③放課後

「加神。これ、化学室に持って行ってよ」

 クラスメイトがぞろぞろと帰りの支度を始める中。

 幟が教卓に積まれたノートを指差した。

「今日の日直はお前だろ。なんで俺なんだよ」

「いいじゃん! あたしは大事な用があるの。お願いっ!」

 そう言ってパチンと手を合わせ、媚びた態度を使いこなしている。

 周囲のクラスメイトの視線も相まって、加神は断るわけにも行かなくなった。

「……ったく、しゃーねぇなぁ」


 加神はクラスメイト全員分のノートを抱えて、化学室を訪れた。

 化学室の教卓で全校生徒のノートをチェックしている先生に声を掛ける。

「三年C組の加神です。クラスメイトのノートを持ってきました」

「あら、お疲れ様。一人で大変じゃなかった?」

「これくらいどうってことないです。何処に置けば良いですか?」

「空いているところに置いておいて。――その辺で大丈夫よ」

 言われた通りに、教卓の隅の方にノートを置き、そのままの流れで教室を出て行く。

 すると、思い出したように先生が呼び止めた。

「そう言えば、加神君って幟さんと同じクラスよね?」

「はい、そうですけど」

「先生って、生徒指導部をやっていてね。幟さんは、よく遅刻することがあるのよ」

「そうですね。遅刻しない日の方が少ないですから」

 加神もクラスメイトも、もはやそれが当たり前だと思っている。

 一体何の話だろうと思っていると、先生は神妙な顔つきになった。

「その遅刻理由なんだけれど……どうもおかしなものが多くてね。〝人を助けてた〟って、そんなことばかり言うのよ。毎日毎日、人を助けてたから遅くなった――って」

 それは、レパートリーを考えるのが面倒だからでは?

 加神は、先生が何を不思議そうにしているのか、よくわからなかった。

「時には凄いことを言うこともあってね。体を悪くしたおばあさんを家まで届けたついでに、諸々の家事をやってあげた――って。それで昼間に登校してきたのよ。幟さんって、本当にそんなことしていると思う?」

「…………」

 それは……どうなんだろう。

 友人としてはフォローするべきなんだろうか。

「僕には何とも言えませんけど、少なくとも、幟は良い奴だとは思いますよ」

 加神の知る限りでは、一年生の頃の幟は優等生だった。

 言葉を交わすことは多くはなかったが、勉学に対する姿勢は一目置いていたほどだ。

 そう言えば、いつからだったのだろう。幟が、今の幟に変わったのは……。

「そう……。加神君がそう言うなら、次からは参考にしてみるわ」

「はい。それじゃ、失礼しました」

「ありがとうね。加神君」

 僅かな褒美として笑顔と感謝を受け取り、今度こそ教室を後にする。

 幟が人助けか。

 ああは言ったけれど、やっぱり適当な言い訳をしているだけなのかもしれない。

 加神は思わずため息を吐いていた。

 ……さて、そろそろ帰ろうかな。校門にみんな集まっているはずだ。

 加神のつま先が校門の方を向いたとき、ほど近いところから声が聞こえた。

 換気のために開け放されている窓の向こう。

 幟の声だ。校舎の物陰で、スマホで誰かと話している幟の姿があった。

 化学室があるようなこの一角は、校舎でも隅の方であることを表す。

 幟は周囲に聞かれたくないような声色で、慎重に言葉を選んでいた。


「……B5の立体駐車場ね? ……わかった、すぐに向かう。そっちで合流しよ」


 B5とは、鞠那シティにおける住所の表現方法だ。

 地図上に碁盤目に線を引き、左上を基準に、段をアルファベット・筋を数字で区分けして呼称する。将棋と似たような振り方だ。

 すなわちBの段と、5の筋が交わるエリア。

 そこにある立体駐車場に用があるということだ。

 全体を聞き取ることはできなかったが、どうやら誰かと待ち合わせをしているらしい。

 自分に日直の仕事を押し付けておいて、一体どういうつもりなんだ。

 この後遊びに行くときの、追加で呼ぶゲストでも誘ったのだろうか。

 友人の一人とは言っても、あまり盗み聞きをするのも良くないと思った加神は、それ以上は気にすることもなく、校門へと向かった。


 個別で先生に説教を食らったり、部活に顔を出していたり。

 各々の時間を終えた四人の友人たちは、すでに校門前で集まっていた。

「加神も来たか。あとは幟だけだな」

「遅いね~、なつめ。先生に足止め食らってるのかな?」

「みんなは何も聞いてないのか?」

 加神が首を傾げると、友人たちは口々に何も知らないと答えた。

 おかしい。てっきりゲストの話はこっちにも伝わっていると思っていた。

 そうではない、ということか。

「なんか幟の奴、別のところに用があるみたいだったけど……」

「なつめに会ったの?」

「いや、校舎裏で誰かと電話しててさ。立体駐車場に行くって言ってたけど……」

「あいつが立体駐車場? なんで立体駐車場に用があるんだよ」

「これはこれは……。危ない匂いがしておりますね~」

 変な妄想でもしているのか、友人たちはケラケラと笑う。

 本当に淫らな理由だとすれば、笑い話ではないと思うが。

「全員揃ってないとつまらないし、俺、様子を見てくるよ。みんなは先に行っててくれ」

「オッケ~。じゃあ、今日はカラオケね! カガミン、あとヨロシク~」

 友人たちは、よく利用するカラオケ店の方向へと歩いて行く。

 加神は小走りで、それとは反対方向へと駆け出した。

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