俺のポケットに国を作るな

半ノ木ゆか

*俺のポケットに国を作るな*

 それは、金曜日の午後のことだった。

 仕事の休憩時間、俺はうきうきしながらベンチに腰掛けた。連休中、沖縄旅行に行ってきた上司から、ちんすこうを一つ貰ったのだ。

 ジャケットの右ポケットに手を突っ込む。袋を取り出してみて、俺は愕然とした。

 小さな袋はすっからかん。まるで何も入っていなかったかのように、きれいに食べ尽されていたのだ。


「お兄ちゃん、おかえりなさい」

 高校生の妹が言った。

 自室の机に向かい、俺は袋を見返した。端のほうに、肉眼でかろうじて分るほどの、小さな四角い穴が開けられている。

 スーツを坐卓に広げる。ポケットを覗き、俺は我が目を疑った。

 初めは、星空のようだと思った。裏地を覆い尽すように、無数の棘のようなものが生えている。大きさは、長いものでも五ミリくらい。それぞれが色とりどりに光っている。

 珍しいカビか何かかと思ったけれど、そうではなかった。表面には窓が規則正しく並んでいる。建物だ。ビルの谷間には道路まであって、塵のように細かな乗物が行き交っている。ポケットの中にいつの間にか、小さな街ができあがっていたのだ。

 街の真ん中に、一際目立つ建物があった。左右対称で、大豆くらいの大きさがある。次の瞬間、その近くから金ピカの粒が一つ飛び立った。まばたきをしたら見失ってしまいそうなほど小さい。粒は俺の手首をのんびりと越えたあと、白い坐卓にちょこんと着陸した。

「あんたら、一体何者だ」

 通じるかどうかはともかく、俺は訊ねてみた。金の粒が蚊の鳴くような声で、意味不明の言葉を話し出す。だが、短い電子音が鳴ったあと、流暢な日本語に切り変った。

「言葉を知らぬ未開の巨人に、翻訳機を使って教えてしんぜよう。ちんは、大デクステル帝国の皇帝、トッケポギミ一世いつせいである」

 俺は面喰らった。

「先になんじが運んできた食糧は、臣民しんみんに等しく分け与えた。朕に仕えられることを、大いに誇りに思うがよい。今後も定期的に食糧を差し出したまえ」

 俺は無言でとんかちを取り出した。皇帝が慌てて制す。

「やめたまえ。朕を殺めるつもりか」

「ふざけるな」

 俺は言い返した。

「じいちゃんの形見のスーツだぞ。そのポケットに勝手に国なんか作った上に、俺のちんすこうまで喰いやがって」

「この地に国を建てたのには、訳があるのである」

 俺はとんかちを置いた。皇帝が揚々と語り出す。

「我々は地球の生れではない。遥か母星を旅立ち、ワープを繰り返してこの惑星に辿り着いたのである。地球は、水と大気には恵まれておるが、恐るべき巨大生物の棲まう辺境の惑星であった。されど、朕の軍隊は銀河随一の力を誇る。八つ足の、節のある怪物との度重なる戦いを経て――」

 俺はこっそりとあくびをした。この惑星で、他人ひとの自慢話ほどつまらないものはない。

「――そこで、怪物の襲撃から逃れるために、この大洞穴に国を建てることと定めたのである」

 彼は自慢気に話し終えた。あぐらを組み、皇帝に言う。

「あんた、随分偉そうだな。そんなに強いなら、俺の手のひらから逃げ切ってみろよ。ただし、ワープとかいうズルはナシだからな」

 皇帝は高笑いした。

「この金色こんじきの宇宙船を使えば、ひとっ飛びである」

 金ピカの粒が坐卓から飛び立った。飛び立ったと言っても、卓面からほんの数ミリ浮いただけだ。粒が高度を保ちながら、坐卓の上をのろのろと進んでゆく。

 バスタオルで髪を拭きながら戻ってくる。粒は、ようやく坐卓の端に差しかかったところだった。俺は進行方向に廻り込み、下から手のひらを突き出した。

 俺の小指に上陸し、皇帝が宣言する。

「地球の果てに辿り着いた。ここまで来れば十分であろう。朕の名を取り、この地をトッケポギミ大陸と名付けることとする」

「こっちを見やがれ、皇帝陛下」

 睨みつけると、皇帝は驚きの声を漏らした。

「あんたが新大陸だと思ったのは、俺の手のひらだ。思い知ったか、身の程知らずめ」

 俺は「ふん」と鼻を鳴らした。

「ポケットに住み着いたことは、大目に見てやるよ。ただし、一度でもおかしなことをしでかしたら、このスーツをクリーニングに出す!」

「くりーにんぐとは、いかなる行為か」

「大洪水で国を滅ぼし、きれいさっぱり洗い流す」

 皇帝は、震えるような悲鳴をあげた。

「わかったら返事!」

「ははっ!」

 こうして、俺たちの奇妙な同棲が幕を開けたのだった。

 と言っても、俺は何も気を遣うことはない。彼らの建物や道路は、蜘蛛の糸のような強くて伸び縮みする素材でできていて、俺が叩いたり擦ったりしたくらいでは、びくともしないらしかった。

 休憩時間。いつものようにベンチに腰掛け、ポケットを覗く。今日は少し騒しい。お祭をしているようだ。

 かすかに、小気味よい音楽が流れていた。ビル群の上に、ぱちぱちと可愛らしい花火が弾ける。

 くしゃくしゃになったちんすこうの袋には、平和そうなちゆら海の写真が刷られていた。祭の音楽に耳をかたむけ、俺は微笑んだ。


 事件は七日目に起った。

 上司に指示を仰いでいたら、腹に違和感を覚えた。初めはひりひりするだけだったが、だんだんと痛みが強まってゆく。ゴムでバチバチと弾かれているみたいだ。しかも、かなり熱い。

「うっ」

 トドメの一撃で、俺は床にうずくまった。上司が隣にひざまづく。

「田本くん、大丈夫?!」

「腹が痛くて……すみませんが、今日は早退させてください」

 ジャケットを脱いでも痛みは引かなかった。軽いやけどを負ったらしい。ポケットに外から触れてみると、左右どちらも熱を帯びていた。それに、ちょっと煙臭い。布自体が焦げたり、破けたりしたわけではなさそうだが。

 自室でポケットを覗き、驚いた。右だけでなく、左のポケットにも国ができていたのだ。

 だが、どちらもひどい有様だった。立派な街は廃墟となり、至るところに火の手が上がっている。恐ろしげな黒い粒が飛び回り、お互いの都市に爆弾を落としていた。

「両首脳、今すぐ出てこい。話したいことがある」

 俺の呼びかけで、二人の指導者が坐卓に揃った。ちっぽけな核弾頭もそれぞれ引っ張ってきた。彼らの背後で、今か今かと発射を待っている。

「一体、何があったんだ」

 まずは、右ポケットの皇帝が答えた。

「大デクステル帝国は、隣国、スィニステル連邦と戦争をしておるのである。先に手を出したのは、スィニステルである。彼らは我が国で爆破テロを繰り返しておった。朕はその報復として、軍事基地を爆撃したまでである」

「こんな独裁者の言うことを、信じてはなりません」

 左ポケットの大統領が言った。声から察するに、まだ若いようだ。

「爆破テロは、デクステル側の自作自演です。デクステルは我々の建国する以前から、領土を拡げようと企んでいました。そこで彼らは、ありもしないテロをでっち上げて、我が国への侵攻を正当化しようとしているのです」

「皇帝陛下、約束したよな。いっぺんでもおかしなことをしたら、このスーツをクリーニングに出すと。あれは脅しじゃない。俺は本気だ」

 皇帝はうろたえた。

「ち、朕は悪い戦争はしておらぬ。先に手を出してきたのは向こうであって……」

 俺はとんかちを振りかぶった。

 ぐしゃり。

 両国の核兵器は、一瞬でこなごなになった。

「いい加減にしろ!!」

 俺は二人を睨みつけた。

「戦争なんて失うものばかりで、何も得られやしない!! 俺の国も、ついこの間まで戦争をやっていた。罪のない大勢の地球人が死んだ。じいちゃんは毎日ひもじい思いをしながら、弟を背負って畑仕事をした。ばあちゃんは父親や兄貴と離れ離れになって、親戚の家へ疎開した。俺が今ここにいられるのは、祖父母がたまたま無事だったからだ」

 とんかちを握る手に、力がこもる。

「どっちが先にやったとか、どっちが嘘つきだとか、俺はどっちでもいいし、どうでもいい。宇宙はこんなに広いのに、いつまで狭い世界でいがみ合っているんだ。つまらない意地のために傷付け合うのは、バカバカしいから即刻やめろっ!!」

 肩で息をしながら、俺は立っていた。

 気圧けおされたように、二人はしばらくのあいだ黙り込んでいた。先に口を開いたのは、大統領だった。

「このまま戦争から引き下がるのは、納得がゆきません。ですが、人の命を重んずるべきだというお考えは、ごもっともだと思います。今後は他国を二度と攻撃しないと、ここに誓いましょう」

 皇帝は長い唸り声のあと、弱々しく言った。

「戦争には、良い戦争も悪い戦争もないのかもしれぬ。朕は刀槍矛戟とうそうぼうげきでなく、爾の心に負けたのである。今宵、朕と臣民は遠い土地へ移り住むこととする。迷惑をかけて、本当にすまなかった」

 二つの国の全ての国民が旅立ったことを確めて、俺は約束通り、スーツをクリーニングに出した。返ってきたスーツのポケットを覗いてみたけれど、やっぱり中はすっからかん。まるで何も入っていなかったかのように、きれいさっぱり洗い流されていた。


「お兄ちゃん、ちょっと見てほしい物があるんだけど」

 会社から帰宅すると、妹に声をかけられた。

 妹の部屋の壁に、可愛らしい制服がかかっている。うながされるままブレザーの右ポケットを覗き、俺は頭を抱えた。

 小さな街並が、ポケットの裏地を覆い尽している。

 その時、金ピカの粒がのんびりと飛び出してきて言った。

「朕は、偉大なるトッケポギミ一世の嫡男、トッケポギミ二世にせいである。この新天地を国土と定め、華々しく即位したのだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺のポケットに国を作るな 半ノ木ゆか @cat_hannoki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ