第2話 矢車弓
◇
結城がヒーローを辞めてから、田村ヒーロー事務所は消滅。
それから1年が経過した――
時間は経過したというのに、全く何も覚えていない。
ただ毎日飲んで、路地裏で転がって、安いホテルに泊まってを繰り返していたら一年が経っていた。
「金が完全に底をついたな」
ヒーローとして活動して得た資産のほとんどは元妻に持っていかれ、残った金も昨日完全になくなった。
ゴミの中で目を覚ました結城は、ゾンビのように起き上がると天からシトシトと雨が降っていた。
傘を買う金もなく、薄暗い灰色の街中を彷徨う。
過ぎゆく身なりの良い人達は、まるで結城が視界に映らないかのように通り過ぎ仕事へと向かう。
勢いを増した雨をやり過ごすために、橋下へと降りようとするが、増水して川の流れが早くなっている。
「…………」
結城は橋の欄干に手をかけると、このまま落下したら死ぬか? と考える。
ふらっとやって来た死神は、彼にここでの自殺を仄めかす。
それを引き止めてやれる友や人生が今の彼の中にはなく、濡れた欄干に足をかける。
自殺できるかは微妙な流れだが、浮き上がらなければ死ねるだろう。
結城は「疲れた」と一言呟き身を投げようとする、その時後ろから声をかけられた。
「元S級ヒーローサンダーイーグルの神村結城ね」
結城が振り返ると、スーツを着た30代くらいの女が彼を見上げていた。
紫のアイシャドウに、赤のネイル、ケバく感じるが自分を入念に美しさで武装した隙のない女、それが彼女の第一感想。
「私はHBC、ヒーローブロードキャストTVプロデューサーの
自殺しかかってる男を前に、TV局プロデューサーはトチ狂ったことを言い出した。
◇
赤のスポーツカーに乗せられた結城は、矢車に古びたビルへと連れてこられた。
6階だてのビルの3階へと案内されると、そこは掃除もされていない埃っぽい事務所だった。
事務机と破れた革のソファーが対面になって置かれ、圧迫感のあるキャビネットにはヒーロー関係の書類が並んでいる。
「ここはどこだって顔ね? ここはあなたの本拠地となる、ヒーロー事務所よ。田村ヒーロー事務所に雇われてたんだから、それくらいわかるでしょ?」
「……事務所?」
「そう。そこシャワーあるから入ってきなさい。多分水は止まってないと思うわ」
言われるまま結城は簡易シャワー室へと入ると、冷え切った体に暖かな湯を浴びる。
冷たい血液の温度が上がっていくと、少しだけ生を実感する。
体を洗い終えても着替えがないので、置かれていたバスローブを着て矢車の前へと立つ。
「少しは復活したかしら?」
「……あんた目的はなんだ?」
「スカウト」
「スカウト?」
「ええ、昨今ヒーロー事務所が乱立しているのは知ってるでしょ? それもこれも、政府が能力者を囲うのが遅れたせいで、様々な芸能事務所が貴方のような
「お前たちテレビ局は、ヒーローを見世物にしている」
「エンタメと言ってほしいわ。ヒーローと怪物の戦いは、総合格闘技なんか目にならないほどエキセントリックなのよ」
「なにがエキセントリックだ」
ヒーローたちの戦いを金儲け程度としか思っておらず、命懸けの戦士をアイドル化させるテレビマンを結城は軽蔑していた。
「鏡魔と戦わせ、それで視聴率をとるようになったのは認めるわよ。でも、そのスポンサーや広告料で活動できるヒーローもいる。田村ヒーロー事務所だって、テレビ局からお金を貰っていたのよ」
「…………」
「正義だけでは食ってはいけない。ヒーローにも衣食住は必要だし、武器や医療費も。給料が出なければ社会保険にも入れない。正義には金がかかる。わかるでしょ?」
矢車は空腹の結城に、ホットサンドが入ったビニール袋を手渡す。
「本題を話してくれ」
「あまり取り繕っても貴方には逆効果だと思うから正直に言うけど、今のところテレビ局はヒーローを金のなる木と思ってるわ」
「だろうな」
「HBCでもヒーロー事業には力を入れていて、今こんな企画が持ち上がってるの」
矢車は今では珍しい、紙の企画書をデスクに置く。
「ヒーロー事務所立ち上げからAクラス事務所にいけるか?」
「そっ、1からヒーロー事務所を発足して、最初はDクラス。ゆくゆくはテレビCMを飾れるくらいのAクラスに行ってもらいたいの」
「最初二人の新人ヒーローを所属させ、マネジメントを行いながら収入を増やしていく。個性ある経歴をした3人をオーナーに抜擢」
「ようは、素人オーナーの中で誰が上手くヒーローを扱って、経営をやるかの企画ね。最終的には既存のヒーロー事務所と勝負してもらうことになるわ」
「俺を元ヒーロー枠で出したいと」
「その通り。まぁ今のところあなた以外オーナー候補は決まってないけど」
「ふざけるな、こんな何もない男を玩具にするつもりか?」
「これを断ってどうするつもり? 酒に溺れ、ふらっと橋から飛び降りて自殺する。それがあなたの人生でいいわけ?」
「死体にたかるハゲタカのような女が、わかった口を聞くな!」
結城は思いっきりデスクを叩くと、置かれたホットサンドが跳ね上がる。
「親友のアクセルファイアを失い、嫁はあなたが精神的に苦しんでる時に不倫、命を賭けて助けた人間は人殺しで有罪、所属事務所は消滅、身銭も尽きてなんの為に生きてたのかよくわかんないでしょ」
「…………」
「アクセルファイアとサンダーイーグルのヒーローコンビは、私がディレクターの時代から追いかけてたの。私はあなた達の活躍に心打たれて、ヒーローテレビを推してきた。ネットでも、あなたの消息を追う人は多いわ」
矢車は古い新聞をいくつもデスクに並べる。
そこには結城と大輝の記事が大々的にとりあげられていた。
「これは全部私が書いたものよ。あなたがいくら否定しても、神村結城は紛れもなくヒーローだったの。私はあなたが再び活躍できるようになるなら、なんだってやるわよ」
「それがこのふざけた企画か」
「あなた、体も壊れてるんでしょ?」
「!」
「一応病院のカルテは持ってるのよ。あなたが失踪した事件の後遺症?」
「プライバシーの欠片もないな」
「それがマスメディアよ」
「
「ならなおさら指揮官となって、後進の育成くらいしなさい。エンタメにしてくれるなら、大体的に局がスポンサーになれるわ」
矢車は真剣な眼差しで、結城の濁ってしまった瞳の奥を覗き込む。
「ヒーローを育てながら、自分が戦ってきた意味……探しなさいよ。サンダーイーグルの神村結城」
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