第7話 最終回

 ホールの入口を半分ふさぐようにして、会場で使われた棚や平台が置かれ、搬出を待っていた。番号順に買った品を抱えてくる人々の邪魔になり、だらだらと搬出をすすめる男たちの休憩所になっている。


 そのなかのひとつの、いちばん背の高い棚の横で、彼女が出てくるのを待った。


 十五分を経過したころ、ミセス・バーリントンの遺品が入った箱を抱えた彼女が出てきた。なごやかな雰囲気で出て来るほかの客の間を、怒ったように歩いていく。そっと棚を離れ、僕は裏口へ通じる廊下へ進んだ彼女を追った。


 彼女が裏口を選んだのは、こちらにとって好都合だった。ぬかるみに再度足を踏み入れるのは気が引けたが、暗いフット・パスでなら接触がしやすいだろう。擦れ違うほかの客に気遣いながら、徐々に彼女との距離を縮めていった。

 廊下が尽きると鉄のドアが開け放されていた。外は幕を下ろしたような暗闇だ。彼女は一瞬立ち止まったが、振り向くこともなく闇の中に飛び込んだ。僕もあとに続いた。搬出をする物音で、あたりが騒がしいのが幸いしている。背後の足音に、彼女が気付く様子はなかった。


 目が慣れると、ホールから届く光が、フット・パスを闇から救っていた。 が、それも大きな水たまりのある道がカーブしたところまでである。僕は彼女がぬかるみに歩調を緩めたときダッシュをかけ、飛びかかった。

 僕の顔を認めて、あっと彼女が声をあげたが、僕の動作に追いつくことはできなかった。僕は箱を奪い取ると、そのまま猛然と走り出した。


「待って、お願い!」


 彼女は悲痛な叫び声をあげ、追いかけてくる。僕は彼女が追いつく程度の間を取りながら、走り続けた。

 彼女と話をするために、 ひとけのない場所を探す必要がある。 そう思ったとき、右側に図書館を示す看板を見つけた。 僕は走る速度を緩めた。図書館の前には、駐車場があるだろう。夜は閉館して、駐車場にひとけはないはずである。


 道を折れると、看板どおり図書館があり、車の置かれていない駐車場が、街灯の光で舞台のように見えた。僕は走るのをやめ、ゆっくりと進んでいった。


 街灯の下まで来たとき、はあはあという息遣いとともに、彼女の走る足音が聞こえてきた。 箱を足元に置いて振り向くと、 彼女が駐車場に入ってきたところだった。

「返して、返してよ!」

 肩をはげしく上下させながら、彼女は近づいてきた。髪が乱れ、はじめて見たときよりも、幼く感じる。僕は箱に足をかけた。

「アタシが買ったのよ。三十五ポンドも出して買ったのに。何の権利があってこんな」

「じゃあ、君は何の権利があって、僕を付けまわしてたんだ?」

 水を浴びたように、彼女は目を見開いた。


「――知ってたの?」


「人に言われて気付いたんだよ。ずいぶん前から、僕のまわりをうろちょろしてたみたいだね」

「その箱がーー」

 彼女は恨めしそうに、箱を見据えた。

「その箱が誰かの手に渡るのが、心配だったのよ」

「だからずっと見張ってたのか? 誰かに売らないように」

「そうよ。 販売会であなたがその箱の中身を並べたら、 すぐに買おうと思ったのよ。だけど、もしどこかのコレクターに販売会以外の場所で売られちゃったら大変だから、ずっと見張る以外に方法がなくて」

 そう言いながらも、彼女は僕との距離を縮めてくる。


「渡すなら、条件がある」

 箱にかけた足に力を込めて、僕は言った。

「昨夜のことだ。君は昨夜も僕をつけていただろう?」

 彼女は応えなかった。

「つけていたはずだ。僕がルイーズの家から警察署へ行くとき、街路樹の陰に、君の姿を見た」


「――だから?」


 手を延ばせば届く位置にまで、彼女は迫ってきた。ぼくはさらに足に力を込めた。

「昨夜見たことを、警察に話してもらいたいんだ」

「できないわよ、そんなこと」

 返事と、彼女の動きが動じだった。彼女は体を倒して箱を掴み取ろうとした。だが、僕のほうが、瞬間早かった。彼女は地面に倒れ、膝をついた。

「その箱を、アタシはそっと手に入れたいのよ。昨夜のことを言えば、なんであなたを追いまわしていたかも話さなくちゃならないわ。そんなこと、ぜったいにできない」

 そして彼女は泣き崩れた。僕は抱えた箱をあらためて見つめた。


 いったい、このガラクタになんの意味があるというのだろう。


「君が見たことを話すと言ってくれるまで、これは君のものにはならないよ」

 彼女は涙に濡れた顔で振り向いた。

「そんなことしたらね、アタシの計画はめちゃくちゃになっちゃうのよ。あなたには悪いけど、あの男のことなんか話す気はないわ」

――あの男のこと? 

 思わず僕は息をのんだ。彼女はルイーズの家にいた男の姿を見たのだ。掌に汗が滲んだ。彼女が証言さえすれば、容疑は晴れる。


「頼む。警察に、君の見た男のことを話してくれ」

「駄目よ。警察になんか、行けないわ」

「君は、罪のない者を殺人者にするよりも、このガラクタを取るのか」

「ガラクタなんかじゃないわ」

 彼女は叫んだが、こちらも負けないほど大声になった。

「こんなもの、ガラクタだよ」

「ちがうわ。大切な証拠なのよ」

 言ってから、彼女ははっと両手で口を押えた。そして叱られた子供のように、怯えた目になった。


「証拠って、何の?」

「あなたには関係ないことだわ」

 僕は箱を開けて、中からすりきれた夫人用のエナメルの靴を取り出した。彼女が目を剥いた。

「何をするつもり?」

 僕は靴を持った片手を高く上げた。 駐車場の横には林になっている。その闇に向けて、腕を振り下ろした。

「やめて!」

 次に僕は箱の中身を地面に開けた。こぼれ落ちた中から、古いアルバムを拾い上げ、引き裂きはじめた。


「お願い、やめて! その写真がなくなったら、アタシは認めてもらえないのよ」

 手を止めて、僕は顔をあげた。

「――話すから、やめて。その写真は、わたしがミセス・バーリントンの孫だっていう証拠になるものなの。それを持っていると弁護士に言えば、彼女の家がアタシのものになるのよ」

「ミセス・バーリントンには身内がいないと、弁護士からは聞いたが」

 僕は遺品整理に行った、ウエスト・サセックスの家を思い返した。チューダー朝の大きな屋敷だった。

「アタシはあの人のことをよく知ってるのよ。アタシの家はデボンの海辺でね、ミセス・バーリントンは夏になるとやってきたわ。アタシはよく彼女といっしょに海で過ごした。子供のいないあの人は、アタシをほんとの子供みたいにかわいがってくれて」


 そして彼女は、大きな音をたてて鼻をすすった。


「だからアタシが孫だって名乗っても、あの人、許してくれると思ったわ。あの人の死んだ娘が産んでいた子供だって言っても、許してくれると思ったのよ」

「じゃ、君はあの夫人の孫を騙って、家を盗ろうとしてるのか?」

「アタシね、養女なの。ほんとの両親の顔は知らないわ。ミセス・バーリントンがほんとのおばあちゃんかもしれないってずっと夢見てきた」


 僕はアルバムを開いて、中の写真を街灯に光に向けた。四十代ぐらいの中年の女性と小さな子供が、砂浜の上で肩を並べている。この女性が、若き日のミセス・バーリントンだろう。そして、痩せて目ばかり大きな女の子が、彼女?


 見つめているうちに、僕はどうしたらいいのか、わからなくなった。そのときだ。彼女がふいに立ち上がって、僕からアルバムをもぎ取り、走り出した。

 僕は咄嗟に後を追ったが、必死にはなれなかった。さっきよりも気持ちが鈍っている。


 このまま彼女を逃がしたらどうだ? そんなもう一人の自分の声が聞こえる。


 だが彼女は、駐車場から先へ進むことはできなかった。林から駐車場へ飛び出してきた男に抱きとめられたからだ。男は力強く彼女を掴み、放さなかった。小動物のようなやさしい目をして、

「彼のために、証言してやるんだ」


 男は昨夜の刑事だった。



 僕をつけまわしていた――アリスンという名前であることがわかった――の証言で、ルイーズの客だった男が逮捕された。ルイーズの家の真裏に住むリチャードという名の、五十五歳の男だった。


 犯行の動機は、些細なことだった。リチャードはルイーズの両親を知っており、ルイーズに昔の話をよく持ち出していたらしい。それを嫌っていたルイーズが、とうとう犯行当日、別れを切り出した。リチャードは別れを拒み逆上した。

 この結果を、僕は駅前のスタンドで買った新聞で知った。小さな記事だったが、ルイーズの笑った写真も出ていた。僕はその足で、花を買い、ケバブの店に寄るとサンドイッチを買った。それからバスに乗り、ルイーズの家の前に花とサンドイッチを置いて、ふたたびバスに乗って家に戻った。

 

 容疑も晴れ、ふたたび販売会めぐりの日々がはじまった。丘を越えて、森を抜けて、僕はさまざまな町や村へ出かけていった。依然、どこへ行っても、一人であることに変わりはなかった。

 

 そんなある日、アリスンから短い手紙がきた。ミセス・バーリントンの遺品を、送って欲しいとのことだった。家のことは諦めたが、思い出に手元に置きたいと添えてあった。

 もちろん、僕はすぐに送ろうと思った。ミセス・バーリントンの遺品は、アリスンから取り上げたままだったから。

 

 アリスンからの手紙を、僕は販売会へ出かける朝に受け取った。僕は手紙を持ったまま、家を出た。向かったのは、ヨークシャーだった。

 高校の体育館を借りての、大きな販売会だった。僕はいつものように品物を台の上に並べ、客の相手をした。すると途中で、このところ見かけなかった同業者のジョンに肩を叩かれた。


「きょうもひとりかい?」

 僕は笑顔で頷き、仕事を続けたが、ふいに浮かんだアリスンの面影を消すことはできなかった。雨の中で、迷子になったウサギのようだったアリスンを忘れられなくなったようだった。

                              了

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迷子のウサギ popurinn @popurinn

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