大切な友人②
「…………」
幟はその様子をつまらなそうに眺めていた。
午後の体育の授業は、バスケットボールをやることになった。
加神はキレのあるドリブルで、生徒の合間を縫うようにすり抜けると、流れるようにスリーポイントシュートをかました。
シュッ。ネットが静かな音を発して撓む。
「すげーぞ加神! 十本連続でスリーポイントシュートだ!」
「別に……! これくらいどうってことねーよ!」
週三回ずつ、有酸素運動と無酸素運動をこなしている。体力に自信はある方なのだ。
放課後の時間を奪われるため、部活に所属しているわけではないので、すべて我流だが。
体育館シューズの擦れる音が、絶え間なく鳴り続ける。
そんなさなか、男子生徒がバスケットボールをやっている隣では、女子生徒がバレーボールの試合をしていた。
幟たち三人のグループは、コートの外で固まって、男子生徒の様子を眺めていた。
「ねぇねぇ、カガミン、十本連続で入れてるんだって! 凄くない!?」
「うん……そうだね」
「なつめ……? どうしたの……?」
「どうもしないよ」
幟はつまらなそうに試合の様子を眺め続けている。
そこで友人の一人が、諭すように呟いた。
「勉強もできて、運動もできる。普通に良い物件だよ、加神は。三年間同じクラスなんでしょ? あんなに優しいのに、なんで意地悪なんてするんだか……」
幟は、きつい目つきを友人へと向けた。
「……今、なんか言った? あたしに説教しようとしてる?」
「いや、そういうつもりじゃ……」
心外だといった感じで、胸の前で手を振っている。
「そういう態度は求めてないから……」
幟の感情に呼応するように、鬱金色の左眼が光り輝く。
すると友人はがらりと態度を変え、幟に抱き着き、涙目で訴えた。
「ごめんってばぁ、なつめぇ……。私のこと嫌いにならないで……」
「…………」
「ねぇ? なつめ……?」
友人は縋るように幟の顔を見上げる。
「うん、大丈夫……。嫌いになんかならないよ」
友人の頭をポンポンと叩く。
その表情は傍から見ると笑っているように見えるが、やはり何処かつまらなそうだった。
幟は、整理できない感情の捌け口にするように、加神の試合を眺め続けた。
――放課後――
大半の生徒がぞろぞろと帰りの支度を始める中。
加神はクラスメイト全員分のノートを抱えて、化学室を訪れた。
化学室の教卓で全校生徒のノートをチェックしている先生に声を掛ける。
「三年C組の加神です。クラスメイトのノートを持ってきました」
「あら、お疲れ様。この前も加神君じゃなかった?」
「クラスメイトに頼まれまして。何処に置けば良いですか?」
表面上は真摯に振舞いながらも、今日の日直は幟なんだけどな、と内心ぼやく。
幟のパチンと手を合わせたときの音と、周囲のクラスメイトの視線がリフレインされた。
「空いているところに置いておいて。――その辺で大丈夫よ」
言われた通りに、教卓の隅の方にノートを置き、そのままの流れで教室を出て行く。
すると、思い出したように先生が呼び止めた。
「そう言えば、加神君って幟さんと同じクラスよね?」
「はい、そうですけど」
「先生って、生徒指導部をやっていてね。幟さんは、よく遅刻することがあるのよ」
「そうですね。遅刻しない日の方が少ないですから」
加神もクラスメイトも、もはやそれが当たり前だと思っている。
一体何の話だろうと思っていると、先生は神妙な顔つきになった。
「その遅刻理由なんだけれど……どうもおかしなものが多くてね。〝人を助けてた〟って、そんなことばかり言うのよ。毎日毎日、人を助けてたから遅くなった――って」
それは、レパートリーを考えるのが面倒だからでは?
加神は、先生が何を不思議そうにしているのか、よくわからなかった。
「時には凄いことを言うこともあってね。体を悪くしたおばあさんを家まで届けたついでに、諸々の家事をやってあげた――って。それで昼間に登校してきたのよ。幟さんって、本当にそんなことしていると思う?」
「…………」
それは……どうなんだろう。
友人としてはフォローするべきなんだろうか。
「僕には何とも言えませんけど、少なくとも、幟は良い奴だとは思いますよ」
加神の知る限りでは、一年生の頃の幟は優等生だった。
言葉を交わすことは多くはなかったが、勉学に対する姿勢は一目置いていたほどだ。
そう言えば、いつからだったのだろう。幟が、今の幟に変わったのは……。
「そう……。加神君がそう言うなら、次からは参考にしてみるわ」
「はい。それじゃ、失礼しました」
「ありがとうね。加神君」
僅かな褒美として笑顔と感謝を受け取り、今度こそ教室を後にする。
幟が『人助け』か。
ああは言ったけれど、やっぱり適当な言い訳をしているだけなのかもしれない。
加神は思わずため息を吐いていた。
……さて、そろそろ帰ろうかな。校門にみんな集まっているはずだ。
加神のつま先が校門の方を向いたとき、ほど近いところから声が聞こえた。
換気のために開け放されている窓の向こう。
幟の声だ。校舎の物陰で、スマホで誰かと話している幟の姿があった。
化学室があるようなこの一角は、校舎でも隅の方であることを表す。
幟は周囲に聞かれたくないような声色で、慎重に言葉を選んでいた。
「……B5の立体駐車場ね? ……わかった、すぐに向かう。そっちで合流しよ」
B5とは、鞠那シティにおける住所の表現方法だ。
地図上に碁盤目に線を引き、左上を基準に、段をアルファベット・筋を数字で区分けして呼称する。将棋と似たような振り方だ。
すなわちBの段と、5の筋が交わるエリア。
そこにある立体駐車場に用があるということだ。
全体を聞き取ることはできなかったが、どうやら誰かと待ち合わせをしているらしい。
自分に日直の仕事を押し付けておいて、一体どういうつもりなんだ。
この後遊びに行くときの、追加で呼ぶゲストでも誘ったのだろうか。
友人の一人とは言っても、あまり盗み聞きをするのも良くないと思った加神は、それ以上は気にすることもなく、校門へと向かった。
個別で先生に説教を食らったり、部活に顔を出していたり。
各々の時間を終えた四人の友人たちは、すでに校門前で集まっていた。
「加神も来たか。あとは幟だけだな」
「遅いね~、なつめ。先生に足止め食らってるのかな?」
「みんなは何も聞いてないのか?」
加神が首を傾げると、友人たちは口々に何も知らないと答えた。
おかしい。てっきりゲストの話はこっちにも伝わっていると思っていた。
そうではない、ということか。
「なんか幟の奴、別のところに用があるみたいだったけど……」
「なつめに会ったの?」
「いや、校舎裏で誰かと電話しててさ。立体駐車場に行くって言ってたけど……」
「あいつが立体駐車場? なんでそんなとこに用があるんだよ」
「これはこれは……。危ない匂いがしておりますね~」
変な妄想でもしているのか、友人たちはケラケラと笑う。
本当に淫らな理由だとすれば、笑い話ではないと思うが。
「全員揃ってないとつまらないし、俺、様子を見てくるよ。みんなは先に行っててくれ」
「オッケ~。じゃあ、今日はカラオケね! カガミン、あとヨロシク~」
友人たちは、よく利用するカラオケ店の方向へと歩いて行く。
加神は小走りで、それとは反対方向へと駆け出した。
B5を目指していると、通りにあるホログラムビジョンが目に留まる。
宙にオービタル社のロゴマークが表示されており、〝O〟の輪環が輝いていた。
『削りゆく世界の寿命を延ばすためには、人類の進化が必要不可欠です。
わたしたちは、永久の信頼と安全を保証いたします。
マクスヴェルエネルギーをあなたのお傍に。オービタル社』
――立体駐車場――
目的地まで早速やって来たはいいものの、どの階層に幟がいるのか算段の付かなかった加神は、とりあえずは一階から確認してみた。
床も天井も壁も、すべてがコンクリートで造られた空間は、自分が迷い込んだような気分にさせる。床には白線が入り組むように引かれており、数字の順番に従うように、所狭しと車が留められていた。
首を左右に振りながら駐車場の奥へと進んでいくと、蛍雪高校の制服を着た女の子がぽつんと立っていた。
幟だ。誰かの到着を待つように、わかりやすい位置に立っている。
こんなところで何をやっているんだ。
加神は名前を呼ぼうと口を開いたが、出るはずだった声は喉で塞き止められた。
「ねぇ、その格好はどういうつもり?」
幟が誰かに対して、警戒するような様子で質問をしている。
予想外の展開でドキッとする。
まさかとは思うが、本当に怪しい相手とやり取りしていたのだろうか。
加神は放って置くこともできず、様子を見るため車の陰に身を潜めた。
こちらの存在を気付かれないように、相手が誰なのか覗いてみる。
背丈は加神と同じくらいの、同年代であろうひょろりとした男。
服装こそはまるでオタクのようなチェック柄のシャツで、極々普通と言える格好だったのだが、目元には異様なくらいに場違いなサングラスを掛けていた。
目元が見えないほどに濃いサングラスだ。
対峙している幟であっても、サングラスの向こうの瞳は見えていないだろう。
「フン! たしか貴様の脳力は【使役】だったな? 眼の光を直視したらマズイからな。対策は打っておかねば、何をされるかわかったものではない!」
「異端脳力者は何処にいるの?」
幟が問うと、男は顔に皺を作りながら、嬉しそうに幟の後ろを指差した。
見るとそこには、同じようにサングラスを掛けた女が一人と、目深にフードを被ったモッズコートの男が一人立っていた。共通して三人全員が、目元を隠す格好をしている。
三人の中では異様なオーラを放つ、モッズコートの男が口を開いた。
「俺にはお前の脳力が必要だ。仲間になれ」
「仲間になったとして……。何をする気?」
「『天秤を元に戻す』。その計画の最終日は三日後だ。それにお前も協力してもらう」
「断るって言ったらどうする……?」
「お前のアンリミッターだけを貰っていく」
『脳力』?『異端脳力者』?『アンリミッター』?
知らない単語ばかりが出てきて、加神は状況を理解するのに精一杯だった。
ただ一つわかるのは、幟が良くない状況に追い詰められているということだった。
「不動(ふどう)は裏切ったんだ? それってどういうことかわかってるの?」
「貴様に言われたくはないな! 脳力で作り物の友人を楽しんでいるような奴が、何を説教垂れてるんだ!」
作り物の……友達?
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