第18話 神人
◇
遡ること30分前――
律は父から送られてきたメールを見つめていた。
【律、父さんが悪かった帰ってきてくれ。お前なしの生活は寂しすぎる。お前の嫌いな鏡魔教とも手を切った。父さん今本当の意味で一人ぼっちなんだ。頼む、帰ってきてくれ】
切実な父のメールを見て深いため息をつく。
どれほど絆が崩壊していたとしても、子は親を裏切ることはできない。
嘘の可能性は重々承知しつつも、彼女は父の元へと向かう。
◇
「ん……ここは……」
律は暗闇の中で目を覚ました。
メールを見て自宅へと帰り、ほんの数分前まで父と話をしていたはず。
しかし、突然ぶつりと記憶が途絶えている。
そうだと思い出す、父と話している最中に後ろから誰かに薬の匂いがするハンカチを嗅がされた。
「起きたか律」
父の声が響く。今の彼女はアイマスクをされ、両手に手錠をされて寝転がされている。
エンジンの駆動音とブレーキの音で、自分が車に乗せられていることに気づく。
「パパ」
「……暴れても無駄だぞ。お前に取り付けた首輪には、能力者の力を制限する効果がある。警察で使用されている物と同じ物だ」
確かに能力を発動しようとしても、何かが阻害していてうまく能力を操れない。
「どこに行くんですか?」
「鏡魔教の施設だ」
「鏡魔教とは手を切ったって言ったじゃないですか!」
「あれは嘘だ」
「う、そ?」
あまりにも当然のように言う父に絶句してしまう。
「鏡魔教の先生がテレビを見て、お前をいたくお気に入りになられた。それはとても光栄なことだ」
「…………」
「先生はお前を鏡魔教に捧げれば、蒔絵復活に大きく近づくとおっしゃっている」
「母さんはもう死んだんだよ! いい加減現実を見て!」
「うるさい黙れ!」
隆夫は怒りを運転にぶつけ、車を大きく揺さぶる。
「蒔絵は必ず復活する。お前を媒体にして魂を下ろすそうだ」
「人間にそんなことできないよ」
「先生は死者蘇生を行える能力者だ」
「そんな神みたいな能力ない」
「ある!!」
「父さんいい加減騙されてるって気づいて! 鏡魔教にハマってから父さんがおかしくなったんだよ!? 私はもう母さんがいなくても……」
「ダメだ、蒔絵は必要だ。蒔絵、蒔絵……帰ってきてくれ。オレが悪かった。もう殴らないから……頼む動いてくれ、息をしてくれ……オレは悪くない」
律は直接現場を見た訳では無いが、恐らく母を殺したのは父と理解していた。彼は自分の犯してしまった罪を、なんとかなかったことにしたいと考えている。
自己弁護を呟きながら死者蘇生などという夢物語を信じ、さらなる罪を重ねていく父に、これでは母が浮かばれないと涙を流す律。
しばらくして車が停まると、隆夫は律を抱えてどこかの施設に入る。
ドサッと乱暴に降ろされ、アイマスクをむしるようにしてとられる。
視界が回復し、周囲を見渡すと小さな個室だった。
真っ白い壁に囲まれた部屋には、ロッカーが一つだけ。
隆夫がリモコンのボタンを押すと、彼女につけられた手錠の電子ロックが外れる。
「ロッカーの中に着替えが入っている。それに着替えたら自分で手錠をつけなおしなさい。もし私が帰ってきたとき、言ったことを守っていなかったらどうなるかわかるね?」
父の声音は優しい。だがこの時の声が優しければ優しいほど反転したときの父は恐ろしい。
加えてここは鏡魔教の施設、計画性なく逃げたところですぐに捕まるだろう。
父が退出した後、すぐに室内を見渡す。
4畳程度の狭い個室内に窓はなく、天井もコンクリで逃げ場はない。
制服の中に入れていた携帯も拳銃も、当たり前だが没収されている。
金属ロッカーを開くと、中に入っていた衣装を見て舌打ちする。
「これですか……」
しばらくして隆夫が戻ってくると、律の格好を褒める。
「可愛いじゃないか。いやぁパパ良いと思うぞ」
まるで七五三を喜ぶ父親だ。ロッカーの中に入っていたのは、ジューシーズで使用していたジューシーピーチのセーラースーツ。当然本物ではなくレプリカ。
この格好を所望している教団のリーダーは相当変態らしい。
「それじゃあ先生のところに行こうか」
個室を出ると、教団関係者らしい男が二人待ち構えていた。
介護職員みたいな白の制服に医療用マスクを着用している。
3人に前後を固められた状態で窓のない廊下を歩き、L字型通路の最奥の部屋へと入る。
厳重なセキュリティロックの扉を開くと、そこにはでっぷりと太ったスーツ姿の男が立っていた。
背は低く、ハゲ隠しなのか頭はスキンヘッドで、開かれた口からは金歯が覗く。顎が肉でたるみ首がほとんど見えない。贅肉にまみれた腹は重力に負けてだらしなく垂れている。
「先生」
「おぉ、黒崎君。彼女が?」
「はい、わたくしの娘です。ほら律、
「…………」
パンっと乾いた音が響く。ほんの少し沈黙していただけで、隆夫は律の頬をひっぱたいたのだ。
そして髪をつかむと無理やり頭を下げさせる。
「律、私に恥をかかせるなよ」
「黒崎君、暴力はよくない」
「す、すみません先生!」
「急に連れてこられたら反抗的にもなるだろう。ちゃんと我々の崇高な使命を伝えたのかね?」
「いえ、まだです」
「律君、我々鏡魔教は、鏡魔を神としている宗教だ。それくらいは知っているね?」
「…………」
「神は力なき人にかわって悪を倒してくれる存在だ」
「鏡魔は無差別に人を殺しまわっているだけです。そこに善人悪人の概念はありません」
「今はそうかもしれない。だが、我々で誰が悪人なのか教育すればいいと思わないか?」
「?……まさか鏡魔をコントロールしようとしているんですか!?」
「その通り」
「そんなことできるわけがない」
「そうとは言い切れない。これを見たまえ」
蛭間が合図すると、部屋の中の壁がスライドし巨大なガラス窓が現れる。
隣の部屋を観察できるガラス窓のようだが、電源の落ちたモニターのように真っ暗で何も見えない。
「ライトを」
パンっと音がして、真っ暗な部屋に光が点る。
そこには鎖で繋がれた怪物の姿があった。
「こ、これは……」
それはパラサイトに寄生された人間の男。
いや、もう人間と言っていいかもわからない。体毛は全て抜け落ち、皮膚は真っ白に変色している。
頭部はおぞましいことに二つに割れているにも関わらず、眼球は普通に動き、口は苦しみに歪んでいる。
時折割れた頭部から、ミミズのような寄生生物らしきものが蠢いているのが見える。
「あれは我々の実験の一部だ」
「じっけん?」
理解が追いつかないまま蛭間は話を続ける。
「鏡魔と人の合体だよ。鏡魔に寄生されたものは脳を侵食され、意識を失い鏡魔に乗っ取られてしまう。しかし逆に意識を乗っ取られずに寄生されたら、人でありながら神の力を得られると思わないか?」
「そんなことできるわけがない」
「できるさ……鏡魔教はその実験をずっと続けてきた」
「まさかあんな人体実験を続けてきたんですか?」
「10年以上前からね。だがその尊い犠牲のおかげで、実験は実を結んだ。うまく鏡魔の侵食を防ぎ、人間の自我をもったまま寄生させることに成功した。それが……私だ」
蛭間の瞳が縦に割れ、そこから触手のようなものが伸びる。
「ひっ!」
「私は体に鏡魔を寄生させているが、ちゃんと話が出来ているだろう? これは神が私を選んだとしか言いようがない」
「先生は神人になられたんだ律……」
鏡魔に寄生された怪物を見て、隆夫は尊敬と崇拝の念がこもった表情を浮かべる。
「狂ってる……」
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