一話 大切な友人「今まで、ごめんね」

大切な友人①

 ――蛍雪高校――


 蛍雪高校三年生の加神生絃(かがみいづる)は、三年C組の教室で、クラスメイトに勉強を教えていた。

 南の陽の光が、窓ガラスを通り抜けて、教室の中を気持ち良く照らしている。

 毎日洗っている白いワイシャツ。首元までしっかり引き上げた緑色のネクタイ。ピシッとした暗緑色のブレザーに身を包んでいる姿は、絵に描いたような優等生の姿だった。

「――せっかくの昼休みなのにごめんな」

「別に良いよ。『人助け』は俺のモットーだからな。困ったことがあったらどんどん頼ってくれ」

「おぉ! さすが聖人のカガミだわ。みんな受験勉強に忙しくてさ、全然助けてくれないんだよな」

「まあ、そいつらの気持ちも俺にはわかるよ」

 ダブルミーニングの異名に機嫌を良くした加神は、さらに教鞭を振るっていく。

 前髪で左眼を隠しており、無造作に伸び散らかした髪型も相まって、一見すると貧弱そうに見える体格をしているが、これはあくまで着痩せしているだけ。

 体力も勉学も優れている加神は、男女共に、割とモテる方だった。

 加神は支給品のタブレットをタップすると、直前の授業で使っていた社会科の項目を開いて、基礎的なことから復習していく。

「いいか? 『マクスヴェル』っていうのは、世界各地で運用されている、無公害な半永久エネルギー機関のことだよ。この鞠那シティがここまで発展できたのも、『マクスヴェル』を積極的に取り入れているおかげってわけだ」

 窓の外に視線を移すと、五十階以上あるビル群が何本も立ち並んでいる。

 交通網は蜘蛛の巣のように入り乱れており、住宅地と商業ビルが群雄割拠する、鞠那シティ開発エリアの中央に蛍雪高校は建てられていた。

「オービタル社製品の殆どに使われている奴だったよな……。で、『マクスヴェル』って具体的にどんな仕組みなんだっけ?」

「マクスヴェルは、内部に、ある素粒子を内包しているんだ」

「素粒子?」

「機械を動かすための歯車みたいなもんさ。それが『イリウム』って言うんだ。今から三十年前に発見された新たな素粒子『イリウム』は、慣性の法則を体現するかのように、一律運動を行う性質を持っているんだ」

「ふむふむ……。慣性の法則は知ってるぞ! モノレールが急に止まると、立ってる人が体勢を崩しちゃうって奴だろ?」

「そう。そのイリウムを真空状態に保たれた装置内で作用することで、エネルギー生成を可能にしているってわけだ。……あ、ちなみに、マクスヴェル自体が開発されたのは、今から二十年前だ」

「なるほど。とにかく、そういうスゲー仕組みの装置のおかげで、おれたちの生活は成り立っているってことか」

「細かい仕組みは話すと長くなるから、とりあえずはその認識で良いと思うよ。今の時代じゃ、どの家にもマクスヴェルを搭載した家電製品が一つくらいはあるからな。これだけは知っとかないと恥をかくことになるぞ。日本がこの十数年で飛躍的に科学力を伸ばしていった要因の一つなんだからな」

 マクスヴェルは科学技術発展の賜物だった。

 これがあれば、乗用車を死ぬまで使い続けることも可能で、テレビを点けっぱなしで寝たとしても何の無駄遣いにはならない。将来的には多くの職種を全自動で賄うことができると言われているほどだ。

 それからも、加神は昼休みの時間を削りながら、鞠那シティの歴史について、懇切丁寧にクラスメイトに教えて行った。

 直前の授業を一通りおさらいし終えると、クラスメイトは満面の笑みでタブレットの電源を切った。

 タブレット主流の学習にも慣れたものだ。

 数年前までは違和感しかなかったが、昨今は紙が貴重になっている以上、仕方がないことではある。

「ありがとう、加神。ぶっちゃけ先生の授業よりわかりやすかったよ」

「そんな……大袈裟だよ。マンツーマンだから飲み込みやすかったってだけさ」

「そう謙遜すんなって。よっ、さすが聖人のカガミっ!」

「お前なぁ……」

 満更でもない加神だったが、照れ臭くなって、逃げるように窓際の方へと歩いていく。

 ……正直に白状すると、誰かに感謝をされるのは気分が良い。

 自分が社会の歯車にがっちりと嵌まっていると実感できるし、世のために貢献できていることが何よりの喜びだった。

 加神は窓枠を両手でがっしりと掴むと、肺に一杯の空気を溜め込んだ。


「俺は生きてるぞぉおおおお!!」


 感極まって、見境もなく青空に叫ぶ。

 クラスメイトは当然のこと、中庭にいる生徒も、何事かと発声源を見上げた。

 加神が〝また〟叫んでいると気付いた教師が、怒号を浴びせてくる。

 それに対し加神は、恍惚とした様子で、上辺だけの謝罪を発した。

 これを止める気にはなれない。

 何故なら……これはもはや癖だからだ。

「加神は今日も元気だね」

 その様子を、一人の生徒が楽しそうに眺めていた。加神の友人であり、三年C組のカーストの頂点に立つギャル、幟(のぼり)なつめである。

 金色のロングヘアを流し、肌を見せるように制服のボタンは三つ外している。腰には着ているところを見たことがないオシャレ専用のカーディガンを巻いており、まるでファッション雑誌の表紙に載っていそうな格好をしていた。

 羨望のまなざしを向けるクラスの男子共は、普段の幟のことをギャル天使と表現しているくらいだ。

「あたし、加神のそういうところ、素直に好きだよ?」

「ん、あぁ、そうか……? 我ながら子供っぽいとは思ってるんだけどな」

「そんな加神にお願いがあるんだけどさ。お昼ご飯、そろそろ買いに行ってくれない?」

「……またかよ。まあいいよ。じゃあ、何が欲しいのか教えてくれ」


 購買で買い出しを済ませた加神は、段ボールを両手に抱えて、教室の前まで戻ってきた。

 各クラスの教室からは、残りの青春を謳歌する、楽しそうな声が聞こえてくる。

 加神は段ボールの中を覗き込んで笑みを浮かべた。

「よし……完璧だっ!」

 これだけ買えば十分だろう。みんな満足してくれるに違いない。

 勝ち誇った様子で戸を開き、友人グループが集まっている近くの机に段ボールを置く。

 加神を含め男女六人の友人グループ。

 三年生になってから、加神はこの友人グループと毎日を過ごすようにしていた。

 朝の時間は他愛のない話に花を咲かせ、昼休みは一緒にご飯を食べる。

 放課後は大抵の場合、ゲームセンターかカラオケで遊んでいた。

 たまには豪邸のような家に住んでいる友人の家で、遊んだこともあった。

 男子も女子も高校生にしては派手なメイクをしており、加神自身気後れすることも何度かあったのだが、彼らの内面性は素直に好いており、良い友好関係を築けているつもりだった。

「お待たせ。頼まれていたもの、買ってきたぜ」

「遅ぇよ。呑気に個人授業している場合じゃないだろ」

「とりあえずカツサンドは俺が貰っとくわ」

 加神を含め、男子たち三人が口々に言う。

 女子たち三人も続々と、段ボールの中を覗き込んだ。

「カガミンはホント優しいよね~。これだから、あたしたちも甘えちゃうんだよ」

「一家に一人、加神が欲しいな~なんて」

「……お疲れ様」

 和気あいあいと、加神の戦利品を持っていく友人たち。

 すると、友人の一人が、スマホの画面を向けてきた。

「加神って、『カウントダウン動画』って知ってっか?」

「聞いたことはないな。あんまりSNSはやらないからさ。何だよそれ」

「んじゃあ、とりあえず見てみろよ」

 画面には動画共有サービスのサイトが表示されている。

 友人は画面をタップして、動画を再生した。

 ――テストパターン放送のような、カラフルな色が映される。

 下の方には数字が並んでおり、〝72:00:00〟の表示が、一秒ごとに減っていく。

 動画はたったの十秒で、〝71:59:55〟になった時、数字の上に〝marina city〟の文字が浮かび上がった。

 そして最後に、ノイズが走り、動画が終了する。

 特に意味のないような動画に思える。

 だがそこに、得体の知れない何かを引き付けるものがあり、意味を考えようとすると、薄気味悪い気持ちが込み上げてくるようだった。

 加神は冷静を装った。

「これがどうしたんだよ?」

「実はこれ、五本目なんだよ。似たような動画が、毎日決まって、昼の十二時にアップされてるんだ。最初の動画は四日前。今じゃネット界隈はこの話題で持ちきりだよ」

「今回のカウントダウン動画は、残りが72時間ってことを表してるんだろうな。つまり三日後、最初の動画からは丁度一週間だ。なぁ加神。その日に何が起こると思う?」

 いつの間にか話に入ってきた別の友人が、まるで都市伝説の話でもするように、不敵な笑みを浮かべている。

 男共が楽しそうに動画の考察を始める中、女子組はそれを鼻で笑った。

「そういうの好きな人多いよね~。意味もなくカウントダウンしてるってだけで、何も起こらないかもしれないじゃん」

「まあ、この街の人は平和だからさ。そういうものに興味を持ったりするんでしょ」

 なるほど。たしかに何かしらの娯楽を求めるネット上の人間が、こぞって意味深な動画に群がる気持ちもわからなくはない。

「……これ、あたしが頼んだジュースと違うんだけど」

 不意に、話の腰を折るように、幟が険悪な様子で加神を睨み付けた。

 ギャル天使の幟には似つかわしくなく、まるで堕天使のように椅子に腰かけている。

「……注文と違った?」

「あたしは炭酸が入ったオレンジジュースが欲しかったの。これ、ただのオレンジジュースじゃん。あたしの言ったこと、ちゃんと聞いてた?」

「悪い……聞いてはいたんだけどな……。選ぶときに間違えちまったみたいだ……」

 加神は愛想笑いをして誤魔化そうとする。

 せっかくの楽しい談義を潰すわけにも行かない。

「はぁ? 話になんないんだけど。これ全部、加神の奢りで良いよね?」

「……え?」

 唐突な幟の提案に、他の友人たちが嬉しそうに声を上げた。

「マジ? 今日も加神の奢り?」

「サンキュー加神ぃ。愛してるよぉ!」

「あのさ……カードのメモリが底を突きそうでさ。今回は払ってくれると嬉しいんだけど」

 さっきまでの高揚が嘘のように、加神は勢いを失くしていた。

 ……わかっている。

 友人たちに悪気があるわけではない。

 原因は目の前の幟にある。

 幟はこのグループのリーダー的立ち位置であり、友人たちはグループの雰囲気を悪くさせないために、幟の提案に〝ノる〟ようにしているのだろう。

「別に良いじゃん。あたしたち、友達でしょ?」

 そして幟は、こういう状況になったとき、いつもこの決まり文句を使う。

 視線が自然と下を向く。

 加神自身も、グループの雰囲気を壊すようなことはしたくなかった。

「あぁ……わかったよ……」

 渋々とそれを受け入れる。

 左眼は前髪で隠しているため、右眼だけで幟の様子を窺う。

 幟のいつも使っているカラーコンタクトが、鬱金色に輝いているように見えた。

「まあそう暗くなるなって! 昼飯くらい、楽しく食べようぜ!」

「そうだな……」

 肩に友人の腕が回ってきて、体を引き寄せられる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る