大切な友人④

 不動はコート男の肩を借りながら起き上がると、

「三、二、一――」

 負け惜しみのようにカウントダウンを合図して、二人共々姿を消してしまった。

 彼らの言葉を借りるなら、〝不動の瞬間移動の脳力〟を使ったということだろう。

「…………」

 しばらくの沈黙の後、ようやく冷静になった加神は、跳ねるように幟の元へ駆け寄った。

 胸中で幟の無事を祈りながら、幟の体にそっと触れてみる。

 ……なんて酷い有様だ。

 幟は依然として血を流している。

 辛うじて息は残っているようだが、このままでは確実に命を落とすだろう。

「待ってろ、幟! すぐに救急車を呼んでやるからな!」

 幟が意識を失わないように、必死に声を掛けながら、スマホを取り出そうとする。

「加神……君……」

 顔を上げると、幟が微かな呼吸を繰り返しながら、口を動かしていた。

「無理して喋るな! 大丈夫だ! 必ず助かる!」

 加神はなおも励ましの声を掛けるが、幟は構わずに言葉を続けた。

 僅かな命の灯を削るように。


「今まで……ごめんね……」


 そしてそれきり、何も言わなくなってしまった。

 呼吸をしていない。

 肩が一切動いていない。

 それなのに、血はなおもドクドクと流れている。

「…………」

 加神は俯いて、何処を見るわけでもなく、ただただ虚構を見つめていた。

 ……死んだのか?

 いつも一緒に遊んでいた友達の幟が?

 今日だって、お決まりのカラオケに行くはずだったのに。

 そうやって楽しい時間を過ごすはずだったのに。

 ごめんって……何に対して言っているんだろう。

 俺は別に……お前を嫌ってなんか……。


「安心して下さい。瀕死と永逝は別ですよ」


 突如として、後ろから第三者の声が上がる。

 聞き覚えのない女の声。まさか、奴らの他に仲間がいたのだろうか。

 加神が思わず振り返ると、やはり見覚えのない女が立っていた。

 そしてその瞳は、白と黒が渦を巻くような、不可解な輝きを放っており。

 次の瞬間、加神の意識は途切れていた。


 ――取調室――


 何かに合図をされたように、脈絡もなく目が覚めた。

 加神はハッとして、それを目に焼き付ける。

 ……白い天井。コンクリートのようには見えない。

 起き抜けということもあり、頭の中がボーッとしている。

 サラサラとしたタオルを押しのけ、上半身を起こす。

 どうやらベッドの上に寝ていたようだ。

 加神が目を覚ましたのは、真っ白な立方体の部屋だった。

「何処だ、ここ……?」

 あまりにも静かすぎる空間のせいで、逆に気持ちが落ち着かなくなる。

 意識を失う前に感じていた全身の筋肉痛は、綺麗さっぱりなくなっていた。

 まるで立体駐車場での出来事が嘘だったかのようだ。

 壁の一片にはドアがあり、天井の一角には赤いランプの灯った監視カメラのようなものが付いている。

 そして部屋の中央には、鉄でできた無骨なテーブルと、二脚の椅子が置かれていた。

 映画などで見たことがある。警察の取調室のような部屋だった。

 その無機質な空間に、無理やり置いたようなベッドがあり、加神はそこで寝ていたのだ。

 こうなると、むしろ独房と表現した方が良いような気もする。

「散々な目に遭ったね……」

 音もなくドアが開かれると、一人の少女が部屋に入ってきた。

 何処の誰だかわからないが、制服のようなものを身に着けている。

 全体的に黒い配色のブレザーで、改造をしたのか、胸と腰のポケット、それと片方の襟の一部だけ、白い生地が使われている。スカートは黒一色のみ。首には赤いリボンを垂らすように結んでいる。

 黒髪は肩の下くらいまで伸びており。

 目元はキリッとしていて凛々しい印象を感じさせ、実際の年齢よりも大人びた様な印象を受ける。けれども、やはり服装を見る限りでは、同年代くらいに見える少女だった。

 カラーコンタクトでもしているのか、左右の眼が違う色を帯びている。

「何? ジーッと見つめて」

「あ、いや……」

 口調は落ち着いているように見えるが、有無を言わせぬ力強さを感じる。

「座って」

 少女はドアに近い方の椅子に座ると、対面に座るよう加神に促した。

 現状を理解するためにも、ひとまず大人しく従うことにする。

「――あなたは脳力者の戦闘に巻き込まれたの。そのまま帰すわけには行かなかったから、ここに連れてきた。軽いケガをしていたから治してあげたし、それの対価ってことで文句ないよね」

 反論を許さない口調で、一方的に言い切ってくる。

 話が見えない。――いや、ここに来た経緯は、今はどうでもよかった。

 少女はすべてを理解しているようだった。

 加神は記憶を掘り起こすように、額に手を当てた。

「……立体駐車場で何があったんだ?」

「説明して欲しいのはこっちだよ。あそこにどんな脳力者がいたの?」

「脳力者……。そういう聞き方をするってことは、幟もその脳力者って奴なのか?」

 現状理解できることは、あの場には常人ならざる人間が会しており、何か異常なことが行われていたということだけ。

 少女は面倒くさそうに、テーブルに反射する自分の顔を見つめた。

「そう。脳の力と書いて『脳力』。幟なつめは【使役】の脳力を持っていたの。彼女は相手の眼を見ることによって、その人間を思い通りに操ることができるんだ。洗脳って言ってもいいのかもね。彼女の眼を見ると、その占有化になってしまうんだよ」

 脳力というものの詳細は掴めないが、少しだけ、モヤがクリアになってきた感覚がある。

 幟はサングラス女を操ることで、一時的に味方にしたということか。

「彼女のことはいいの。あの場には他に脳力者がいたはず。誰がいたの?」

「……三人いた。男が二人と女が一人」

「名前は言ってた?」

「男の一人は不動って呼ばれてた。……そうか、そういうことか。あいつも脳力者なんだな? だから瞬間移動をしていたんだ」

「なるほどね。彼女の相棒はたしかに不動だったね。うん、あなたの考え方で間違ってないよ。不動は【転移】の脳力を持ってる。そう……あいつは相棒を裏切ったんだね」

「やっぱり。そうなのか……」

「あのさ、一旦水を差すようで悪いけど、そのタメ口は止めてくれない?」

「……え?」

 急に少女が、加神の眼を見つめてくる。

 生気の感じられない、無機質な、とても冷たい眼をしていた。

「私たちって初対面でしょ? その辺の礼儀とかないの?」

「だったらそっちも敬語を使えよ。それに、俺たちってどう見ても同年代だろ」

「十代の一歳差とか、結構大事な部分だと思うけど」

「…………」

「……まあいいや。今は脱線している場合じゃないしね」

 自分から言い出したくせに……。

「で、他の二人は?」

「名前はわからない。ただ脳力なら、なんとなくわかる。女は火を放つ脳力で、男は車を操ってた」

「火と、車ね……。それだけじゃ、まだ絞り込めないかな」

「俺からも質問させてくれ。お前たちってなんなんだ? 脳力、異端脳力者、アンリミッター。俺にはまだわからないことが多すぎる。一方的に聞くだけってそりゃないだろう。俺にもわかるように説明してくれよ」

「説明したら、もっと情報を与えてくれるの?」

「幟が脳力者って奴に殺されたんだ。俺には知る権利があるはずだ」

「いや、別に彼女は死んでなんかないよ」

「……え?」

「本当に小さな命の残り香って言うのかな。彼女にはまだそれがあったの。完全に死んだわけじゃなかったってこと。死んでなければ、それを治療するだけの技術が私たちにはある。たとえ四肢がなくなっていようが、臓器が抜き取られていようが、患者を元に戻すことはできるんだよ」

「なら、幟に会うことはできるんだな!?」

「会ってどうするの? 規則に則って、幟なつめの記憶は消去したのに」

「記憶を消去……」

「彼女は異端脳力者になりかけていた。【使役】の脳力を、他者を助けるためではなく、自身の欲望に使っていたの。再三警告はしていたんだけどね。アンリミッターは奪われたみたいだし、脳力をはく奪する必要はなかったから、脳力者だったときの記憶の消去だけやっておいたの。ああ、心配しないで。元の生活に戻っても支障がないように、その辺は調整してあるから」

「幟が脳力を使っていたって……。まさか〝作り物の友人〟って、それのことか……?」

 たしか不動は、そういう言葉を幟に浴びせていた。

「なんだ、もう知ってるんだ。そう、彼女は【使役】の脳力を、関係のない一般人相手に使っていたの。『友達を作りたい』っていう、自分の欲を満たすためにね。学校のクラスメイトに使っていたらしいね」

 対象の相手を思い通りに操る力。加神が知り得ぬ未知の力。

 そんな脳力を、蛍雪高校で仲良くしていた友人たち、彼らに使っていたと言う。

 本当にそうなのだろうか。

 今まで送ってきたみんなとの日常は嘘だったというのか。

「今度会ってみれば実際にわかると思うよ。その人たちは、今までの思い出なんてなかったかのように、普通に日常生活を送っていると思うから」

「俺は別に操られてなんか……」

 少女はそれも説明しなくちゃいけないの? と言わんばかりに、興味なさそうにため息を吐いた。

「じゃあ、あなただけ脳力を使わずに接していたんじゃない? 記憶を消した今となっては、真相はわからないけどね」

 俺だけ……?

 加神は幟と過ごした今までの日々を思い起こしてみたが、その理由がわかるわけもなく、むしろ疑問は増えるばかりだった。

 ただし、少なくとも一つだけ、確実に言えることはある。

 立体駐車場での一件のとき、幟は加神に対して、今までの行いを悔いているようだった。

 それが何を表すのか、やはり真相は掴めない。

 幟は心から加神の安全を気にしていたのだ。

 その事実がある限り、加神にとって、幟が大切な友人であることに狂いはなかった。

「もしかして、仇でも取りたいの? まあ別に死んじゃいないけど……。彼女をあんな風にした三人を懲らしめたいとか思ってる?」

「そういうんじゃない。そういうんじゃねぇけど……ただ、俺は……」

「…………」

 犠牲者は出ていない。それは喜ぶべきことのはずだが、加神は手放しに歓喜の声を上げる気にはなれなかった。

「――続きは明日話そうよ。明日の十六時、ブラインドパークに来て」

 少女は何か用事でもあるのか、話を切り上げると、そのまま部屋を出て行った。


 少女が事情聴取を終えて廊下に出ると、二十代前半の二人の男女が待っていた。

 彼女たちが属する組織で言うところの、『処理班』と呼ばれるエージェントだ。

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