一話 大切な友達「今まで、ごめんね」
①蛍雪高校_1
蛍雪高校三年生の加神生絃(かがみいづる)は、段ボールを両手に抱えて、南の陽の光が差す三階の廊下を歩いていた。
毎日洗っている白いワイシャツ。首元までしっかり引き上げた緑色のネクタイ。ピシッとした暗緑色のブレザーに身を包み、三年C組の教室を目指す。
窓ガラスに目を移すと、前髪で左眼を隠しており、無造作に伸び散らかした髪型も相まって、一見すると貧弱そうに見える体格をした、自分の全身が映っている。
……いやいや。これはあくまで着痩せしているだけで、加神は割とモテる方だ。
各クラスの教室からは、残りの青春を謳歌する、楽しそうな声が聞こえてくる。
加神は段ボールの中を覗き込んで笑みを浮かべた。
「よし……完璧だっ!」
これだけ買えば十分だろう。みんな満足してくれるに違いない。
三年C組に到着した加神は、友人グループが集まっている近くの机に段ボールを置いた。
加神を含め男女六人の友人グループ。
三年生になってから、加神はこの友人グループと毎日を過ごすようにしていた。
朝の時間は他愛のない話に花を咲かせ、昼休みは一緒にご飯を食べる。
放課後は大抵の場合、ゲームセンターかカラオケで遊んでいた。
たまには豪邸のような家に住んでいる友人の家で、遊んだこともあった。
男子も女子も高校生にしては派手なメイクをしており、加神自身気後れすることも何度かあったのだが、彼らの内面性は素直に好いており、良い友好関係を築けているつもりだった。
そして今は昼休み。加神は五人のために、購買に買い出しに行っていたのだ。
「お待たせ。頼まれていたもの、買ってきたぜ」
「遅ぇよ。購買に行くだけなのに時間掛かりすぎな。そんなに並んでたんか?」
「とりあえずカツサンドは俺が貰っとくわ」
加神を含め、男子たち三人が口々に言う。
女子たち三人も続々と、段ボールの中を覗き込んだ。
「カガミンはホント優しいよね~。これだから、あたしたちも甘えちゃうんだよ」
「一家に一人、加神が欲しいな~なんて」
「……お疲れ様」
和気あいあいと、加神の戦利品を持っていく友人たち。
すると、友人の一人が、スマホの画面を向けてきた。
「加神って、『カウントダウン動画』って知ってっか?」
「聞いたことはないな。あんまりSNSはやらないからさ。何だよそれ」
「んじゃあ、とりあえず見てみろよ」
画面には動画共有サービスのサイトが表示されている。
友人は画面をタップして、動画を再生した。
――テストパターン放送のような、カラフルな色が映される。
下の方には数字が並んでおり、〝72:00:00〟の表示が、一秒ごとに減っていく。
動画はたったの十秒で、〝71:59:55〟になった時、数字の上に〝marina city〟の文字が浮かび上がった。
そして最後に、ノイズが走り、動画が終了する。
特に意味のないような動画に思える。
だがそこに、得体の知れない何かを引き付けるものがあり、意味を考えようとすると、薄気味悪い気持ちが込み上げてくるようだった。
加神は冷静を装った。
「これがどうしたんだよ?」
「実はこれ、五本目なんだよ。似たような動画が、毎日決まって、昼の十二時にアップされてるんだ。最初の動画は四日前。今じゃネット界隈はこの話題で持ちきりだよ」
「今回のカウントダウン動画は、残りが72時間ってことを表してるんだろうな。つまり三日後、最初の動画からは丁度一週間だ。なぁ加神。その日に何が起こると思う?」
いつの間にか話に入ってきた別の友人が、まるで都市伝説の話でもするように、不敵な笑みを浮かべている。
男共が楽しそうに動画の考察を始める中、女子組はそれを鼻で笑った。
「そういうの好きな人多いよね~。意味もなくカウントダウンしてるってだけで、何も起こらないかもしれないじゃん」
「まあ、この街の人は平和だからさ。そういうものに興味を持ったりするんでしょ」
なるほど。たしかに何かしらの娯楽を求めるネット上の人間が、こぞって意味深な動画に群がる気持ちもわからなくはない。
「……これ、あたしが頼んだジュースと違うんだけど」
不意に、話の腰を折るように、友人の一人が険悪な様子で加神を睨み付けた。
三年C組のカーストの頂点に立つギャル、幟(のぼり)なつめである。
金色のロングヘアを流し、肌を見せるように制服のボタンは三つ外している。腰には着ているところを見たことがないオシャレ専用のカーディガンを巻いており、まるでファッション雑誌の表紙に載っていそうな格好をしていた。
羨望のまなざしを向けるクラスの男子共は、普段の幟のことをギャル天使と表現しているくらいだ。
そんな幟が、まるで堕天使のように椅子に腰かけていた。
「……注文と違った?」
「あたしは炭酸が入ったオレンジジュースが欲しかったの。これ、ただのオレンジジュースじゃん。あたしの言ったこと、ちゃんと聞いてた?」
「悪い……聞いてはいたんだけどな……。選ぶときに間違えちまったみたいだ……」
加神は愛想笑いをして誤魔化そうとする。
せっかくの楽しい談義を潰すわけにも行かない。
「はぁ? 話になんないんだけど。これ全部、加神の奢りで良いよね?」
「……え?」
唐突な幟の提案に、他の友人たちが嬉しそうに声を上げた。
「マジ? 今日も加神の奢り?」
「サンキュー加神ぃ。愛してるよぉ!」
「あのさ……俺も結構出費が重なっててさ。今回は払ってくれると嬉しいんだけど……」
さっきまでの高揚が嘘のように、加神は勢いを失くしていた。
……わかっている。
友人たちに悪気があるわけではない。
原因は目の前の幟にある。
幟はこのグループのリーダー的立ち位置であり、友人たちはグループの雰囲気を悪くさせないために、幟の提案に〝ノる〟ようにしているのだろう。
「別に良いじゃん。あたしたち、友達でしょ?」
そして幟は、こういう状況になったとき、いつもこの決まり文句を使う。
視線が自然と下を向く。
加神自身も、グループの雰囲気を壊すようなことはしたくなかった。
「あぁ……わかったよ……」
渋々とそれを受け入れる。
左眼は前髪で隠しているため、右眼だけで幟の様子を窺う。
幟のいつも使っているカラコンが、鬱金色に輝いているように見えた。
「まあそう暗くなるなって! 昼飯くらい、楽しく食べようぜ!」
「そうだな……」
肩に友人の腕が回ってきて、体を引き寄せられる。
「…………」
幟はその様子をつまらなそうに眺めていた。
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