ。脳力を手に入れる代償が大きすぎるでしょ。カメラの役割もあるから、人間の眼のように、そこに見える景色を認識できるようになるよ」
「そうか……」
「ただ、命の安全は保証できない。ケガで済めば治療はできるけど、命が完全に潰えれば、そこで終わり。死を取り消すことはできないの。その危険は付き纏うことになるね」
「…………」
「やりがい。生きがい。それはあると私が保証する。これ、渡しておくね。一晩ゆっくり考えてみて」
間宮は立ち上がって、加神の手にメモを握らせると、そのまま歩き出してしまった。
住所のようなものが書いてある。
やる気があるなら、ここに来いということだろう。加神の判断に任せることにしたのだ。
「一人でエージェントをやれるか不安なんだけど……」
「私が一緒だよ。大丈夫、給料だってちゃんと出るから!」
と去り際に、聞いてもいないメリットまで、間宮は笑いながら言ってきた。
緊張を解すため。理由はそんなところだろう。
間宮と別れてから、加神はベンチに座り込んだまま考えていた。
CIPなる組織に所属し、エージェントとして生きていくとは、どういうものなのか。
加神は幼い頃から、『人助け』を生きる指標にしていた。
――誰かの役に立ちたい。生きた証を残したい。
その想いに従って生きていれば、自ずとやりたいことが見つかるはず。
だからこそ、嫌だと思うことは度々あれど、可能な限りは誰かに尽くすようにしてきた。
ただ、そればかりが先行して、命を落とすのもどうかと思う。
太陽は西の彼方に沈んでいき、夕陽で広場はオレンジ色に染め上がる。
子供たちや親子は続々と公園を去って行き、近くの建設現場の作業員も一時撤収。
残ったのは加神と、公園を徘徊する職のない浮浪者だけになった。
首を捻り、時には体勢を変えながら。浮浪者に話しかけられても無視しながら。
頭の中だけですべてを考えていく。
今までのこと――。これからのことを――。
帰宅し。夕食を摂り。風呂に入り。寝室に入ってからも考えは未だに纏まらなかった。
夜空に満月が昇る時間。時計の短針と長針と秒針が重なる時間。
加神はようやく、自分の未来を選択した。
――同時刻・同じ満月――
モッズコートを着た男は、ベランダの柵に凭れながら、満天の星を見上げていた。
世界の自然環境が改善された成果だ。数年前より幾段と美しく見える。
後ろから、窓の開閉音がすると、仲間の不動が、同じように柵に凭れた。
「なぁ~にアンニュイになってんだよ」
「星空を眺めるのが好きなんだよ。知ってるだろ」
「ほら、これやるよ。散歩中に良さげな奴を見つけたんだ」
と言って、手の平大の物体を渡してくる。
プラネタリウムのスノードームだった。
「おぉ、オリオン大星雲じゃねーか! 良いセンスしてんな!」
「……へぇ、お前もそんな風に喜んだりするんだな。プレゼントした甲斐があったよ」
不動は嬉しそうにしたり顔になるが……。
男は天使が通ったように冷静になった。
「そんなに昨日のことが気になってんのか」
「……まあな。何か嫌な予感がするんだ」
「嫌な予感ねぇ……」
そう言って気取りながら、体勢を裏返して、背中を柵にあずけている。
「早いうちにここは放棄した方が良いだろうな。コトが起きてからじゃ手遅れになる」
「焦りすぎだろ。ガキの頃のダチに、妨害を食らったってだけで……」
「……不動。少しは危機感を持つべきだ。計画を失敗で終わるわけには行かないんだ」
「それは同感だけどよ。だったら相棒にも、そう言ってやれよ。あの女、パソコンの前で小躍りしてんだぜ? Vチューバーの良さが、オレにはよーわからんのよなぁ」
不動はスマホを起動させると、動画共有サービスのサイトを開いた。
チャンネル名は『merlin』。
「――おっ! 例の動画、かなり伸びてるぞ。チャンネル登録者数は七十万を超えてる。こりゃ最終段階のときには百万は行くな」
「……右眼は馴染んでる。計画は絶対に成功させる」
男は右眼を軽く撫でると、鬱金色の光を輝かせた。
――タワーマンション――
翌日、加神は約束通りに、メモに記された住所にやって来た。
エントランスホールのコンシェルジュに『間宮』の名前を出すと、インターホンのやり取りをスキップして、エレベーターホールに通された。
エレベーターの黒塗りの扉が開き、中に入る。
間宮に渡されたメモには『扉が閉まるまでに574342と入力する』と書いてあった。
「……えっと、階層を押せば良いんだよな……」
エレベーターのボタンをテンキーに見立てて、子供みたいに押しまくると、二度入力された4は赤く灯り、それ以外は黄色に灯る。
扉が閉まると、ボタンには地下の存在が示されていないにもかかわらず、エレベーターの箱は下降を始めた。
しばらくしてボタンのランプが消え、扉が開かれると、予想だにしない光景が広がった。
一言で表現するなら、宇宙船の司令塔のようだった。
純白の、全方向に広大な空間が、そこにはあった。
中央が吹き抜けになっており、それを覆うように二階層の通路が続いている。
それら通路の何処にいてもわかる位置に、巨大なモニターが設置されており、日本の主要都市の様子が(おそらく生中継で)流れている。
その袂には老若男女様々な人間が忙しなく行き交い、立ち止まっている人間は、モニターの映像を見上げながら何かを話し合っていた。
加神がその光景に呆然としていると、近くから聞き覚えのある声が上がった。
「こっち」
発声源を振り向くと、エントランスの隅に設置された円卓と丸椅子のエリアで、間宮が何かを食べていた。
チョコレートケーキとコーヒーだろうか。甘ったるそうな塊をフォークで口に運びながら、モニターを監視していたらしい。
そうやって、来るかもしれない加神の到着を待っていたのだろう。
加神は間宮のとなりの丸椅子に座を下ろした。
「やるよ。実は買いたいものがたくさんあるんだよな。給料、弾んでくれよ」
「ふふっ、ちょっとこれが食べ終わるまで待ってくれる?」
加神のジョークが面白かったのか、それとも加神の覚悟を褒めているのか、間宮は嬉しそうに口元を緩めた。
「それとも良かったら加神も食べる? 美味しいよ」
「腹は減ってない。ゆっくり食えって」
「やることが山積みだから、そうも行かないんだよね……」
間宮は残りのケーキをコーヒーで流し込むと、ハンカチで口元を拭って立ち上がった。
「付いて来て」
言われた通りに、後に続く。
円卓テーブルに置きっ放しの小皿とティーカップをどうするのか気になったが、間宮は近くのエージェントを呼び止めると、食器を片付けるように指示を出した。
それを見て加神は、どうやら間宮は、CIPの中では、相当偉い立場なのかもしれないと勝手に見積もった。
「覚悟は決まったってことだね。
これで加神は今日から私たちの仲間。
CIPのエージェントとして、民間人の平和のため、異端脳力者確保のために行動をしてもらう。
普段の生活は通常通りに過ごしても構わないけど、任務中は目立つ行動は控えてね。
これはエージェント専用の端末機。
スマートフォンと同じことができるから、緊急時にはこれを使って。
常に携帯しろとは言わないけど、身分を証明する手帳の役割もあるから失くさないようにね。
ああそれと、アンリミッターの移植は無事に完了したから。
自分の脳力を、是非とも役立ててくれると嬉しいな」
加神は渡された端末機――スマートフォンを胸の内ポケットにしまい、ブレザーの襟を正して身を引き締めた。
巨大モニターの設置されたエントランスに戻ると、一人の成人男性が立っていた。
髪は白く、上下白いスーツを身に着けている。肌も女性のように白かった。
「間宮、新しい相棒か」
「轟支部長。はい、その通りです。加神と言います。B5の案件について調査しようかと」
「……あ、えと、よろしくお願いします」
轟(とどろき)と名を呼ばれた支部長は、路傍の花を見るように加神を一瞥した。
オーラのようなものが整然としていて、感情を読み取ることができない。
「まるで同窓会だな」
「どういう意味ですか?」
気の利いた例えでもしたのかと頭を回転させる加神だったが、轟支部長は、その問いには答えなかった。
無視して間宮とのやり取りを続けていく。
「脳力者はできればこれ以上増やしたくはない。問題が起こったときには、わかるな?」
「はい。私が自ら、後始末を致します」
「加神と言ったな。君は今の世界に必要なものはなんだと思う?」
急に加神の方に質問を投げかけてくる。
……どうやら試されているようだ。
時間を掛けるのも印象が良くない。
加神は、パッと思い付いた単語を発していた。
「〝愛〟……とか、ですかね?」
「人間が人間を思う心。転じて自分の気持ち自体のこと……か。悪くない答えだ」
「そうですか……」
「加神。君の活躍に期待している。相棒に見限られないよう気を付けるんだな」
そうとだけ言うと、轟支部長は身を翻し、廊下の奥に姿を消した。
……なんだろう。
人の上に立つ人間の態度はこういうものなんだろうか。
最後の言葉は、単に馬鹿にしているようにも聞こえたが。
CIP日本支部から――タワーマンションから出てきた加神は、太陽の光に目を細めた。
左眼が見える。本当に見える。
それが機械のおかげだったとしても、加神の感動はたしかなものだった。
間宮は加神の全身を認めると、目を瞬かせながら言った。
「今気づいたんだけど、それ、蛍雪の制服だよね。証明写真、別の格好で撮った方が良かったんじゃない? 仕事着になるんだから」
「別に良いよ。お前だって制服姿だろ。勤勉な高校生は、常に制服で過ごすもんだ。これの方が、気が入りすぎなくてやりやすいかもな」
「ふーん、そっか」
どうやら理解を示したようで頷いている。
「いつも胸ポケットに入れているその万年筆は?」
「数年前に親が離婚してさ。そのときに母親に貰ったんだ。まあ、いわゆる形見みたいなもんさ。今は何処で何してるかわからないけどな」
過去を思い返すように、遠い目をする加神。
「あのさ。それ、私が壊したいって言ったらどうする?」
「…………は?」
間宮は、何気ないと言った態度で、無垢な笑みを向けて、加神の顔を覗き込んでいた。
……えっと、こいつは何を言っているんだ?
意図はわからないが、妙なノリをかましているつもりなんだろうか。
「お前、今の流れでよくそんなことが言えんな。本気で言ってんのかと思ったよ」
「本気……? ……あ、あ、うん……。まあ、ちょっとした冗談だよ」
歯切れの悪い様子で話を濁そうとしている。
そろそろ本題に入った方が良さそうだ。
「なぁ、そういや俺の脳力って何になるんだ?」
加神は左眼を慈しむように撫でた。
「まだ、わからない」
「わからない? おいおい、話が違くねぇか。手ぶらで任務に当たれって言うのかよ」
「〝まだ〟って言ったでしょ。脳力の発現する条件が揃っていないの。そのうちアンリミッターと脳の波長が合うときが来るはず。とにかく、今は調査に取り掛かろう。幟なつめのアンリミッターを奪った奴らを捕まえる。それが私たちに課せられた任務だよ」
「なるほど。段々とそれっぽくなって来たな。よし、やるか!」
加神は胸を叩く思いで一歩を踏み出した。
間宮のとなりに並び、任務のために鞠那シティに繰り出す。
そして、エージェントとしての、加神の新しい日々が始まった。
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