第6話

 町のはずれに、中古車店が車を置いている駐車場がある。その横に裏の林に続く細いフット・パス(公共散歩道)があり、会場となっている町の集会所へも抜けることができる。

 

 車を通り沿いに路上駐車して、僕は薄暗いフット・パスを進んだ。

 こんもりと頭上を木々が覆い、抱えた箱はさして重くなかったが、足元のぬかるみがときどき歩行を妨げた。郊外の住宅街は、ときに思わぬ重装備を必要とする。

 

 フラットから車を南東へ飛ばして、僕がやって来たのは、ブロムリーという名の郊外の町だった。BR線沿いの、ロンドンのベッドタウンである。

 毎週水曜日にこの町の集会所で開かれるオークションは、地味ながら掘り出し物に出くわす機会が多いオークションで、町の人々が持ち寄る不要な日用品のほかに、珍しいコレクションも出品されることがある。僕もときどき、販売会で売れ残った品をこの競り市で二束三文で売る。

 

 会場は出品された品々を吟味する人々でざわめいていた。ホールの壁に沿って並べられた台の上には、すでにいくつもの品が陳列され、ひとつひとつに番号が振られている。僕は箱を抱えて、競売人に出品の手続きを取った。手続きはいたって簡単である。出品料の二十ポンドを支払い、名前と住所を知らせばいい。

 箱は競売人によって台の上に並べられ、あとは競りがはじまるのを待つばかりになった。競りに参加する人々は、規則正しく十脚ずつ並べられたスチール製の椅子に坐る。見渡すと、うしろから二番目の、いちばん壁に近い席が空いていた。

 あの場所なら、会場へ入ってくる人物をチェックできるだろう。

 僕は人をかきわけてすすみ、小さな椅子に腰を落ち着けた。


 予定の時間よりちょっと遅れて、競売人がホールの中央にある演台の前に立ち、競りがはじめられた。

 僕の出した品は、六七番と番号が振られた。最後から二番目だ。

 いくつか食指を動かされる品が競られたが、僕は参加しなかった。会場の入口から目をはなすわけにはいかない。二十番を過ぎ、四十番台になっても、彼女は現れなかった。


 中盤を過ぎたころ、早い番号の品を買い終えた人々が姿を消して、客席は櫛の歯が抜けたようになった。会場全体を包んでいた緊張は薄れ、子供たちがおしゃべりをはじめた。ポテトチップスの匂いがただよい、禁煙のはずなのに、どこからか煙草の煙も流れてくる。


 今夜は無理かもしれないな。

 

 そう思えた。昨日の今日だ。彼女だって、殺人事件の容疑者かもしれない男を追うのは気味が悪いだろう。


 それを押してまでーー。僕は出品したミセス・バーリントンの遺品の入った箱を見つめた。それを押してまで追いかける何かが、あの箱にあるとは思えない。


 するとそのとき、痩せた赤毛の若い女が、入口に姿を現した。ルイーズの家の前で見た女である。僕は反射的に隣の男の背後に体をずらし、そっと彼女を盗み見た。


 彼女は立ち止まったまま、ちょっと怯えたふうな目で、会場を見渡した。そしてそのまま視線を泳がせている。どうやら僕の姿を探しているらしい。

 僕は体をもとに戻し、素知らぬふりで前を見つめた。じっと競られている絵を見つめ、やがて手を挙げて、

「エイティパウンド」

と叫んだ。買うつもりはないが、競りに夢中になっていると彼女に思わせるためだ。

 競争相手は二人で、僕は九十五ポンドまで値が上がったところで、僕は降りた。そしてふたたび彼女を盗み見た。


 彼女は壁際に置かれた古いピアノの横にいた。案の定、ある一点を見つめている。視線の先には、ミセス・バーリントンの箱がある。

 競りはそろそろ終盤にさしかかろうとしていた。六十四番、六十五番。そして僕の番になったとき、予想どおり、彼女はそっと手を挙げた。

 

 箱は、五ポンドからはじめられた。競売人は買い手がつかないと踏んだのだろう。    

 誰かこれを買ってわたしたちに今夜の食事代を稼がせてくれと、冗談を言った。だが、競売人の予想に反して、彼女のほかにもうひとり手を挙げた者がいた。ぼくは思わず振り返って、声のしたほうを見た。


 手を挙げたのは、でっぷりと太った中年の女性だった。慣れた様子から、素人には見えなかった。といってプロというわけでもなさそうだ。プロなら、あの箱に五ポンド以上出そうとするはずがない。おそらくアンティークショップにブースを借りて、商売の真似事をしている主婦だろう。

 そう思ったとき、値が一〇ポンドになった。競りのおもしろさは、人の心理によって値段が決まっていくことだ。サザビーズやクリスティーズでゴッホの絵を競り合う場合だけでなく、この名もないオークションでも、会場の空気や相手への心理的葛藤のせいで、値は適正値段からはなれていく。


 いつしか競売人は二人の気迫に緊張を強いられ、見守る人々は息をのんだ。

 値はとうとう三十五ポンドまで上がった。

 ガラクタに三十五ポンド(約七千円)である。

 ようやく中年の女のほうが、笑いながら降りた。降りて賢明だっただろう。相手は自分のものになるまで、争うことをやめないのだから。


 競売人は、思わぬ高値のついたことに、感謝の言葉を添え、最後の品に移った。会場は弛緩した雰囲気に戻った。だが、争いに勝った彼女の顔には、依然緊張が張り付いたままだった。

 自分の手に受け取るまで安心できないのかもしれない。僕は席を立つと、会場を出た。



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