第12話 黒崎律は追い詰められている

「それじゃあ最後になるが、どうしてヒーローを続けようと思ったんだい? 聞いてる限り、アイドル業に興味があるというわけでもなさそうだし、引退するというのも手じゃなかったのかな?」

「……ちょっと家庭の事情で続けないとダメなんです」


 わりとなんでもストレートに答える律だったが、この質問だけは濁していた。


「わかりました。合否は後日お知らせします」


 律が事務所から出た後だった。凛音が彼女の境遇について教えてくれる。


「ヒーローって辞めちゃうと一般人に戻っちゃうから、それまで免除になってた課題とか単位とかが一気に乗っかって来ちゃうの」

「学生ヒーローらしい問題だな。でもあの子、学業で苦労してるって感じじゃなかっただろ」

「ん~言っていいのかわかんないけど、律の家庭が荒れてるの。今までずっと事務所の寮で暮らしてたんだけど、それがなくなると住む場所がなくて自宅に帰らなきゃいけなくなる」

「家に帰れないほど荒れてるのか?」

「父親が鏡魔信教って言ったらわかってくれる?」


 凛音の言葉で大体を察する。

 鏡魔信教とは、鏡魔のことを神の救いと信じる宗教のことで、数は多くないものの狂信的な信者がついている。


「テロ組織を追っかけてると、大体最後にいきつくとこだな。確かこの前も腹に爆弾巻いて飛行機ジャックを起こした」

「そっ、昔律のお父さんが銀行で強盗事件に巻き込まれたの。その時犯人に殺されかけたんだけど、いきなり現れた鏡魔が犯人を先に殺した。そこから傾倒が始まったみたい」


 鏡魔は無差別に人を襲う為、その中には悪人を殺すケースもある。

 悪徳政治家を殺した、マフィアのボスを殺した、鏡魔にたまたま狙われたのが極悪人で、彼らに苦しめられていた人々は鏡魔を救世主のように思ってしまう。

 鏡魔こそ社会悪を排除してくれる存在。そんな思想に取り憑かれた人間が集まって出来たのが鏡魔教であり、鏡魔を悪とする社会やヒーローに敵対しているのだ。


「それで、どうするの採用?」

「あの子以外にいないだろ。これからは力の凛音、技の律で行く」

「それだとあたしがパワー系みたいじゃない」

「パワー系だろ?」


 そう言ってソファーから立ち上がろうとした時、テーブル上のカップが倒れコーヒーが放射線状に溢れる。


「あーあーパパなにやってんの。律の履歴書がびしょびしょになったじゃん」

「履歴書はもうデータでもらってるから、それはいらないんだ」

「じゃあもうシュレッダーかけて捨てておくわよ」

「頼む。あっ、そうだ俺これから予定が入ってるから」

「は? 女?」

「違うわ。元同僚だ」



 アクセル事務所を出た律は、コインロッカーに入れた荷物を取り出し、自宅へと向かって歩いていた。

 ジューシーズの寮を追い出されてしまった為、次の事務所が決まるまでの間住む場所がなかった。

 ホテルで暮らそうかとも思っていたが、そんなことをすればあっという間に資金が枯渇してしまう。


「ほんの数日、ほんの数日だけだから。うまくやればパパと会わずに暮らせるはず」


 1年前、ヒーローになるために飛び出した実家。

 KUROSAKIとネームプレートがつけられた、3階だて監視カメラ付きの一軒家。駐車場には高級車が止まっている。

 彼女は能力を使って中を調べると、熱源反応が1。

 この時間に父親はいないはず、多分お手伝いさん。

 そう思いながらドアを開くと、廊下にいた痩せ型の中年男性と目と目が合う。

 清潔感のある白のシャツに、スーツ用のスラックス。黒縁メガネをかけた、律の父、黒崎隆夫(45)だ。

 彼を見た瞬間、律の心臓が止まりそうになり、嫌な汗が全身から噴き出る。


「嘘、なんで……」

「律、律じゃないか!」


 隆夫は声をはずませ、玄関へと走ってくる。


「心配したんだぞ、急にいなくなってしまって」

「ご、ごめんなさい」

「いいんだいいんだ、ヒーローをやってたんだろ? テレビでお前を見たぞ」

「う、うん」

「いつか帰ってくると信じて待っていたんだ。そうだ、お腹すいてないか? すぐに何か作るぞ」

「う、うん」

「いやぁ本当に良かった」


 屈託なく嬉しそうにする父に、引きつった笑みを浮かべる律。


 その日の夜――

 1年前と全く変わらない配置の我が家。

 整理好きの隆夫によって、塵一つ落ちていないキッチン。

 律は真っ白なテーブルに並べられた、豪華な食事を見て「うわ……」と呻く。

 まるでフランス料理店のように完璧な配置で置かれた食器、美しく盛り付けられたパンにサラダにチキン、一匹丸々のロブスター、肉塊ごと置かれたローストビーフ、中央には三段になったバースデーケーキ。


「なんだ~その顔は? 味が心配か? 安心しろ、ちゃんとパパが作ったものだけじゃなく、レストランから取り寄せたものもあるからな」

「ケ、ケーキまで……」


 背の高いケーキの頂上には、誕生日おめでとうとメッセージカードをもった、幼児向けリリカちゃん人形が鎮座している。

 まるで10人くらい友人を呼ぶ、誕生パーティーのようなボリュームである。


「なにせ1年ぶりだろ? 去年はお前の誕生会できなかったからな。今年の分も含めてやっちゃおうと思って、ついはりきってしまった」

「そ、そう」


 二人は向かい合ってテーブルにつき、いただきますと食事に手を合わせる。

 律は無理やり料理をかきこむ。どれも美味しく、全てに手間がかかっていることがわかる。


「ははは、そんなにガツつかなくても食事は逃げたりしないぞ」


 隆夫は嬉しそうに、久々の娘の顔を見つめる。


「お前が帰ってきてくれて、父さん本当に嬉しいよ」


 メガネをとって涙ぐむ父に、律はどう声をかけていいかわからなかった。

 それから30分ほど経ち、彼女が並べられた料理の5分の1くらいで限界をきたしていると、隆夫は不満げな声を上げる。


「なんだ律? もういらないのか? 成長期なんだからもっと食べられるだろ」

「う、うん。でも少し休みたい」

「そうか、じゃあ先にプレゼントを渡そう。去年お前の誕生日に買ったやつなんだけどな、気に入ってくれるといいな」


 ウキウキの隆夫が、プレゼント包装された大きな箱を持ってくる。


「さぁ開けてみなさい」

「……はい」


 律が包装紙を取り払うと、出てきたものは


「木馬……」


 子供が背に乗って、前後に揺すって遊ぶ玩具の木馬である。

 対象年齢は幼児であり、高校生の律に渡されても使用に困るものだ。


「嬉しいだろ? さぁ乗ってみなさい」

「…………」


 律は父の要望を聞かないとどうなるかわかっている為、ゆっくりと木馬に腰を下ろす。

 すると当然荷重に耐えきれず、みしっと嫌な音が鳴る。


「いいじゃないか。ほら遊んでみなさい。楽しいぞ~ロデオだ」


 隆夫はビデオカメラを取り出し、嬉しそうに彼女の様子を撮影する。

 律は冷や汗を流しながら、ギシギシと音がなる木馬を揺らす。


「楽しいだろ律? なぁ楽しいだろ? 楽しくないわけないよな?」

「父さん……」

「なんでそんな顔をするんだ? 父さんが贈ったもの楽しいよな?」


 するとバキッと音を立て、木馬が壊れる。

 耐荷重精々15キロ程度の木馬に、重量3倍ほどの高校生が乗って動かせば当たり前である。

 

「律! なんで父さんのプレゼントを壊すんだ!? お前はいつもいつも父さんを困らせるな!」


 壊れた木馬を見て豹変した隆夫は、律の髪を掴んで無理やり引きずり倒す。

 先程まで娘の帰宅に涙ぐんでいたとは思えない、憤怒の形相で癇癪を爆発させる。


「ご飯もこんなに残して! お前を甘やかしすぎたようだ!」

「ごめんパパ、痛い!」

「痛いじゃない! 父さんの心の方がもっと痛い! あぁ痛いとも!」


 隆夫は引きちぎらんばかりに律の髪をひっぱると、テーブルに顔面を叩きつけ、食事を無理やり口の中にねじ込もうとする。


「ゴホッゴホッ!」

「ちゃんと食べろ! お前のために用意したんだぞ!」


 律の顔と体をどろどろに汚し、彼女が泣いていることに気づいて隆夫はパッと手を離す。


「す、すまない律……こんなつもりではなかったんだ。大丈夫か? 汚れているな、すぐに温かいお風呂に……」


 彼女は拘束がとかれた瞬間、外へと向かって走る。


「律どこに行く!? 律、行くな! 律!!」


 父の静止を振り切り、荷物も全てそのままにして悪夢のような家から逃げ出す。



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