オッドアイのマーリン

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プロローグ 鮮血の花『日本一平和な街』

鮮血の花①

 世界には、行き過ぎた科学の罪科が蔓延している。

 それらを統治できるのは自分たちしかいない――ある時、彼女はそう思った。

 信頼する同僚は、彼女をこう呼んでいた。

 『マーリン』と。


 ――鞠那シティ――


 ギラついた太陽光を照り返す、ガラス張りの高層ビル。

 動力を伝達するためのケーブル類は地下に埋め込まれ、地上は無機物で造られた人工観葉植物が彩ることで、環境は穏やかになっている。

 害虫害獣は一切存在せず、ホログラムビジョンが点在するシティの中心では、大勢が行き交っていた。

 オービタル社を中心に多様な企業が集まり、日本でも驚異的な発展を遂げた街。

 彼女は――間宮凛(まみやりん)は、そんな街が嫌いだった。

 白黒の制服に身を包み、身を引き締める思いで赤いリボンを結ぶ。

 間宮は、年齢で言うなら高校生に当たるが、その日常は生易しいものではなかった。

「…………」

 道路のど真ん中にひっそりと立ち、ソレがやって来るのを待ち受ける。

 対向車線では、オービタル社製の、新型の乗用車が通り過ぎていった。

 しばらくして、数十メートル先から、他とは違った走行音が近づいてくる。

 林立するビル群の中を、悠々と走っている無骨なステーションワゴン。

 その前部座席に、目標である男女二人組が座っていた。

 二人も間宮のことに気付いたらしく、車内の様子が慌ただしくなる。

 運転席に座る男は、ブレーキを踏んだようだった。

 景観が優先されていることもあり、防護柵のない歩道を行き交う人々が悲鳴を上げる。

「きゃああっ!」

「おい! なんだなんだ!」

「気を付けろよ!」

 耳障りな音を発しながら、道路にブレーキ痕が刻まれていく。

 ステーションワゴンは減速していくが、すぐには停止できなかった。

 ――猛スピードの車が人間に激突する。

 現場に居合わせた人間なら、誰もが想像したに違いないが、結果は大きく違っていた。

 車は、間宮との間にあった〝透明な壁〟にぶつかり、めり込んでいた。

 まさに一瞬の出来事。

 フロントは神のデコピンを食らったようにひしゃげ、運転席ではエアバッグが作動していた。

 間宮は無表情のままドアを開けると、運転席の二人を恐怖で射抜いてみせた。

「こんなところで何してるの?」

 ステーションワゴンの激突を防いだのは、彼女の持つ脳力によるものだ。

 それが何を意味するのか、二人ともわかっているようだった。

「間宮、まあ待てよ! 落ち着いて話し合おう。なっ?」

 男は無精ひげを生やしており、全身に悪臭を漂わせていた。

 ホルダーにはタバコの吸い殻と、半分まで減った角瓶を入れている。

 後部座席を一瞥すると、白いシャツ一枚のみの五人の女性が、内側を向いて座っていた。

 報告の挙がっている誘拐事件の犯人は、この男で間違いないだろう。

「汚い趣味を持ってるんだね。今の言葉は、真っ新な人間に戻るってこと?」

「そいつは勘弁してくれると助かるんだが……」

「あんたたちの選択肢は二つだよ。大人しく新しい人生を切るか。それともここで人生を終えるか」

「…………ぐっ」

 バレないと思っていたのか、男は右手に冷気を集中させていた。

 片手間で、戦う意志はないと嘯きながら。

「……いいや、どっちも御免だな!」

 そして右手が凍り付くと、これを待っていたように氷の矢を放ってくる。

 しかしながら、それは先の激突と似たように、透明な壁に防がれていた。

 右眼を碧く輝かせる間宮に、その程度の攻撃が当たることはない。

「あ…………」

「ふーん、格好良い脳力持ってるじゃん」

 間宮は嘲笑うように感想を述べると、今度は左眼を紅く輝かせた。

 刹那、男の首が弾け飛ぶ。

 〝透明な刃〟が、男の首元の肉を切り裂いたのだ。

 細胞の繋がりそのものを断つように。

 男の筋力がなくなり運転席に倒れ込むと、助手席にいた女は、開いてもいないドアに後退りしていた。

 冷や汗を流し、口をパクパクさせながら、後ろ手でドアノブを探している。

 間宮は碧い右眼と、紅い左眼を、女に向けた。

「私の右眼は【障壁】で、あらゆる干渉から身を守る最強の盾。そして左眼が【斬撃】で、あらゆるものを切り裂く最強の矛なの。……そっちはどうする?」

「……あ、あああ……。異色義眼(オッドアイ)の噂って本当だったの……?」

 女は恐怖を顔面に浮かべつつも、どうにかドアを開けることに成功する。

 そして足をもつれさせながら外に飛び出すと、近くのテナントビルに逃げ込んだ。

 間宮は相変わらず無表情のまま、自分が所属する組織専用の端末機を取り出した。

『異端脳力者を一人始末した。C15に処理班を寄こして。被拐取者が五人いる。彼女たちのケアもお願い』

 電話口の向こうから、了解の合図が聞こえる。

 間宮は後部座席の五人の女に、ここに居れば安全だから、とそれらしいことを伝えた。

 するとようやく騒ぎに気付いたのか、オービタル社の偵察用ドローンが、警告音を鳴らして近づいてくる。

『C15にて、交通事故の発生を確認。保安部及び救急に連絡します――』

 自動で管理された、付け焼刃の防犯システムのくせに、煩わしい電子音声を繰り返している。

 このままでは騒ぎが広まってしまう。

「……余計なことしなくていいから」

 間宮は脳力でドローンを破壊すると、テナントビルの方へ足を向けた。


 外階段を一段ずつ噛み締めて上っていくと、間もなく屋上へと辿り着いた。

 澄み渡るような青空の中を、線のように細い雲が漂っている。

 柵で覆われた屋上の隅に、二人組の片割れがいた。

 肩を震わせながら、縮こまっている。

 女は、間宮のことに気付くと、訴えるように顔を皺くちゃにした。

「――違うの! アタシはアイツに付き合ってあげてただけ! 本当はこんなことしたくなかったの! だからお願い! 見逃してよ!」

「異端脳力者の命乞いは見飽きたよ。あんたのことは全部知ってる。下手な嘘はよしなよ」

 女は、高級そうなアクセサリーを、惜しみなく身に着けていた。

 最近頻発している強盗事件の犯人が誰なのか、答えは言うまでもない。

「違う! 本当なの! アタシだって被害者なのよ!?」

「……自分がどんな眼をしているのか、自分ではわからないものだよね。アンリミッターは正直だよ。そうやって虎視眈々と反撃のチャンスを狙ってるのがすぐにわかる」

 尻もちを着きながら赦しを請う女。

 だが、その左眼は――アンリミッターは紫色に輝いていた。

「――間宮ぁあああああ!!」

 表情が瞬時に様変わりし、屋上に抜けるような銃声が轟く。

 手には今しがた〝生成した〟リボルバーが握られていた。

 そこから発射された銃弾は、障壁に防がれていたのだが。

 間宮はそこで、無垢な笑みを女に向けた。

 まるでこの状況を楽しむような、屈折した光のような笑みだった。

「あんたも良い脳力持ってるよね。まともな使い方をしてれば、良い人生が送れたのにね」

「あ、ま――」

 次の瞬間、女の体は胸の辺りで横一文字に切れていた。

 大量の血が四方八方にまき散らされ、柵に赤い跡を作る。

 それでも抑えきれなかった分は、青空の下に花を咲かせた。

 血飛沫が飛び散るが、間宮の服には一滴たりとも付着しなかった。

「…………」

 ふと、近くの交差点の、立体ホログラム街頭ビジョンが目に留まった。

 化粧をした若いニュースキャスターが、青空のように澄んだ笑顔で喋っている。


『昨日の犯罪件数はゼロ件でした。大きな事故も確認されておらず、これで鞠那シティは、〝日本一平和な街〟として二十年の歴史を築いたことになります。それでは皆さん、本日も良い一日を~』


 ニュースキャスターは当然のように、そんな原稿を読み上げていた。

 鞠那シティでは、老衰以外に死人は出ない。

 交差点を行き交う人々は、それを真実だと信じ切っているのだ。

 間宮が――いや、間宮の所属する組織が、平和を守っていることなど知らずに。

 今もこうして二体の死体が出来上がったが、それもしばらくすれば、〝なかったこと〟になる。

 間宮は、涙を流した真っ赤な死体に近づくと、膝を畳んで、無様な亡骸を見下ろした。

 胸の曲線に従って垂れている血液に人差し指を伸ばし、それを掬って口に運ぶ。

 頬が紅潮する。

 代えがたい実感が、快楽物質のように全身に行き渡っていく。

 空を仰ぎ、余韻がなくなるまで、身を委ねること僅か数秒。

 間宮は徐に立ち上がると、身を翻して歩き始めた。

「……ふん、馬鹿馬鹿しい……」

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